箕輪大盟約
「暇か」
老人が部屋に入ってくる。呼びつけたのは俺だ。
「呼んだのだから暇だ」
言いつつ俺は上座を離れ、俺と共に下座につくべき連中を呼び寄せた。
「儂のようないつ死ぬか分からぬ老体までも動かすとは…正気か」
「じじいだけではない。信頼できる坂東の将は全て集めた」
「なんと」
ぞろぞろと揃う男たち。それを見て、俺は控えていた主を引き入れた。
「此度は儂のために大義。すまぬの」
ここのところ心労をお溜めになったのか、関東管領上杉憲政様のお顔は少しやつれて見えた。
「では管領様、それがしが集めた勇将どもを紹介いたしまする」
「頼むぞ、業正」
俺の、長野信濃守業正の誇りにかけて集めた連中だ。
「まずは我が同族、厩橋長野の長野賢忠、その子の道賢にございます」
先ほどの老人とその息子が頭を下げる。厩橋城の城主だ。
「次いで管領様の御同族にあらせられる、深谷上杉の憲賢殿」
管領様の直属の家臣にもあたる。今更挨拶するまでもなかろう、笑顔で軽く会釈した。
「上野東方の桐生の地を治める桐生助綱殿、その家臣で安房里見の一族の里見勝広」
「なるほど。里見とあらば国王丸めに恨み骨髄であろうな」
「はっ。それがしは奴と直接面を合わせたことはございませぬが、兄義堯を打ち破られたのは許せませぬ」
流浪の民多き戦国の世、誰かに恨みを持つ者はどこにでも転がっているということだ。縁は奇なものというが、まっぴらだな。
「さらには管領様の家臣、沼田の沼田顕泰、岩櫃城の斎藤憲広、武蔵衆ではございまするが本庄実忠、さらには信濃で武田に追われた浪人の海野棟綱、真田幸隆、諏訪満隣、沢重信、茅野房清」
海野はまだしも、諏訪の残党がここにいるとは北条も思うまい。
「敵は一つに絞るべきにて、武田とは秘かにひとまずの和を結び、北条に集中することにいたしました」
「そうか。だがまだ名の上がらぬ者がいるようだが」
「それに関してもただ今。桐生殿の同族、下野の佐野泰綱殿が協力を申し出て下さいました。使いの早川田唯種殿にございます」
「そうかそうか」
「他国衆はこれのみに留まりませぬ。ただいまも北条と結んだ小田と下総や常陸で合戦に及んでいる結城政勝殿、結城とは血族である下野の小山高朝殿、管領様の御親族でもあらせられる常陸の佐竹義昭殿、寝返った上田朝直を叩いている太田資正殿とも裏で連絡を取り合っております。さらには結城と仲の悪い下野の宇都宮尚綱には寝返るよう交渉中にございます」
「ようそれだけのものを作った。流石は業正よ」
「なれどまだ穴は多し。地盤を固めねばなりませぬ。まずは上野の各地に蟠踞する去就の怪しい連中に鉄槌を下さねばなりませぬ」
「して、それは誰ぞ」
「まず那波宗俊は北条と宜を通じようとしている模様にございます。他にも甘楽の小幡憲重、新田金山の由良成繁を倒すべきでございます。それに際し、北条のような整備された軍制を整えることでございます」
「北条に倣えと申すか」
管領様が不機嫌なお顔をなさる。いかん。
「敵の強みを倣い、弱みをつく。戦の基本にございます」
「そうか。お主がそう言うのならばそうなのだな」
やはり聡明なお方だ。理を示せば曲がっていただける。
「すでにここにいる者どもには通知を致しております。だんだんと整ってきているかと」
何人もが頷く。兵農分離、思いついた時は革新的だったやもしれんが、すでに北関東の連中にはバレている。舐めるなよ。
「では、お下知を」
「この和を反北条大同盟とし、親北条派の撃滅を目指す。第一に小幡、第二に那波、第三に由良を駆逐し、上野に安穏をもたらせ」
「はっ」
これで全員が団結したことになる。
「しかしよいのか業正よ。お主の息子は…」
「兵法書にもございます。情けに動かされる者は戦を敗北に導くと」
恋しくないわけではない。ただ、目的を見失ってはならない。
「それに次男もおりますゆえ」
それは負け惜しみだった。心中にじみ出ていたのかもしれない。
「…そうか」
小幡憲重への侵攻は即座に行われた。憲重は準備が終わっていなかったようで国峰城に籠城した。堅固な山城で、力攻めは至難の技だったが、やがて城主一族は武田へ逐電した。賢忠爺さんが病に倒れたので、道賢と共にひとまずこの城に入れた。
那波宗俊は慌てたが、由良成繁は冷静だった。素早く手を回して北条の軍が松山城に流れ込んだようだ。しかしまだ攻勢が均衡に持ち込まれただけ。冷静に対処すればよい。
この場合、戦略上の要点が二つ出来たことになる。一つは本庄実忠の東本庄館で、桐生、佐野、長野と連携して那波・由良両家を包囲できる。また逆方面では、岩付城の太田と松山城を挟撃できる位置にもある。かなり規模の大きな話だが、要衝に変わりはない。
二つ目は宇都宮家だ。ここが結城につくか小田につくかで下総常陸、すなわち反北条大同盟東部戦線の戦況は決する。どちらの工作が功を奏するか。
さて、まだ挙げていない最後の味方が古河公方家だ。結城が落ちれば敵中に孤立することになり、河越と合わせて処分は免れえない。そうなった時点で戦線離脱だろう。
北条は手が届き次第義氏様の擁立に動くはずだ。それを阻止するために、東部戦線の勝利は必須となってきた。いよいよ追い込まれてきたか。
というわけで、間髪入れずに那波の那波城、赤石城を攻めるとしよう。
考えたくないことだが、仮にこの同盟が失敗したとしても、この長野業正の目が黒い限り、ここ上州箕輪城で管領様をお守りできる。俺が入ったこの城を抜ける者などこの世にはいない。
舐めるなよ、北条左京大夫氏康。




