長尾景虎
北条高広の北条氏は全部ルビを振ろうと思います。どうしようもないとはいえ読みにくさがエグい…
「このままでは鉢形は厳しいぞ」
報告を受け、淡々と語る氏康。目の前の勝沼城にもその報せが届いたか、にわかに活気付いている。
「なれば退かせてやればようございますな」
「うむ。佐野が寝返り、赤井は滅んだ」
赤井照康、松田憲秀らに城を追われた上に落ち武者狩りに遭ったらしい。武士としては無念だろう。
「三田弾正、降るつもりはないようにございますな」
「ならば先に辛垣城を落とす」
「はっ」
すぐさま編成された別働隊は名目上北条氏政の隊だが、後見として大藤金石斎がついている。
この隊が動いた時点で三田綱秀にできることは二つ。一つは降伏開城で、もう一つは城を枕に討死することだ。辛垣という退路が断たれたことになる。無論前者でも綱秀自身の命の保証はない。
金石斎の別働隊は迅速に辛垣城に取りつくと、斥候を数度出してから総攻撃をかけた。多くの兵を勝沼に詰めていた三田家に余力はなく、そのまま落城。勝沼城は挟撃を受けることとなった。
死兵となった三田軍は何度かに分けて突撃を行ったが、温存していた鉄砲隊が落ち着いてこれを仕留めた。綱秀は腹を切り、開城と相成った。
勝沼城の戦い
北条軍 3千500 北条氏康
三田軍 800 三田綱秀
武将級討死
三田軍 三田綱秀
鉢形を落とすための小細工は、一朝一夕で成りそうにはなかった。氏尭と綱成はこの膠着した戦線を一度捨て置くことを協議し、高見周辺の小城群に入った。
この時新たに問題として浮かび上がってきたのが、佐野領と上野のさらに間、足利長尾家という家だ。苗字からも分かる通り長尾景虎の遠縁であり、当代の長尾当長も含め代々山内上杉の家宰を務めている。ここが今まで問題にならなかったのは、所領を捨てて憲政に仕えていると思われていたことによるが、どうやら何者かの援軍を引き連れて足利に入ったようなのだ。
足利は地名の通り足利氏の出自であり、立地的にも佐野を下して間もない頼純らが対処することになっていた。ここにひとまず鉢形城の戦いは小康状態を迎えたことになる。
鉢形城の戦い
北条軍 9千500 北条氏尭
上杉軍 6千 長野業正
武将級討死 両軍共になし
長野業正の予想に反し、柄杓山城を接収する垪和康忠の前に景虎は姿を現さなかった。景虎の来襲を未だ知らない北条軍は、東上野一帯を制圧し、憲政の拠点・平井城に迫ろうとしていた。だが、ここまでは景虎も読めていた。
「揃ったか。出撃」
越後衆の到着と同時に、景虎は平井を発ち、足利に入った。
「野戦訓練通りに進める。1千ずつ率いるゆえ、すぐに兵を分ける」
「はっ」
多くの返事が同時に起こる。戦の多く厳しい寒さが訪れる越後の風土と有能な指揮官が合わさり、半農半兵の募兵であっても統率が取れている。
「大将を述べる。本庄実乃、直江景綱、北条高広、長尾景虎、中条藤資、柿崎景家、高梨政頼である」
「はっ」
「一軍から三軍は左翼、五軍から七軍は右翼に展開。機動的に拘束攻撃」
「はっ」
「中央寄りの三軍と五軍は敵両翼を左右へ押し出すべし。四軍にて本陣と勝負を決める」
「はっ」
「飛ばした指示に従うべし。我らは常に寡兵ゆえ、速攻即断こそが鍵」
「はっ」
「以上。展開」
てきぱきと進む展開。敵展開前に間に合うと踏んでいた頼純たちは、完全に展開を終え、旗も掲げずに佇む敵軍に遭遇した時困惑した。
「掲揚」
両軍が戦闘準備を終えると、長尾全軍が一斉に旗を掲げた。それを見た頼純は全てを察し、長綱らに伝えた。
「かの九曜巴は長尾の紋。越後より長尾景虎が参陣してございます」
「何?土着の足利長尾ではないのか」
「あのように全軍が統率を取れた動きをするのは精兵の証拠にございます」
「左様。…上杉も後がないか。ならば腑に落ちるな」
国人衆と清水吉政の隊をバランスよく両翼に配置した。ひとまず初めての相手である景虎相手に様子見をしようとしたのだ。
しかし、それは最悪の手であった。
「進軍」
中軍はゆっくりと、両軍は疾風迅雷に進軍し、両翼同士の乱戦に入った。敵には騎兵も多く、また揚北衆と呼ばれる国人や長尾政景との戦で練度も仕上がっていた。
「上田隊、大きく押されております!」
「敵本庄実乃隊、お味方右翼側面まで回り込んで参りました」
「本陣が突かれるのか?」
長綱が右に注意を向けようとした次の瞬間、左翼中央を柿崎景家が突貫してきた。
「強引な両翼包囲か…?」
「槍衾を作れい!左右と前、三方の敵を寄せ付けるな!」
頼純が戦術考察をした一瞬の間、長綱は指示を飛ばして敵騎兵の襲来を抑えた。落ち着かなければ。
「太郎左衛門が心配でございます。手勢を率いて行って参ります」
「無茶はするでない」
「心得ております」
左翼先端で孤立しかけている清水康英を救わなければならない。柿崎隊に一当てして引いてもらおうという算段だ。
「槍、前へ」
ゆっくり進軍する景虎の四軍は、本陣の陣容を見て前方に槍隊を出すほどの余裕さえあった。攻城した敵がそのまま向かってきている。余剰兵力や援軍はすぐには捻出できない。確実な撃破を狙った。
「弥太郎あるか」
「ここに」
本陣に温めているのは小島弥太郎貞興。無双の豪傑だ。
「槍にて敵陣をこじ開けし後、強引に本陣に駆ける。弥太郎の働き次第だ」
「お任せあれ!」
先に士気を上げておく。
「義兄」
長尾政景。先ほどまで散々干戈を交えていた相手だが、国許に残して危険なら連れてきてしまおうと本陣で使うことにした。
「弥太郎の武功比類なしといえど、人。万一を避けるため、援護せよ」
「承知だ」
いやいやといった感はあるが、それでも遠い上野でむざむざ負けたくはないのだろう。
柿崎隊は足利隊とぶつかって一度下がり、また突撃した。が、さすがに最初の撃力は失われており、再突破を試みたが、穴を粗いながらも素早く埋めた足利隊に阻まれた。
「太郎左、無事か」
「何とか。まだ来るぞ」
わざわざ信濃からやってきた高梨政頼が、左翼先端で激戦を演じていた。
「どれかをなんとかして止めればこの戦勝ちだ。俺はこのまま柿崎を殴る。向こうは頼むぞ」
「いや、没頭するな。本陣がまずい」
予備隊として控えていた里見義弘も右翼に投入された。本陣からどかせる戦力は全部飛ばしたことになる。
「あんまり長居すると佐野が寝返りかねないな」
城を出、後背を突いて挟撃されたら、まさに破滅。
「それはない。長綱様とお前を討ったら、北条は佐野を滅ぼさなければならなくなる」
なんのために北条に降ったのか。康英は余計な恐怖を捨てさせ、恐慌を防いだ。
「…そろそろ戻る。頼むぞ」
「分かった」
頼まれても長尾景虎相手に何ができるか怪しいが、右方から左翼を押している中条藤資を押し返すことにした。本陣と協働して側面を突いて貰う。
「長尾本隊未だ緩歩!本陣前を塞げ!敵進路を断つぞ!」
一方右翼側では、直江景綱と真っ向から当たった成田隊が大損害を出していた。本庄実乃にほぼ側面を突かれ、中央側からは北条高広が押してくる。
「今参る!」
北条隊の側面を上田朝直が突いている。押しているようだが、それでも崩れない。
「美濃守様討死!」
家老豊嶋美濃守が戦死する。内政家として有能であり、兄長泰ではなく激戦となったこちらの隊につけたことが悔やまれる。
「まだ押してくるか…!」
「本庄隊を退かせるぞ。後ろに回られることだけは避けるのだ」
小田朝興も何度か前線に出て、その度に首を取られかけた。両翼共に乱戦であり、どちらも大損害を出しつつあった。
「完勝ならずか」
北条方の急ごしらえながらも頑強な抵抗に損害を出したことで、長尾軍の完勝とは行かなくなった。そうこうするうちに時間は過ぎていく。
「北条、押し込んだか。左方より突貫、本陣を荒らして撤退」
「はっ」
「突撃!」
当初の予定通りに左右に押し広げて裸の本陣を撃破とはいかなかったが、北条隊が敵右翼を左へと押し出しているので、その隙間から入ることにした。
「敵、槍衾を掲げています!」
「弓!槍!」
弓兵が矢の雨を降らせ、槍兵が突貫して北条の槍衾に所々穴を開ける。
「参れ!」
もはやまっすぐ見えた本陣に、小島貞興ら景虎馬廻が突撃を開始した。
「出会え!」
長綱の飛ばす檄に奮起した本陣は、大損害を出しながら貞興を撃退した。同時に長尾全軍は各隊後退し、距離を取ってから一斉に退却した。
「追えぬが、進みたいな」
と頼純がもらしたのも束の間、それを読んだかのように敵の新手として長尾当長が離れて布陣すると、もはや進軍は不可能になった。
足利の戦い
上杉軍 7千 長尾景虎
北条軍 9千 北条長綱
武将級討死
北条軍 豊嶋美濃守




