本庄城、策を弄する
「足利だと?」
長尾景虎の情報を得て、場所的に自分たちが孤立する可能性を感じ取り、垪和康忠は焦った。
「遠山殿と繋ぎを取るか」
急いで向かった先の遠山綱景は、平井攻城の準備に取り掛かっていた。
「平井城など攻めては敵は死兵となるぞ」
「確かに。三条長尾の援軍真に厄介ゆえ、長野業正を降らせるが早いな」
「長野が降ろうか?」
「はて…」
ここに来てだいぶ手詰まりとなってきたが、それを打開すべく景虎に帰ってもらう策を挙げたのは北条氏康本人だった。
「高梨を使ったか」
武田家にこけ脅しだが北信へ移動してもらい、高梨政頼らの所領を脅かしたのだ。景虎の目的はあくまで上杉の救援であり、北条の滅亡ではない。すぐさま越後へ取って返し救援の動きを見せた。
足が止まった頼純も、足利の陣からできることをした。山内上杉の家臣である白井・総社両長尾家を寝返らせた。
「長尾景総、帰参いたしてございまする。なにとぞよろしくお願いいたします」
総社の景総は河越以前に北条家に仕えたことがあるという。頼純は知らなかったが、もう一方の白井の長尾憲景も寝返ってくれたのは僥倖だった。
「深谷の上杉憲賢にも揺さぶりをかけた。なんとかなってくれるといいが」
「まだまだ敵は多いな」
「そうかな。これで向こうが疑心暗鬼になってくれればいいが」
果たしてそれは的中。何通もの寝返り督促状を受け取った岩櫃城の斎藤憲広は憲政にあらぬ疑いをかけられ、長野の手の者に消されたという。
鉢形城はまだ落ちなかったが、平井城が危ないとの報を受けた業正は撤退の可否を悩んでいた。松田盛秀が横合いから本庄城へ向かったとの知らせも届いている。
「鉢形・平井間の伝達を断たれてはならぬ。本庄に退き、松田を追い返す」
家臣の安藤勝道が先遣として急ぎ本庄に入り、匂坂長信は平井城から浪人衆を引っ張り出すため単身で向かった。
鉢形城にようやく入城した氏尭は、自身はここに残って綱成を進ませることに決めた。
「間もなく兄上より幾隊かの撤退が下命されるはずだ。本庄に向かうふりをして、平井を落としてしまってくれ」
「はっ」
斎藤憲広の誅殺により、一時的にせよ憲政の求心力は下がっている。ここを叩かない手はなく、綱成以下6千500が平井へ向け出立した。
9月、収穫時期が近づくと、無理な動員をした上野兵は家に帰りたがる者も現れた。この時を待ち、ついに下野から多目元忠らが投入された。
4千500の新手は効き、とうとう平井城は包囲されるに至った。この時には多目元忠や北条綱成が平井城、松田盛秀や富永直勝、それに傷兵を回復した足利頼純や北条長綱が本庄城へ向かっていた。余剰となった東部方面軍第2軍の多くや氏康麾下の隊は解散され、多くは関東の豊穣に従事することとなる。
長野業正は本庄での籠城継続を選んだ。同時に上杉憲政に「危なくなったら箕輪城に逃げるための和約を結べ」との旨を伝えた。これで確実に上杉は延命する。本庄で本格的な攻城をやり、その上で箕輪まで囲うほどの体力は北条にもなかった。
「戻りましてございまする」
匂坂長信と諏訪・海野の浪人衆が集まってきた。
「お呼びいただきありがたき次第。父・棟綱は先年亡くなり、今こそ積年の恨み晴らす時でござる」
そう語るのは攻め弾正こと真田幸隆。海野一族に輝く傑物だ。とはいえ業正との二頭体制を防ぐため、今回は外側の曲輪で指揮をすることになる。
城攻めは松田隊に同道した大道寺盛昌が主導した。こちらにも城の内部を知っている者はいるということだ。
「敵陣に本庄実忠が入ったとの由」
実忠は館の落城後、しばらく行方知れずだったが、結局本庄に戻ってきて城内に入ったらしい。
「討つぞ。なおも生き延びられては面倒よ」
そこからは消耗戦の様相を呈した。北条軍の突撃は幾度もかわされ、屍は累々と積もった。しかしそれは籠城方も同じで、秋も盛りになると両軍目に見えて士気が下がった。
「一度退くか?」
「いや、下総守が兵を回復したので間もなく着く。せめて本庄から蹴り出し、武蔵を手中に収めるべきだ」
盛昌はまだ焦らない。消耗戦になれば勝つのはこちらなのだ。それに盛昌は城兵の士気を大きく削った。将がやる気だろうと、兵が付いて来なければ意味がない。
「六文銭と梶の葉は聞いてねえぞ」
海野も諏訪もここで出てきたか、と面食らう頼純。予想外の敵ではあるが、ここで取るべき策はまだあった。
「力で脅して理を示す。それでダメなら利で釣るさ」
もっとも真田幸隆が相手では、「力で脅す」がなかなかに困難ではある。が、頼純はこの戦場の人材の多さを存分に使い積極策に出た。
「要害から潰す。北の小山川を押さえよう」
康英の清水氏は伊豆で水軍を使う家だ。急ごしらえの船ではあるが、なにも船の上ではたき落とし合う訳でなし、漕いで上から射かけることは慣れた者ならばできる。
「俺の出番だな。任せろ」
郎党をまとめた康英が、船団で城の北側を攻撃しはじめる。川ゆえに近距離防御設備がおろそかになっている北側は守りあぐね、城兵は次々倒れていった。
「これでだいぶ楽にはしたはずだな。突っ込むか」
「行こうぜ」
これが終わったら引退するらしい盛昌に代わり、政繁が一手を率いることになった。頼純にも来い来いと盛んに誘いをかける。
「仕方ねえな。やるか」
とりあえず早く帰って新婚生活を再開したい頼純は、義弘に本陣を預けて突撃した。
「真田弾正これにあり!参れ!」
「諏訪新太郎、御家のために参る!」
諏訪満隣も決して若くはないが、子や孫に家を残すため必死だ。士気の高い隊に突っ込むのはいささか勇気が要ったが、政繁は遠慮がなかった。後ろに頼純が控えていて何かあったら刺してもらえる政繁が、死んでは元も子もない満隣を上回った。
崩れる諏訪隊の裏から真田隊が搔き分けるように出てくる。同時に政繁は後退し、頼純隊が前に出る。
「ここにいるって教えてやれ。斉射!」
温存していた鉄砲隊を叩きつけ、二度ほどの斉射で敵の指揮統制をグダグダにしきった。もう十分だ。
「退却!」
一方的に殴るだけなのは「戦」とは呼び難いかもしれないが、一方で最も利があるのはこのやり方だ。士気を地に墜とし、アウトレンジで一撃を加えて潰走させる。
「次だな」
そしてもう一段階が大事だ。理を説く。
「ご両名は御家の復興を目的になさっているようだが、斜陽の上杉ではそれも叶うまい。北条に与して功績を立てれば、同盟国武田領内である旧領に復帰できる日も来よう」
旧領復帰のあたりはやや怪しいが、前半部分は間違いなく事実だ。北条家の上野支配にはまだ人が十分いるわけではない。必ず食い扶持がある。
真田も諏訪も動きが鈍ったところに、今度は城外から鉄砲を撃ちかける。大きな音の出るこの武器は、なによりも心に響く。
同月中に長野業正の箕輪城撤退と北条軍の進軍停止を盛り込んだ和議が結ばれた。
本庄城の戦い
北条軍 1万2千 大道寺盛昌
上杉軍 8千 長野業正
武将級討死 なし
この和議によって平井を攻めていた綱成らは進軍を停止したが、上野の東過半は手に入れたことになる。次何か起これば、確実に倒せる。
「御家のために」
そう言いながら投降した諏訪家は諏訪頼豊、満隣の長男が代表した。父ははじめ反対したが、沢重信や茅野重清の説得で決意したらしい。
「召しかかえるゆえ名を申せ」
諏訪満隣と頼豊ら兄弟のほか、沢、茅野とその一族のみの一行だった。
一方の真田は北条に降りはしなかったが、上野を去って信濃に向かったらしい。直接武田行きというわけだ。ともあれ信濃浪人は片付いた。残る連中を掃討して終わりだ。後顧の憂いを断つために結城・小山もなんとかしておきたいところだが…




