奔る
「お城を捨てるなど、考え直されよ!」
「確かにここは父上が実力で切り取った城。しかしもはやその実力を維持しきることはできぬ。なれば元の持ち主たる千葉に返し、別の場所で再起を図る」
「左様なこと…第一、どこへ参られるのでござる!」
「前に聞いたな、万喜に縁者のいる者はいないか」
そういえば昔そんなこともあったかと首をひねる八郎を前に、国王丸はまくし立てた。
ここから誰かを頼る選択肢は四つある。
一つが真里谷。一番現実的な選択肢だ。すぐ近くであり、今までも頼ってきた。
しかしここは最近お家騒動が続き、そのまま衰退することを国王丸は知っている。
二つ目が里見。史実の国王丸が逃げ込んだところだ。軍も強く、しばらく成長を待てば北条と渡り合える。
しかしここでは十郎の持ってきた文が意味をなさなくなってしまうし、それはしたくなかった。それに事実上父の仇でもある。
三つ目に千葉。下総で強力だ。これもすぐ近くにいる。
しかし小弓を切り取ったということでいい顔はされない可能性が高い。
四つ目に北条。将来性ではピカイチである。
しかしここには古河公方という代わりの神輿が担がれている。神輿は二つもいらない。切り捨てられるかもしれない。
この中で彼は北条を選んだ。しかし、ただの神輿では捨てられる。付加価値をつけなければならない。そのためにどこかで武功を立てる。
そんな小さな家を、国王丸はオタクゆえに知っていた。
万喜城は現在のいすみ市に建つ小城である。城主は上総土岐氏といって、名門武家の土岐氏の連枝にあたる。
今の当主は土岐為頼といって、若いが実力ある将だ。里見と真里谷の間の小領主に過ぎないながらも、なんとか自立して勢力を保っているのが力量の証拠だ。里見方の家ではあるが、国王丸の知る歴史では後に北条に寝返るので心服しているわけでもなさそうだ。
「竹は任せたぞ」
竹とは生まれたばかりの妹である。馬上で少し前に泣き止んだ赤ん坊を八郎に手渡し、二人で万喜に入城した。
前もって探させておいた万喜に縁者がいる小間使いを使って身分証明をし、そのあと城主謁見が許された。
「急に押しかけ、誠に申し訳ござりませぬ」
「あいや、頭を上げられよ。房総の貴人小弓公方殿にお目にかかれ光栄にござる」
先に頭を下げてあれこれ指図する気はないことを知らせる。頭を上げると、なるほど精悍な若者が座していた。これが土岐為頼か。
「先の国府台の戦、ご存知にございますか?」
「聞き及んでござる。お父上のこと、お悔やみ申し上げまする」
「あれでそれがしは後ろ盾を失いました。それ故、土岐殿を頼らせていただけぬかと」
「当家をにござるか?」
最初は適当に持ち上げて厄介払いするつもりだったのだろう。怪訝な顔をされたところで畳み掛ける。
「真里谷と里見は力を失い、かような中、房総に土岐殿以外に頼れる方がおりましょうか」
里見が信用できないと言ってしまうと、この男の信用まで損なう恐れもあった。
「そこまで仰せられては…分かり申した。小城にござるが、一角をお貸しいたそう」
「ありがたき幸せ」
「誠にかような男を頼られるのでございますか」
まだ八郎は不安が拭い切れないようだ。
「まあじきにどこにいようが動かざるを得ぬ事態になろう。その時に軍を借りてひと暴れするまでよ」
「かようなお考えだったのですな」
八郎はここで初めて納得したようだ。
さて、父と兄のいない今後継者として小弓公方となった国王丸は色々と責任を負うようになった。
「北条に謝罪文を書かねばな。睨まれるだろう」
二刻、つまり四時間ほど机に向かい、要するにこんな内容の手紙ができた。
「父と兄が戦を起こし討ち死にし、俺が当主になった。これは父と兄も武門として誉れのことであり、正々堂々と戦った北条を恨むことなど何もない。俺が恨むのは里見だ。連中は卑怯にも不戦という手を使い、父たちを陥れた。恨みを晴らすため、小弓から手を引き、房総にてしばし戦う。
北条と敵対したのは父の個人的な野望のためであり、俺は北条と敵対する意志は毛頭ない。もしも手が空いたら援助をくれるとありがたい」
建前は多少混ぜたが、本心である。父親が死んだことに無念がないわけではなく、むしろ大ありなのだが、それは既に里見に向いていた。国王丸は蝙蝠外交が嫌いだなどと綺麗事をまくし立てるつもりはなかったが、はめられたという感情が大きかった。
これを数段マイルドな口調にして長々と書き連ねた文書を土岐家の使用人に送ってもらった。
「関係悪化はしなくて済むだろ」
「変な奴だと思われはしませぬか」
「実際変な奴であろうに」
おい笑えよ八郎。自虐は笑ってもらえなければ自分への暴言である。
数日後、当たり障りのない返書が一応北条氏綱名義で来た。援助の件には触れず、今後の友誼をよろしくとかいった内容だ。
「目を通したかも怪しいな」
「目は通されたのではありませぬか?返事は右筆が適当に書いたやもしれませぬが」
八郎、こいつ中々に口が悪いかもしれない。
「根拠はないが、ならばまだ良い方か。書面では強気に出ておくか」
「そのような恐ろしいこと…」
「いいんだ。いずれ臣従するならこちらが求めるものを先に伝えておくのも悪くないし、向こうが不快感を覚えたとしてもここまで攻め込む暇は無いだろうよ」
「それはそうかも知れませぬが…」
さて、土岐に来たのはただ守ってもらうだけではなく、兵を動かしてもらわなければならない。もう10月だが、今年中に動けるかどうかは大きい。
「敵対するとしたら里見だ」
誰がどこ派の人間かわからないため、八郎に耳打ちする声で伝える。
「なにゆえに」
「そうでなければ理屈が通らぬ」
親の敵討ちという線一本に絞ることにし、南方への進出を考えていた。
「連中は国府台の戦で消耗した真里谷や父上の旧領を狙うはずだ。その隙をつく」
「左様なことができるのでございますか」
「無論早い方がいい。問題は土岐が興味を示すかだ」
数日中にも里見は兵を動かし始めた。安房から上総へと進出し、真里谷方の城や独立した小城を切り取り始めた。
「殿」
万喜城に登城してきたのは土岐家臣の麻生主水正近郷という男だ。彼は矢岳城という支城の城主を務めている。
「里見殿より従軍せよとのお達しでござる」
「あい分かった。しばし待て」
「はっ」
切り取るとなれば真里谷の城である。どう攻めるのが良いか、と思案しながら歩いていた為頼に、国王丸は待ち構えていたように話しかけた。
「出陣にございますか」
「そうでござるな。国王丸様はしばらく御留守を」
「何を申されます。それがしもお使いくだされ」
呆気に取られる為頼は、しかしすぐに気を取り直して言い返す。
「なれど足利の血を引かれる御方がそうそう簡単に危険な戦場に出るべきではございませぬぞ」
この子供を説教しなければならない。なにより面倒であり、危険でもある。ここは引かせなければ。
「その時はその時。このような所で尽きるような運ならば仮に生き延びても長くはないでしょう」
「左様に申されますな。命を軽々しく投げ出すような真似はなさらぬようにと申し上げているのでございます」
「はて、何やら見当違いをなさっているようで」
怪訝な顔をする為頼は、次の一言を聞いて引き返してしまった。
「死ぬつもりなど毛ほどもございませぬ」