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西上

「お前もか」


御本城様こと北条氏康の下、若様こと氏政、遠山綱景、富永直勝、大道寺政繁、そして俺こと足利頼純を中心に、軍勢1千で上洛する。触れが出たのはその日、正月一日だった。

「小田原には氏尭を、江戸城には太田康資を留守居に置く。遠山・富永両名は上杉に備え、官位を受け次第帰国する」

「はっ」

連絡役ということだろう。今回は遠征ではなく旅行みたいなものなので、家臣は預けて家族で向かうことにした。


「お久しぶりでございます」

「義兄上、そう畏まられずに」

氏政もいい加減大人だ。俺なんぞよりは精神年齢も高い気がする。

「では出発するが、豆駿遠三尾濃江と通る道中にも気を配るゆえ、時間がかかろう。各々仕事を見つけよ」


早雲時代の北条家本拠、伊豆韮山城を通って、今川領の駿河に入った。

「ようこそおいでくだされた」

新築ピカピカの駿河興国寺城で出向いてきた天野景貫の歓待を受けつつ、その先導で駿府に入ることとなった。

東国で小田原に並ぶ大都市と言える駿府は、今の小田原を商業の都とするならまさしく文化の都であった。公家や文化人が絶えることなく、京からやって来る者も後をたたない。

「久々だな」

苦々しげにこちらを見る今川義元にも慇懃に応対し、嫁いでいった春姫と嫡男の今川龍王丸も元気そうにしていたので、我々は下がって城下に下った。

「それでここに来たのか。別にいいが」

とかなんとか言いつつも出迎えてくれたのは孕石元泰で、色々と愚痴りながらも相談に乗ってくれた。なんだかんだと彼の屋敷に居候することになる。

「人探しに来たんだ」

「ほう。誰が入り用だ」

「お公家様と素浪人だ。素浪人は駿府で探してもしょうがないだろうが」

素浪人から後に大成する連中を一本釣りするのも趣があるというものだが、駿府にいるそんな連中は皆今川に仕えて終わりだろう。

「公家か。掃いて捨てるほどいるが」

「だろうな。どこに誰がいるか教えてくれんか」

「徳利片手に飲みながら歩いてる奴を見たか?」

「いや」

「見たらすぐにわかる。山科内蔵頭だ」

予想はついた。有職故実、楽器、歌、酒、薬なんでもござれのスーパー文化人山科言継(やましなときつぐ)。この人は政治とか関係なく一度会ってみたいと思っていた。散歩でもするか。

「他には」

「どんなのがいいんだ」

「できれば三条家の連枝」

「連枝も何も、三条西(にし)家の当主がいるぞ」

「何?」

正親町三条家に並ぶ三条家の分家の当主、三条西実枝(さねき)は今駿府にいる。一子相伝の古今伝授の保持者であるなどなど文化人のトップだが、今川家と交流を続けているらしい。

「ありがたい。行ってみるか」

「役に立ったか」

そう言って庭に出かけた元泰はすぐに顔を顰めた。

「あのクソガキが…」

「どうした」

「隣のガキが鷹狩りを好んでな。糞がやたらと落ちてくる」

舌打ちをしながら掃除をしようとする元泰を横目になだめる。

「ガキのすることだろう」

「あれでも三河の国主だからな。手に負えん」

あ。松平竹千代じゃん。こんな至近距離にいるのに、理由がないゆえに挨拶に行くこともないのは少しもどかしくも思った。

「文句言ってくる」

よせばいいのに、と笑った。


「お初にお目にかかります」

鷹揚に頷く実枝はいかにも公家という印象だったが、同時にフットワークの軽さを目の当たりにすることになる。

「それがしの妻は武田大膳大夫の娘でございますれば、三条家の連枝にあたります。どうぞ今後ともよしなに」

「それで、これから上洛するのじゃな」

「はい」

「まろも参ろう。朝敵征討、支援させてもらう」

「はっ」

一緒に上洛か。いや都合がいい。次の三条家当主に推すことができる。他の家と照らし合わせての打算だろう。頭脳派の公卿、政争にめちゃくちゃ強そうだ。


明日発つという段になってから、岡部元信(おかべもとのぶ)と知り合った。隣の松平邸で遊ぶ一族の子供を送っているところだった。

「あれは岡部五郎兵衛だな」

などと元泰が言うものだから飛びついてしまう。自己紹介をしたが、どうやら足利下総守はそこそこ有名だったようで安心した。

「ご高名な足利殿がよもやこちらにとどまっておられたとは存じあげませんでした」

「岡部殿こそ武勇の士と聞こえます。いずれ戦場で肩を並べたく」

お世辞は置いておいて、岡部元信が隣にいれば心強いことこの上ないだろう。

「そのうちに尾張に参りましょう。その折にでも叶います」

尾張ねえ。

「国主の織田弾正忠公、昨年亡くなられましたな」

「真に。世継ぎは評判がいいとは言えませぬな」

「三郎殿は聡明な方でございますよ」

と、突然擁護に回ったのは竹千代だった。

「そういえば竹千代殿は尾張に暮らしたことがありましたな」

「はい。仲良くさせていただきました」

織田三郎、いや上総介信長の片鱗に初めて触れた。話を切り出しておいてなんだが、こんなところで名前を聞こうとは。

「お手並み拝見、というところにございますか」

「真に」

元信はそう言って笑ったが、彼も俺も余裕でいられるのは今のうちだけだろう。


駿府を発っても、遠江や三河で人材登用はなかなかできない。今川の家臣を奪えば関係に亀裂が入る。それならそうと、遠江の飯尾や井伊、三河の鵜殿といった今川家のキーパーソンの顔は覚えておいた。


尾張に入ると仮想敵地である。まず宿泊地から選ばなければならない。

一つ、織田信長の那古野(なごや)。二つ、弟・織田信勝(のぶかつ)末森(すえのもり)。三つ、叔父・織田信光(のぶみつ)守山(もりやま)である。信光は信長支持寄りの中立で、残り二人は共に織田信秀からの家督継承を主張して譲らない。しかも意外なことに、信秀の重臣はあらかた信勝方についている。

後々を考えれば、信長をここで消してしまえるとしたら大きい。が、信勝側が有利な現状、逆に信長を支援することにも旨みがあるだろう。

「あらかたの見立て通りに信勝が勝ったらどうする」

「信勝は弟ゆえ、結局正当性のない相続になります。支援したところで旨みはないかと」

御本城様の下達で那古野を訪れると、城には織田木瓜(もっこう)の紋と永楽通宝の旗印が翻っていた。重商主義の彼らしい。


「織田上総介信長である」

家督相続も間も無く、まだうつけの皮を被っている頃かと思ったが、初めて会った織田信長は毅然としていた。端正な顔立ちが引き締まり、妹の市が絶世の美女と言われるのもむべなるかな。

御本城様が支援のためと金子を差し出すと、信長はニコリとして恭しく受け取った。

「斯波様にもどうか御便宜をよろしくお願いいたす」

織田信秀に隠れて存在感はほとんどなかったが、尾張を名目上差配するのは守護である斯波義統(しばよしむね)だ。守護代である織田大和守家の織田信友に擁立されたものの、そのさらに格下である信秀と意気投合し積極的に支援してきた。その蜜月はまだ続いている。

「相分かり申した」

尾張の支配者は信長であると認めざるを得ない。父の代からレールが敷かれた信長の覇道はもう始まっていた。

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