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凱旋

「忙しいのはここからなんだよな」


入城するなりそう言う俺の目に、戦勝に沸く兵と忙しく動く将が飛び込んで来た。戦後処理に気を向けるまでもなく何も終わってなどいないことを思い出し、友人をまとめて本丸内に急いだ。

「国王丸。原から書状だ」

遠山綱景が投げてよこす。

「なんと書いてある?」

その内容をどう取るべきかわからず、俺は書いてあるそのままを告げた。

「援軍無用、と」

たちまち場は困惑する。俺も堪り兼ねて御本城様の判断を仰ぐ。

「どうします?」

焦りからひどくフランクな口調になってしまったが、緊急性ゆえか誰も気にしていないようだ。それぞれに考えているようだが、やがて下総からの伝令がやって来た。

「伝令!申し上げます!下総臼井城の戦にて、千葉旧臣の武者に率いられた井田友胤、山室常隆らの軍勢により千葉軍が壊滅!寡兵にて佐倉城に籠りましたが、やがて降伏いたしました!」

場がどよめく。名門千葉家が、どこの馬の骨か知れない無名の名将にズタズタにされた。御本城様はじめ数人が同時に叫ぶ。

「その男の名は」

白井胤治(しらいたねはる)、と申しまする」

その名前に納得したのは俺だけだった。のちに臼井城で上杉謙信すら跳ね除ける名将だ。その名さえ伝わっていれば下総は心配しなくて済んだかもしれない。

臼井城の戦い

千葉軍 2千 千葉利胤

臼井軍 2千 臼井胤寿、白井胤治

武将級討死

千葉軍 なし

臼井軍 臼井胤寿


「となると河東だな」

原胤清の真意はわからないが、主君として信じることにした。仮にダメでも土岐はいつでも踏み潰せるはずだ。原隊の寡兵では難しかったかもしれないが、大軍を動かせば金谷逆上陸も可能だろう。

「ひとまず小田原まで帰り圧をかける。千葉利胤は小田原まで送らせろ。それと白井とやらも顔が見たい」

「はっ」

御本城様の最善策に皆が頷いた。白井胤治、登用されるのだろうか。少し気になった。


河越にいる間に多くの国人衆から服属の申し出があった。御本城様は受けようとしたが、俺は臣従でなければ不十分ではないかと述べた。

「そうか?」

「上杉を圧し上野を抑えたあと、我らは越後とも国境を接しまする。越後の長尾は上杉と縁深く、また雪国の精強な兵で厄介でございます。侵攻して来たときに前線が寝返っては致命的ではございますまいか」

「一理はある。続けよ」

「あるいはせめて小田原まで来させるべきかと。その程度できずして服属など信じられますまい」

「なるほど。後者を採る」

服属を願い出る小大名には小田原城へ登城させ、そこで裁可するということだ。中央集権に向けたアピールという側面もある。


藤田康邦と大石定久は当然のように小田原へついてきた。俺は松田盛秀に頼み込んで兵を交換してもらい、消耗の少ない松田隊と共に長久保へ先を急いだ。

「伊豆を抜けたな」

「もうすぐ着いてもいい頃だ。あいつらを死なせるなよ」

「当たり前だ。何を今更」

里見太郎が返す。その時通った藪は、里見と和解できたあのやりとりと同じ場所だった。

「なるほど。もうすぐだな」

「一休みするか?」

「…いや、刃を交えるつもりはない。このまま進もう」

二月ほど止むを得ず放置していた。そろそろキツいだろう。一刻も早く向かってやる。


「北条家臣、足利国王丸と申す。此度は和平交渉に参った」

河東は俺が切り取った地ではないからだろう、長久保は守り抜けと命令を受けている。交渉相手は朝比奈泰能で、智勇併せ持つ威厳ある男だった。

「河越で戦があったことはご存知か」

「はて、左様なことはお聞き申さぬ」

「上杉と図って北条を南北より挟撃したのは今川ではござらぬのか」

「なにゆえ斯様なことを申される。証拠でもござるのか」

「泰能、もうよい。話を早くまとめよ。終わったことは致し方ない。この男を陣からさっさと引き払わせたいゆえな」

現れたのは今川義元本人。慌てて俺も深く頭を下げて礼をする。

「確かに裏で手を結び戦に及んだのは事実。して、それと何の関わりがある」

ため息をついて再度口を開いた泰能に、俺は淡々と告げる。

「河越にて上杉・足利連合軍8万と合戦におよび、夜襲にて敵本陣を壊滅させ、7倍の兵力差を跳ね返し当方勝利してござる」

「何だと?」

「死線を切り抜けた精強な兵は小田原に凱旋し、今や余裕とばかりに休息をとってござる。主左京大夫が号令をかけさえすれば」

「みなまで申すな。要求を申せ」

「長久保城と吉原城の間に国境線を引くこと」

長久保城の戦い

今川軍 8千 今川義元

北条軍 2千 逸見八郎

武将級討死 両軍共になし


なんとか言いくるめて長久保城の守備に成功し、八郎たちを城に残しつつも駿河方面を収拾した俺は、小田原に帰るなり祝勝の宴が終わっていることを聞いて一晩不貞寝した。日が昇りきってから起き出して御本城様に報告をすると、褒賞がわりに一両日中に元服するように申し渡された。

「他の家臣と同時に行い、烏帽子親は儂が務める。異存あるか」

「ございませぬ」


元服時の後見人をあっさり得た俺は、武蔵や上野の情報を集めつつ常陸にも目を向けていた。小田がどう動くのか気になっていたのだ。しかし動きはすぐそばで起こった。

「千葉利胤、小田原城内で倒れたと」

まだ処断が下っていないのに?そう思って記憶を遡れば、なるほど彼は病弱だったという。そのうち死ぬというのもあり得る話だ。

「利胤が本当に死ぬ前に片付けるべきではござるまいか」

でなければ処罰にならない。だが御本城様は難色を示した。

「武蔵国人衆の態度がまだわからぬ。それにお主が召し捕った長野吉業、あれはどうするのだ」

当然だが課題が山積しすぎている。千葉家は揉めそうな予感がしたが、ひとまず人員が欲しい。裁可を仰いで八郎と時茂を長久保からようやく呼び戻した。

「殿!ようなされた!」

時茂は里見を見て嬉しそうだった。八郎はしっかり今川の撤兵を待って戻ってきたと誇らしげだった。

「しかし河越、歴史に残る大戦。いかにして勝ったのでございます」

「全部日記に書いた。かいつまんで言えば、敵が油断しすぎたところを夜襲したというだけの話だ。つまるところ相手が弱すぎただけで、大成功ではあるが戦訓を得るような戦じゃない」

俺の自己評価の低さは相変わらずだが、今回は御本城様の評価を下げていると取られかねないからか、八郎も少し怪訝な顔をした。

「つまりどういうことでございます」

「大博打というのは一回やるから勝てるんだ。何度も何度も繰り返し繰り返して勝ち続けられるようなもんじゃない。無論、賭ける時機を見逃さなかったのは御本城様の手腕だが、今回はそれだけの話。まだいくつも引き出しが残ってるべきだし、実際そうだろうよ」

つまるところ歴史的大勝利というのはただの博打に過ぎない。それをもって過大評価を下すなど言語道断、ということだ。

などと色々言っていたが、まだ一つ言っていないことがあるような気がした。

「…おかえり。八郎」

「はっ」


人手が増えて素早く屋敷が片付いたので、ようやく里見屋敷から竹を引き取れた。

「兄上!」

見ない間にも大きくなった。今は9歳か。

「人の家に預けてばっかりで…その、悪いな」

「大丈夫!友達いっぱい増えるから!」

精一杯気を使われているような気がして心が痛んだが、それでもその笑顔に救われたような気がした。

「さて、安房、片付けるぞ」

やっと落ち着き、そう息巻いた刹那、胤清からの報告書が届いた。

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