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少年期の終わり

「それで、かの件はどうなったのでござる」


「本当にすまなかった。すぐやる」

天文14(1545)年の年初、八郎は怒気のこもった声で俺を問い質した。

「かれこれ3年も放って置かれているのでございますぞ」

そうだ。あれを約束したのはもう3年も前だ。ちょっとさすがに急ぐべきだった。当事者の身柄はどちらもすぐ近くなので、日にちを決めればすぐにでもできた。

八郎の婚儀を。


「よし終わった」

外様である里見家や北条家臣である土岐家と譜代である逸見家を結びつける大事な婚儀だが、現代人たる俺は正直儀礼的なものの価値がよくわからない。とはいえ幾人かの北条重臣を呼んでできるだけ豪勢にしようと企み、何とか上手くいったようだ。

「忙殺される日々もこれで終わりかー」

死ぬほど忙しかったのでその分八郎に仕事を投げようとした矢先のことだ。

「ではそれがしは家庭もございますゆえ、これにて」

めちゃくちゃ嬉しそうな顔でそう告げ、夕刻になると新築した自らの屋敷に戻っていくようになった。許さねえぞ。


「俺に父は一人だ」

里見太郎は孫九郎にそうこぼす。孫九郎は心中はかりかねたのか、清水を呼ぼうとしたが制止された。

「負け惜しみかもしれぬ。だが父上は立派なお方だった。あの男を主と仰ぐことができぬのだ」

孫九郎は困ったように笑う。

「俺はどうしたらいい」

「考え足らずかもしれないから、怒ったらごめんな」

孫九郎は自分なりに考えたらしいことを呟く。

「母君もこの婚儀には賛同してるんだろ?だったら、国王じゃなくて八郎さんを信じてみたらどう?」

「逸見殿を?」

太郎は別段困るようでもなく聞き返した。

「そう。いい人そうじゃないか。あの人を信じられたら、国王のことも信じられるかもしれないぞ」

唸る太郎。彼としてもやり場のない怒りをどうにかしたいとは思っているのだろう。

「なるほど。あの人としっかり話してみるか」

そう言って太郎は席を立って何処かに行ったようだ。

全部聞こえているのだが、聞かせているのかもしれない。確かに俺は里見義堯を追いやった。が、かといって彼の信頼を得られなければ、俺はこの先生きては行けないだろう。ここは新人パパさんたる八郎に任せてみることにした。


「鉄砲、試作品ができましたがまだあまり出来は良くないとのこと。刀鍛冶も慣れぬ仕事に困惑しているようにございます」

「まあ、そうだろうな」

年末から小田原城下に腕のいい刀鍛冶を集め、鉄砲鍛冶を学ばせている。北条家の事業で、資金だけは俺持ちだ。私生活でももう贅沢ができないな。するつもりもないが。

「引き続き頑張ってくれ。期待しているぞ」

「はっ」

職人もモノの流れが多いところに現れる。南坂東の通商圏を一手に収めた北条家には、前より人が増えていた。

と、鉄砲の量産や配備がまだまだなされないうちに、他国での戦争の報が入った。

「武田軍が高遠に侵攻。損害を出しつつも高遠城を落とし、さらに福与(ふくよ)城を焼いて高遠頼継と藤沢頼親を傘下に収めたと」

諏訪郡平定が完了したようだ。武田はこれからますます発展するのだろうか。武田といえば甲州金はうまい。そろそろ貯蓄も貨幣鋳造が現実味を帯びてくる量になる頃だろう。


さて、俺は関東の大名家としてはかなりのイージーモードを選んだはずだ。北条を頼り、内部で出世する。それだけだ。しかしそれでも大きな短所が存在する。

北条が危うければ、我らが足利家も危うくなるのだ。

ここまで見てきたように、色々と内部に不安要素や褒められるべき要素があった。しかしそんな諸々をひっくるめて、北条は団結しなければならない時だった。

7月、長らく冷戦状態にあった今川家から御本城様に領土割譲を条件とした和睦が提示された。御本城様はこれを拒否、すぐさま今川家は兵を進めて富士川を越え、善徳寺(ぜんとくじ)に布陣した。

「集まったか」

御本城様の命で小田原に重臣が集まり、即座に動員が始まった。

「今川がどう出てくるかわからぬ。先だっての使節で得た我らの軍制を真似てくるやもしれぬ。気をつけよ」

先陣は伊豆に領地を持ち駿河に近い清水、続いて各家の軍勢が出陣した。房総の諸家も軍を出したので、俺も常備兵に加えて久留里と安房から人を引き抜いた。が、御本城様に止められた。

「後陣につけ。他でもし動きがあれば切り離す」

「はっ」

北条には敵が多い。今川がどこかと結んで二正面作戦を強いてくる可能性もある。だとすれば、その相手は確実に上杉だろう。

今川による駿河奪還と上杉による武蔵奪還。北条にとって止める優先度が高いのは、本拠の相模に直結される後者だ。つまりもしそうなった場合、本軍が武蔵に転進する分、俺は独力で今川相手に大立ち回りを演じることになる。

敵が強すぎる。仲間でもいなければやりたくないとは思うが、清水も大道寺も嫡男を参戦なんてことはさせないらしい。同年輩は里見と二人だ。


竹や蓮殿は、一番安全であろう小田原に置いていくことにした。竹の面倒は見てくれるように頼んでおいた。里見太郎も初陣とあって、八郎の側で働くという。

「長引くだろうし、これが終わったら元服だそうだ。御本城様に話もついたらしい」

戦の前では最後になるだろう、皆が集まった場で清水が告げた。元服すれば立場ができる。こうして無意味に集まることもないだろう。

「もうガキのままではいられないか」

「松田、笠原も含めて6人。豪勢になりそうだな」

「俺たちが功を立てて来てやる。おこぼれに預かれ」

「また適当なことを」

適当だということが既にバレているようで悲しいが、それでも一旦の別れを告げて皆それぞれに帰路についた。大道寺は小田原の屋敷に、清水は所領の南伊豆、加納矢崎(かのうやざき)城まで行くという。

「…行っちまったな」

「はっ」

かしこまる里見に、俺は自らの対応が正解かどうか答えを出せぬまま、それでも歩み寄ろうとして声をかけた。

「…里見の名をさらに上げてくれ。もうお前が当主だ」

これだけは分かる。偉大な父の名を受ける。それはこの少年にとって大きな重圧であり名誉であり、また運命でもあった。


小田原の地を蹴り、本軍に遅れること数日で伊豆を抜け駿河へ入ったが、合流まで数日というところで最初の知らせを受けた。

「御味方、駿河は狐橋(きつねばし)にて敗退!全軍後退し、長久保(ながくぼ)城が攻められております!」

敗報。そしてそこに間に合わず、何もできなかった。

だが俺が得たのは無力感ではなかった。もっと別の感情、例えば––

恐怖。

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