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こころ

「よし」


速攻で小田原に入った俺はようやく各地からの情報を手に入れた。それと並行して、すぐさま荷駄隊に村上信濃の護衛をつけて長久保へ送り込んだ。

「そこでいい」

俺の屋敷より里見屋敷の方が練兵場に近い。間借りして本陣を一時置き、一旦全ての情報を整理した。

「おっ、やべえな」

地図上に書き込まれた状況図を見て思わず漏らす。


まず河越。俺の知る史実通りに北関東中心に8万の大軍を集めて包囲している。河越には北条綱成3千が詰め、さらに上杉軍より外側に御本城様以下6千が布陣している。

ここで史実では8千ほどだったという違和感が走る。少なくとも俺が強兵策を打ち出したので、兵が増えることはあっても減ることはあるまいと思っていたが、単に他に引き抜かれているだけのようだった。


そのほかの戦場を見ていこう。

一に長久保城。これは兵を今更割けないので落ちないことを祈るしかない、というか落ちる前に終わらせる。

二に上総。鎮守のために残したはずの土岐為頼が逆に謀反を起こし、久留里城攻めに回っている。どうしようもない。

三に下総。これが一番厄介だ。千葉家当主だった千葉昌胤が亡くなり、それに伴う内乱が起こったという。

「今年だったか…」

千葉昌胤の没年が史実通りだっただけに、押さえていなかったことに天を仰ぐ。

昌胤の死後家を継いだのは利胤(としたね)だ。彼が弟だった海上胤盛(うなかみたねもり)を斬ったという。罪状は本家の意を汲まず、勝手に北条に臣従したことだそうだ。本当にそれを糾弾したかったのかは分からないが、それ以上の情報がないのでなんとも言えない。

ここで戦慄したのが別の弟臼井胤寿(うすいたねひさ)だ。元から利胤と対立していた彼は、兄が弟といえど手打ちにする覚悟があると知れてすぐに千葉家を出奔、臼井城に立てこもったという。しかしその入城までに重傷を負い、臼井勢は名前も伝わってこない無名の軍配者に率いられているらしい。千葉勢は臼井城を囲んで睨み合い、本来河越に行くはずだった千葉軍は一兵たりともやってこないという状況になった。

さらにいえば、北条家は半ば自らを裏切った千葉本家の味方をするわけにはいかない。千葉家臣は皆敵に回ったも同然だ。臼井勢に祈りを託すことになる。


土岐家謀反の報が入った時点で、原胤清を回路で金谷に送った。久留里が間に合うかどうかは分からないが、なんとかなってほしい。

ということで俺の手元からも400が消え失せてしまった。これをなんとかしてから河越に向かいたい。幸い決戦まで移動時間を抜いてもあとまだ一月ある。

「国王!太郎!」

陣を構えて地図を描いた、その日の夜のうちに大道寺孫九郎が訪ねてきた。

「行くのか?」

「ああ」

「俺も行く」

どうしようか迷った。孫九郎はのちに武勇の士となる。指揮官としては申し分ない、が、万一討死でもしたら俺では責任が取れない。

そう考えて少し黙っていると、後ろから松田小六郎と笠原竹若丸も現れた。

「俺たちは見損なっていたのかもしれない。お前が北条に尽くすというなら、ひとまず俺にも身を預けさせてくれ」

小六郎が言い、竹若丸も述べる。

「まだ俺は一人では何もできない。だから今は、お前と手を取り合わせてくれ」

「なんで断る理由がある。まずは二人でこいつらを頼むぞ」

「おう」

負傷兵と入れ替えた練兵場の兵だ。これを松田笠原隊300とする。

「んで、お前は足りない400を…」

「待て」

駆け足で近づいてくるのは、聞き慣れた声だった。

「遅れてすまん」

「南豆の加納矢崎城まで使者を送って連れてきた。これで揃ったな」

「さすがだ」

「加納矢崎城から城兵400を連れてきた。ここから200を割いて孫九郎に与えればいいか?」

「完璧だ。兵力もぴったり2千。明日一日兵を休ませ、明後日発つぞ」

「おう!」

6人の少年たちは結局一つ所に集まり、意気込み新たに決戦の地河越へ向かった。


まだ俺にはやることがある。

「土岐殿が上総にて謀反を起こしました」

娘として、蓮殿には知る権利があった。

「そう…ですか。なれば、お討ちください」

そう言うだろうとは思った。しかし、俺はそれでは満足できなかった。

「それがしは親を戦にて亡くしました」

「申し訳ありませぬ」

無礼だったか、とでも思ったのか頭を下げる。

「頭をお上げくだされ。左様なことを申し上げたかったのではございませぬ。ただ…」

「…ただ?」

「ただ、一度しっかりお話しされてみてはいかがでございます?」

「話など…今は敵味方では」

「そこをなんとかするのが、それがしども武士にござる」

この親子も和解しなければならないような気がしていた。逸見八郎、土岐為頼、俺の二人の恩人に縁深い人なのだから。


河越城。もともとは応仁の乱と同じ頃関東で起こった大乱・享徳の乱の折に扇谷上杉家が太田道灌(おおたどうかん)に命じて作らせた城だ。道灌といえば江戸城築城だが、どちらも今は北条の手にある。

先代様こと北条氏綱の進出以来、扇谷と北条はすでに4度河越で戦っている。これで5度目、名実ともに最後の戦となるだろう。北に川、南に湿地を有する天然の要害に、多くの曲輪が連なり堅固な城を形成している。

そんな城にたどり着くまでは領内ゆえに簡単だ。現に今俺は江戸城から伸びる河越街道に沿ってすぐそばに北条本陣を臨んでいる。


「待て。長久保はどうなった」

俺を見た御本城様の第一声はそれだった。

「兵糧は持ちまする。こちらに8万敵がいると耳にし、兵を置いて急行してまいりました」

御本城様はそれで考え込んだ。

「小六郎!なぜ参った!」

「あれほど待っていろといったではないか!功を焦ったか!」

松田盛秀や清水綱吉が息子を見つけて声を荒げる。やはり親、気が気ではないのだろう。

「まあまあ兄上、間も無く元服ゆえ初陣もさせねばなりますまい」

清水吉政が仲裁に入る。しかし今度は笠原信為が呟く。

「かような戦で初陣させることもあるまいて」

「では越前殿は」

越前守とは信為のことだ。声を上げたのは大道寺盛昌だった。

「この戦、負けると仰せか」

ドスの効いた声に俺は震え上がったが、すぐさま御本城様が一言放った。

「国王丸」

「はっ」

「なにゆえに若武者どもを連れて参った」

「それがしはどのみち参陣する身。なれば友の思いに応えることもまた、人としての務めかと考えた次第でございます」

「…いいだろう」

ひとまず参陣が認められホッとした束の間、死刑宣告に等しいとも取れる言葉が投げかけられた。

「そのかわり、こき使わせてもらうぞ」

それに俺は笑って答えた。

「むろんにございます」

その日から俺による調略が始まった。

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