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野州の野心

「駄目だ」


小田氏治の難儀を尻目に、北条としてはいかに戦をせず介入するかが問題だった。

「兵を出した時点で出費はかさむ。そんなこともわからぬのか」

松田盛秀が不機嫌そうに言う。兵で威圧すればよいとの案が出ていたが、結局兵を出すのでは意味がない。

「両者に誓文を出させては」

どこからか声が飛ぶが、今度は頼純が一蹴する。

「この末法の世、文などに意味はありませぬ。それに結城にしてみれば文を出す理由すらない」

「介入しなければよいのではないか」

山角康定(やまかどやすさだ)が漏らす。しかし石巻家貞がそうではないと窘める。

「常陸一国に敵ができるのは、上州を向く当家としては側方の脅威にあたる」

そうか、と康定は一言言って考え込んだ。後ろの方では垪和氏堯(はがうじたか)、長綱の子北条綱重(つなしげ)、それに上田朝直らが議論していた。

人の多くまとまりのない議場も、北条氏康が入るとすぐに静謐になる。

「纏まったか」

「全く」

聞きに徹していた長綱が茶化すと幾人かが笑う。

「いっそ常陸は捨てるという手もある」

氏康の一言にいくつか唸り声が上がる。せっかく上げた影響力を失うのは惜しいということだろう。

「あるいは手助けし、見返りに臣従させるというのもある」

「それは成りますまい。向こうも名家の誇りがある厄介な連中にございます」

「小田一つ飲み込んでも旨みはございましょうか」

「南常陸の過半ではあるが、結城や佐竹と国境を接してしまう」

「鬼怒川下流の平地ではあるゆえ年貢は取れようが」

両案決着がつかない間に、氏康は第3案を募った。

「申してみよ」

真っ先に乗り出した頼純は、すぐに盲点を指摘した。

「最悪の場合を考えるべきにございます」

「最悪?一度の戦で小田が滅びるとか、氏治が急死するとかか」

「それよりも悪しきことが。小田が自力で結城を跳ね返した場合にございます」

理解が追いつかない面々もいるが、多くの将はその可能性を真面目に検討しはじめた。

「確かにその場合、もはや恩は売れなくなるな」

「ばかりか小田が北条頼りなしと断じて寝返るやもしれん」

そこで発想を転換する。

「なれば、戦が起こらぬことこそ最上」

緊張状態だけを継続させる。物的・人的資源の消耗がなく、関係も徒らに動かない最上のプランに思えた。

「分かった。一門にて再考する」

明言しなかった氏康はそのまま引っ込み、聞いた家臣たちもそれ以上口を出すわけにもいかず次々去っていった。


「しかしおとなしくはなされぬのでございましょう」

「兄上、どうかご自愛くださいね」

竹姫ももう数えで11になる。誕生日は迎えたはずなので、満10歳だ。誕生日、なかなか意識することがない。

「そうだな…出来ることは限られている。無茶もできんさ」

思考が袋小路に迷い込み、ひとまず別のことに思いを致した。常陸の名所、うまいもの、名士、まで考えたところで小田氏治に戻ってくる。どうやら宿命のようである。

「向こうも命削ってそうだな。真剣に応対してケジメをつけてやらんと」

そう言って寝転がると里見義弘が入ってきた。

「どうした」

「考えがまとまったかと思ってな」

逸見頼長が立とうとしたので跳ね起き、すぐに茶を持ってくる。

「これはご無礼を」

「いい。それよりその口ぶり、お前は腹案があるとでも言いたげだな」

「別にそんなことはないんだが…基本的なことだ。後ろをかき乱せよ」

「ほう」

常陸は小勢力が割拠し統一されていない。のちに台頭する佐竹氏は現在対北条大同盟に入っているが、小田以外の多くの大名が帰趨を明らかにしていない。

「恐らくはそのうち使者がくる。隙を見て軍事介入した方がいい」

「やはりそうか…そろそろ戦間期も終わりだな。短かった」

「仕方ないな」

「無益な時間ではなかったさ。技術は革新され、領地は整備された」

棒道という軍事路を各地に建設、前線基地までの移動をスムーズにしたり、東下総で多少採れていたイワシを干鰯として周辺の農家に回したりした。年貢の納税量も少し上がったようだ。

頼純自身では、外海にも耐えうる船の建造を開始した。数隻作るので彼の持ち金はあらかた吹き飛ぶが、交通の便はそれを補って余りあった。海路は陸路より速い。


「さて、大同盟ができたとはいえ公方殿も安泰ではなさそうだな」

義弘が話を戻す。

「古河公方を潰すのは最後でいいだろう。敵が蜂起する理由になってしまう」

「その通りだ。同意する」

そして今一つ、北関東に残った不安定要素の話が始まる。

「先ほど清水の叔父上から聞いた話なのだがな」

「おう」

「地理的に近いのに、北関東大同盟に加わっていない勢力があると」

「…どこだ?正直名家どころは全部出ただろう」

「那須だ」

「…芳賀か。分かった」

「よく知ってるなお前」

「俺はなんでも知っている。それで?動きがあったのか?」

那須家はかつて上下二家に分かれており、今隠居で悠々自適の生活をしている那須資房(なすすけふさ)が統一した。現当主は資房の孫にあたる那須高資(たかすけ)で、外交面での実績はあるものの、古来から独立性の強い那須家中を統制するには至らなかった。しかしそれでも那須家の勢いは強く、内紛が小康状態であることもあって無視できない勢力だった。

「来年にも戦が起きそうだ。火種もあるしな」

芳賀高照(はがたかてる)。もともと宇都宮家に仕えていたが、当主の尚綱と対立、那須家に亡命して再起を図っている。芳賀氏は昔から主家と折り合いが悪く、どう暗躍してもおかしくはなかった。

「なるほど。これで一つ時限ができたということだな」

「あと数ヶ月、どう動く?」

「天文20年ごろまでに上杉憲政を骨抜きにしよう」

明確な目標に義弘も面食らう。

「あと2年ほどか。大丈夫か?」

「やって無理なことはないだろ?」

そう言って机と硯を持ち出すと、義弘と頼長が筆と紙を持って来た。早速筆を走らせる頼純を、皆それぞれに眺めていた。


年明け後、頼純は2枚の書状を持って幻庵のもとを訪れた。一つは那須へ、もう一つは宇都宮へ宛ててある。

「どちらを取られるか、お戯れにお決めくだされ」

決して北条家の公式の意向ではない、と強調する。派手に功績を立てれば睨まれる相手も増えるのだ。

一通り目を通した幻庵は、やがて一方を差し出した。

「好きにせよ」

意を汲み取った頼純は、一つの大名家の終焉を見た思いでその場を去った。

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