長野の襲来と空転
「遠山綱景が不穏な動きを見せております」
当たり前だろうが。この機に攻めずしてどうする。俺も結城まで行きたいくらいだ。
「業正、伝わってきておらぬのだが何があった」
「お耳に入っておりませぬか…他の連中は何をしているのだ。伊勢の援軍が小田に入り、結城・小山を破ったとのことにござる」
全く、管領様を軽んじるとはそれでも俺の家臣か。
「下野まで出てくるのかの?」
「そればかりは判断がつきかねますが…宇都宮の力をも合わせ、領地は攻め取られぬようにせねばなりますまい」
「そうか。安泰かの?」
「それが、北下野の那須が軍備を始めているようにて。文にて問い質したところ家臣に謀反の動きありなどと抜かしておりましたが、真か否か分かりませぬ」
いかん。主の前だというのに苛立ちが出てしまった。全ての戦線を俺が指揮できればこうはいくまい。管領様の直参ではなく一大名である俺の立場と、いくつも体を持てぬ人間とが苛立たしかった。
奥へ上がられた管領様と代わるように、長野道賢が入ってきた。
「お主か」
「聞いたぞ。鉄砲とな」
「訳の分からぬものだ。すぐにでも盗まねばならぬ」
矢とは違う。甲冑を貫けるというのだから恐ろしい。しかも足利頼純は数を揃え、前面に並べて使った。戦線を面で制圧できる。有用だ。不穏ではあったとはいえ、まさかこのような動きだとは思わなかった。
「どうすれば対策できよう」
「仕組みがわからぬ。しかし火薬を使っていたと申す者もおるゆえ、雨天を選ぶがよかろう」
「川辺での戦などできぬな」
「うむ」
こちらの動きが制限される。なるほど、これは厄介だが奪えれば強力な武器になる。ますます欲しい。
さて、そろそろこちらも準備が整った。攻勢に出てみるとしよう。
長野道賢以下の1千ほどが新田金山城へ向かった。これを陽動とし、俺が率いる本軍が武蔵に入った。
「あれは?」
「ほう、本庄城がかくも立派になったか」
三つ鱗の旗が上がっているので城将が誰かは分からない。ひとまず包囲するのが慎重策だろう。
半月経ったが城は落ちない。相当入念に兵糧を貯めたと見える。
「連中が引く気配はないのか?」
「おそらく。捨てずとも勝てると思っておりましょう」
管領様が息を吐く。俺も情けない。
「殿、文が」
ようやく城将から文が届いたが、今すぐ撤兵しろという脅迫文だった。差し出し主は老将大道寺盛昌だ。じじいがご苦労なことよ。
「そういえばこやつは河越を任されていたな。出張って来たということか」
確かに河越まで今すぐ行くだけの力は我らにはない。悔しいが事実だ。
本庄城はやがて落ちた。なんとか半年かけずに済んだ。盛昌は取り決めに従って後ろに下がり、管領様と一部の軍を入城させた。これは大きい。関東管領勢力が武蔵に再起したのだ。
「殿、宇都宮より報せが参りました」
落ち着いてこんな時にか、と思って見ると、また俺は走る羽目になったようだ。すぐさま適当に兵をかき集め、寡兵でもいい、下野に向かった。
丸に一文字。聞いた通りだ。那須氏が宇都宮に宣戦、直後に交戦した。場所は下野の喜連川だ。俺の軍は駆けて来たので疲労困憊し、使える状況になかった。
「進め!」
声を上げるのは宇都宮尚綱だ。数では圧倒的に勝っている。勝ちは揺るがぬと宇都宮勢の誰もが思っていよう。
だが俺には見える。あの坂に伏兵がいるはずだ。少なくとも、俺ならばあそこに置く。那須高資が余程の愚将でない限り、あの程度の策も張れずして宇都宮に喧嘩を挑むことはあるまい。
半刻もして那須軍が大きく後退すると、宇都宮軍は前進した。あれは前が見えていない。俺に指揮を取らせろ。そうすれば絶対に負けない。現に勝ち戦ではないか。その愚かな采配をやめろ…そう叫びたかったが、それには遠い。旗を揚げきれていないからか、そもそも両軍とも俺には気づいていないようだ。
ああ、やはり。伏兵はそこにいた。当たってほしくない予想が当たり、頭を抱える俺を尻目に、宇都宮勢は崩れだした。今すぐにでも加勢したいが、兵はとても使える状況にない。こんなにもどかしい思いをするのならば、いっそ来なければよかったか。こうも早くに決するとは思わなかった。俺の采配違いだ。
三つ巴紋がいくつか前に出た。宇都宮一門だろう。宇都宮は名家ゆえ一門が多い。あれは多功長朝か。猛将だがここからどうしようもあるまい。こちらが準備でき次第横合いを突くのだが…。
最終的に宇都宮軍は崩壊した。俺の疲弊した寡兵が鶴翼に布陣する頃には戦闘は終了し、那須軍は俺の軍を見て引き上げた。
「…やってしまったな」
事態の深刻さに思いを致すだけで気が遠くなった。しかしもはやここに居てもやることはない。すぐに戻って武蔵侵攻を計画しなければならん。
やがて全ての戦果の集計が終わった。
喜連川五月女坂の戦い
那須軍 500 那須高資
宇都宮軍 3千 宇都宮尚綱
武将級討死
那須軍 なし
宇都宮軍 宇都宮尚綱、満川忠親、横田綱維 ほか
宇都宮尚綱自身の討死はなんといっても痛手だ。一門の横田氏に至っては五兄弟が全滅している。満川は常陸の笠間氏の家臣のようで、はるばるやって来て戦死したということか。
かねてから宇都宮では芳賀高照が専横し、奴が追放されてからも壬生綱房が牛耳を執っている。実際壬生には異心があり、聞くところによれば混乱に乗じて宇都宮城を占拠したようだ。両者が結べばこのまま宇都宮家は滅亡し、それを手土産に那須が北条の軍門に降る可能性すらある。そうなれば下野に巨大な敵対勢力が新生し、為すすべがなくなる。
危機感を抱きつつ、落ち着く為にその夜は眠った。
一両日中に寄居の鉢形城まで迫り包囲した。焦っている自覚はあったが、時間を無駄にすることはできなかった。戦略的要衝の割に敵兵がいる気配もなく、やけに静かだ。どう取るべきか悩む。
「ここは懐かしいぞ」
「確かに、管領様の旧領にございますな。一日も早く奪還致しますゆえ」
「うむ。頼むぞ」
鉢形城は山内上杉の本拠だったこともある御由緒ある城だ。ここを取り戻すことには大きな意味がある。その上上野から武蔵に通じる出口であり、取れれば意味は大きい。
包囲中に文が来て、北条が結城氏に大打撃を与え、その上下野に侵攻したと知った。まあいい。佐野がいるし、小山もいる。上野まで来ることはあるまいし、それを想定した作戦計画は組んである。今回は鉢形城で手打ちだ。
そう思っているうちに届いたもう一通の文は、和睦を求めるものだった。弱気だな、と思いつつ管領様や諸将と共に広げると、そこには思いもよらない現状と未来が広がっていた。




