立案
「ありがたき幸せ」
新入手の沼田や岩櫃は、ほとんど那波宗俊に与えられた。佐野家も下野に新たな領地を得て、上杉憲政はほとんど四方を北条領に囲まれた形になる。
「岩櫃城は遠いゆえ、長野が攻めてくれば危ういかもしれぬ。まずは本領を守るべし」
那波がそんな訓示を受けていたが、それを見ながら俺は外交のことを考えていた。
「関東管領を追うのであれば、正当性が必要ではございますまいか」
「誰が左様なことを決める」
官位官職を得て、詔勅や将軍の御内書を得たいと言った。
「上洛か」
「軍を率いる必要はございませぬ。三河の半ばまでは同盟する今川領で、その先は危害を加えてくるであろう連中はおりませぬ」
この提案にはもう一つ理由がある。
「遠山殿からお聞きしましたが、長尾景虎が上洛の気配ありと」
「…なるほどな。賊軍になりたい者はいない」
景虎が上洛して正当性を確保し、こちらに賊軍のレッテルを貼られれば、せっかくやってきた国人領主が揺らぎかねない。少人数を京へ向かわせることはどうやら内定したようで、目的は将軍目通りと官位の獲得、その後に朝廷での謁見を主とし、俺の私的な人材登用という側面を持った。東海・近畿には転がっている逸材が多い。
装束の北条と呼ばれるほど見た目に気を使う北条家で、主君が大遠征するなど大変な費用がかかる。そこで人数はごく絞り、軍人は最低限とした。無論国許の抑えも兼ねている。
が、すぐ出立とはいかない。またも焦らされることになるが、今回ばかりはやることがあった。
鉄砲鍛冶のうち技術革新に割いていた数名に横浜に移ってもらった。ついでに大筒の開発を要請し、火力強化を図った。
あとは交通網の整備もしなければならない。道路舗装もしてみたいが、アスファルトは少なくとも関東では手に入りそうにない。瀝青を探せばいいのだろうが、詳しい製法を知っているわけでもない。
ということで馬車の製作を提案してみた。できてみれば道路規格を決めることもできる。棒道がどんどんグレードアップしていくだろう。馬車って近世までの日本にはないんだなと実感する。これは大工の仕事だな。
年が間も無く変わる。ゆったりとした大晦日。しばらく使っていなかった金だが、京で散々融かすことになるだろう。それもまたよし。貨幣のしっかりとした法制化はまだまだ先だなぁと思いつつ、手の中に開元通宝と永楽通宝を一枚ずつ転がした。
家臣も寝たし、梅も寝かせた。ただのんびりと意味のない時間を過ごすうち、静寂に鐘の音が響いた。天文22(1553)年だ。
門を叩く音がしたので、寝ずの番をしている者にお年玉がわりの菓子を渡しながら赴くと、大道寺政繁が一人立っていた。
「明けましておめでとう」
「おめでとう…どうしたいきなり」
変事かと心配したが、なんのことはない、遊びに来ただけだったようだ。
「まあ方便だよ。上洛の裁可が下りたらしいぞ」
「知ってるよ」
そんなことがあれば俺が知らないはずがないのにその程度の用件ということは、つまり本当に遊びにきたのだろう。何もしないのも暇なので何か渡そうかとも思ったが、いいというので構わず日記を認めることにした。
「なかなか進めぬな」
「上野のことか」
「ああ」
「上杉はもはや心配するだけの要素になってない。長尾景虎の目標は上洛だ」
「長尾か。どうだった」
「…強い。攻め方がわからない」
戦争で勝つことなどできないと俺は思っている。正史であればこのあと北条家は小田原での籠城戦を強いられるまでに追い込まれるのだから。
「お得意の切り崩しはどうだ」
「御家騒動が鎮圧されたばかりだ。靡く者が出るかな」
「まだ起きていたのか。寝ろ」
寝間着のまま里見義弘が現れる。
「今用事を思いついたんだ。待てよ」
上洛の準備だ。もちろん朝廷や幕府には御本城様が文を出してはいるが、これは俺の個人的な分。
「公方様は外せぬな」
時の将軍足利義藤。室町幕府の第13代で、未だ18歳ながら室町幕府の復権を夢見る情熱的な男だ。権力者三好氏と対立し、和睦中ではあるものの、今なお都は一触即発だ。
そんな室町将軍本家は、長きにわたり鎌倉公方、その後進の古河公方と対立してきた。北条と利害がピッタリ一致する。幕命という大義名分をもらう算段だ。
「次、三条家」
平安期を通して権勢を振るった藤原氏は、鎌倉時代に至って多くの家に分かれた。そのうち特に格が高いのが五摂家と言われる五つの家だ。それに次ぐのが清華家で、そのうちの一つ三条家は武田晴信の正室・三条の方の実家で、つまりは俺の義祖父の家にあたる。
三条家を称する家はいくつかあり、これは本流の転法輪三条家といわれる家なのだが、その当主にして俺の義祖父である三条公頼は2年前、山口に下向したところを大内氏で起こった謀反である大寧寺の変に巻き込まれて亡くなっている。実子がなく、分家である正親町三条家から実教を養子に取ったのだが、どうもこちらも病弱で怪しいらしい。
「返書が帰ってくるといいな」
「公家は武家を無碍に扱うことだけはできぬさ。彼らが欲しいのは金と力、それ以前に当面の生活だ」
実力主義のこの時代、軍を持たない公家の多くは貧窮の中にある。それゆえに積極的に武家のバックアップをして見返りをもらおうとするのだ。
「だが公方様に寄るとなると、三好家との立場はどうなる」
三好長慶。天下人、と称されることもあるし、実態もその通りである。管領細川氏を傀儡とし、その更に上にある将軍家を二重傀儡として動かしているが、最近は義藤の反抗に悩まされている。
「その場で媚びを売る。融通の利かぬお方でもあるまいよ」
更に言うなら管領細川氏綱も、ただの傀儡では済まさない。三好側に立って政治的に活躍している。
今回の上洛では、京の権威にどれだけ食い込み利権を得られるかが問題となる。かける金こそ抑えるが、これは立派な国家事業だ。




