万喜城、西へ
「里見刑部少輔義堯殿、天津城を囲ったと」
春も過ぎ夏に入る頃、その報せは万喜へ届いた。
「すでに真里谷朝信勢はわずかな守備隊を残して城を去り、小田喜に籠っているとのこと。天津の落城は間近と」
天津は落ちる。いや、落ちた。そう考えるべきだ。なぜならこの時代には情報のタイムラグがある。
となれば早急にアクションを起こす必要がある。
「小田喜に行くか」
そのためにはどこからか兵をかき集めなければならない。
「どうすればいい」
八郎に問う。
「どなたかから借りるのが一番と存じますが…」
どのみち寝返るのだから返す公算も低い。良心が痛む。
「単騎で行くか?」
「何をおっしゃられます。竹様はどうなさる」
幼い妹を引き合いに出されてはぐうの音も出ない。これで強行突破の線も潰れた。
「外から引っ張ってくるか」
ここでなんとか活きるのが3枚目の書状、真里谷への書状だ。小田喜城への救援を要請し、急場しのぎの兵力を用意する。その上で切り札が出るまで耐えればいい。
「これなら土岐の兵はそのまま返しても問題ないな」
家中で城主格の将を何人かあたると、鶴見行綱が100ほど貸してくれた。小城主からしたら相当な数だ。
「なんの、ご武運を」
理由がないように見える好意だが、一応先の戦で主を救ってくれた恩人扱いになっているらしい。人の縁とは見えないところにあるものだ。
土岐為頼に最後に挨拶に行くと、名残惜しいのか厄介払いできて嬉しいのか分からないような顔で別れを告げられた。それもそこそこに、城門を開け放ち、ゆっくりと旅立った。
100の日帰り兵を率いて小田喜城の門戸を叩いた国王丸は、当然ながら一度締め出された。真里谷家と対立する里見の兵など城に入れるわけがない。
そこで兵を帰し、真里谷への救援要請を送ると、とりあえず国王丸と八郎、それに竹だけは入れてもらえた。
「土岐に与していた者が何故にここに参った!」
すぐに里見が来れば長い籠城戦が待っている。城内は皆張り詰めた空気になっている。
「お忘れにならぬよう。小弓公方家はもともと真里谷殿と友誼を結び、共に戦っていたのでございますぞ」
ここは俺が喋って斬られたら元も子もないから代わりに喋ってくれと言われている八郎は、額に汗を浮かべながら釈明する。
「国府台で損害を受け、味方であった里見に身を寄せたところで刑部少輔が裏切ったのでございます。こうして真里谷の軍門に入った以上咎められるいわれはございませぬぞ」
少々高圧的だが、筋は通っているはずだ。冷や汗を浮かべながらもなんとか落ち着いて話す。
「左様か…なれば我が家の威も少しは上がろう」
ここで引き下がってくれたのは、納得してくれたのか、それともそんなことを気にする余裕がないほどこの城が危ない状況だからか。
5日ほどで真里谷軍後詰がやってきたが、城には交代の休息を除いて入らなかった。いつ敵がやってくるか分からない。籠城戦で引き分け以上に持ち込むのは難しいのだ。
この時点での編成はこんな感じである。
真里谷軍
真里谷朝信 1千200
真里谷信正 300
真里谷信政 1千
足利国王丸(指揮:逸見八郎) 200
里見軍
???
信正は朝信の子で城兵だ。援軍の将は信政で、これは真里谷信隆の嫡男だ。第一次国府台合戦で親里見の真里谷信応が弱体化し、信隆が北条から舞い戻って当主に返り咲いていた。信応は里見に逃げたようだ。嫡男を出してくるあたり、真里谷は小田喜城を重要視しているのがわかる。
そして国王丸の兵は当然ながら借り物である。
そのさらに2日後、ついに里見本軍がやってきた。
「里見は家臣も一門が多いから旗では分からんな」
国王丸がぼやく。やはりしっかりと敵情を把握する必要があるようだ。
やがて見張りのある兵が叫んだ。
「あれは御家の旗じゃねえか!?」
「どれだ!」
「あれだ!向かって右だ!」
御家の旗。武田菱。各地に散らばり武田を名乗る甲斐源氏の一門が、揃いも揃って家紋とする紋だ。
「真里谷信応が来たか」
のぶまさばかりで紛らわしいが、そんなことを気にかける余裕などなかった。
「つまり信応を小田喜に入れるつもりってことだな」
「それは…確実に落とすつもりだということでございますな」
おそらく相手は本気だ。
「敵勢の将分かりました!」
ようやくやってきた見張りの兵が真里谷朝信に告げた敵の陣容はこうである。
里見軍
正木時茂 1千300
正木時忠 1千200
真里谷信応 600
安西実元 200
村上信濃守 200
真里谷軍2千700に対して里見軍3千500である。
「多いな」
どちらもそこそこ無理をしているのは明らかな兵だ。
「籠っては余計に不利だな」
独り言に真里谷朝信が返す。
「兵を再編する。我が子信正に100のみ残し、あとは全て打って出るぞ」
それでも兵は劣勢なのだが、地の利を活かせば勝てない数ではない。
「開戦の前にしばしの猶予を取る。軍議をせよ」
真里谷信政が入城して、その場の将たち全員で軍議を行った。
「あれをやっといてくれ」
「承知いたしました」
その席に入る直前、八郎に腹案の実行を命じた国王丸は、軍議ではひたすら聞きに回った。新参が口を出しても意味がないし、船頭は多ければ船は山に登ってしまう。
「叔父上を残しては面倒だ。まず最初に潰すぞ」
口火を切ったのは信政だ。真里谷信応隊を叩くつもりらしい。朝信が答える。
「なれど若様、敵は鶴翼の陣を敷いてございます。真ん中に陣取るかの隊を叩けば、両翼の正木兄弟に挟まれるは必定」
鶴翼の陣。本陣から斜め前方に軍を伸ばし、真ん中を狙ってきた敵を挟撃する陣だ。兵が敵より多ければ絶大な威力を発揮する。
ただ、確かに御家内紛の原因である信応を生かすのは下策だ。あの男がいる限り里見は真里谷介入の名目での侵攻の理由を持ち続ける。
「しかしいずれにせよ正木は手強いぞ。なれば叔父上を討ち、一矢を報いて退けばよい」
一理はあるが無茶だ。これだけの数の軍をそんな素早く方向転換できるわけがない。だが対案が浮かぶわけでもない。朝信はそんな顔をしている。
「一つだけよろしゅうございますか」
「何じゃ」
数えで8つのガキが口を開いたのがよほど意外だったらしく、信政は驚いた声で言った。
「この戦の大将はどなたにございますか?」
一見すれば単なるガキの興味だが、答えるものはいなかった。
序列で言えば信政だが、ここの城主は朝信。しかも彼には経験がある。例えば混戦の時。二人の大将から発せられた二つの命令が矛盾していたら。双頭の龍は頭の向きを変えられれば動けなくなってしまう。国王丸はそれを何も言わずに突きつけた。
「なれば朝信殿、務められよ」
若い信政が弁えて譲ることで、指揮系統の問題は何とか解決されたと思いたい。この若者が愚かでないことを祈るばかりだ。
結局魚鱗の陣、攻撃に優れた陣形で攻撃を行うことを決めてその場はお開きとなり、すぐさま皆準備にとりかかった。