硝石と少年
「まずくないか?」
とりあえず刺客の襲撃は弾いたものの、どのみち城下に俺を狙う人間がいることはわかった。まあ嫌われる心当たり自体はいくらでもあるのだが、とはいえ小弓公方家の人間を叩き斬ったらそれなりに問題だろう。
…いや、家が絶えて終わりか。思っているよりももう少し自分の身を大事にしなければならないようだ。
どうしてやろうかなどと昨夜は考えてはいたが、どう考えても大口を叩ける立場にないのは俺の方。奸臣だとでも思われているのだろうか。
「どうなさった」
「竹若丸?」
ということで、当のお二人を呼ぶことにした。小六郎の方は少し焦っているように見える。
「なあ、仲良くしようぜ。頼むよ」
竹若丸も平静を装ってはいるが、冷や汗をかいているのは確かだ。まあ他に裏で手を引いてる奴がいるのかもしれないが、そこまで詮索するのは厳しいものがある。
「なんのことだ。厄介払いでもしたっけか」
竹若丸が言う。
「いや、屋敷に行っただろう?二人とも俺と一緒に仕事するのが嫌だなんて言うから」
「嫌だとは言ってない」
小六郎が叫ぶ。
「なんでもいいよ。どっちにしたって俺たちは次の御本城様を支えなきゃいけないんだもんな」
「…」
二人ともおし黙る。と言うよりは冷ややかな目線だろうか。
「な、な、頼むよ。確かに父上は北条の敵だったし色々あったけど、俺は里見だって倒したしさ」
「…わかったよ。確かにちょっと敵かもしれないと思ってた」
「よかった」
恐怖を覚えているのはむしろ俺だろうが、ひとまずは心から安堵しておくことにした。
「またな」
そう言った俺に二人とも困惑していた。わざわざ呼び出しといて核心に触れずに放免なのだからそれはそうだろう。なんにせよ、俺はあいつらからのあるか分からん信頼を裏切るような真似はできなくなったということだ。それはつまり、俺が一生、とは行かずともしばらくの間、北条に忠誠を誓うことになる。
「よく分かりませぬが、また危ない橋を渡られましたな」
八郎が呆れ返る。確かにここから先も誰かに命を狙われることもあるかもしれないし、そうなったらまた助かるかはわからない。ただ事実として、これ以降俺が敵対勢力以外に命を狙われるような事件は起きなかったと付け加えておく。
仕方ないのでまた今川家臣団の案内業務に戻る。またもつつがなく進行し、帰り道。
「お、トンビか」
もうそろそろ暗くなるというのに頭上を通り過ぎた一羽の鳥を見て俺が言うと、主水は返す。
「鷹やらトンビってのがどうも苦手でな。幼き時分に色々といじめられた」
猛禽に関する笑い話を聞いて一しきり笑ったあと、これが何かにつながるなどとはつゆ思わずに解散した。
「ひと段落したな」
「殿、領地より便りにございます」
「休息が短いな」
呆れながらも読むと、収支報告、争いの調停報告などのほか、久留里でずっと作っていた硝石生産についてやっと進展があったと書いてあった。
「これ、久留里に来いってことなのか」
「さようでございましょうな」
「めんどくせえ」
「そのための船便ではござらぬのか」
足利国王丸とかいう奴がいつの間にやらこの内海南部を結ぶ航路を作っていたようだ。そんな優秀な奴がどこにいるんだか。一度会ってみたいな。
まあ単に忘れていたのだが、それによる収入はそこそこ入ってくる。金谷港を押さえたのが大きい。
「ひっさびさだな。一年も経ってないとは思えん」
硝石を見に久留里城に来るなり叫んだ俺は八郎に白い目で見られつつ、どうやって知ったか出迎えていた領民に歓迎を受けた。
「税率は下げとくもんだな」
「当然でございましょう」
そのまま城内に入って蔵を見ると、待ち構えていたのは役人だった。
「野中遠江守と申します。町野様よりこの蔵を任されておりました」
人当たりの良さそうな笑みを浮かべるこの青年を俺は知らなかったが、上総の商人だという。もともと21世紀でいう富津市、天羽の天神山というところで自治商人をやっていたが、北条領になったので顔見知りの十郎が士官させたという。
「既に昨年採れた微量の分は肥やしにして試しましたが、問題なく使えたということでございます」
「…なるほど。成功か」
言わずとも製品検査をしてくれた。これは有望だ。
「なれど残りが使えるとは限りませぬ。まだ使ってみての調整が必要でございましょうな」
硝石の最も一般的な利用は肥料の原料だ。俺には別の意図もあるのだが、肥料開発ということにしている。
「そうだな。だがいずれにしろこの方法で硝石が得られることはわかった。御本城様に具申しよう」
「はっ」
「功労者として野中遠州、そちの名前を載せる。これ以後も働いてくれ」
「はっ」
名が売れることは商いでは大事だ。内海で輸送をやっているという野中にとってはいい知らせだろう。素直に喜んだので、少しサービスしてやることにした。
「何か褒美をやる。追って沙汰を出すぞ」
「はっ」
帰り着いてすぐ硝石丘法の報告書をまとめ、富国のために全領で行うよう進言した。それともう一つ、1ヶ村のみ領地替えを提案した。
「今度はものづくりか」
「はっ」
報告書を広げて読み進める俺に、御本城様はいくつか質問をした。
「簡単にできそうに見えるが、これでよいものなのか?」
「見張る人と日々の手入れは必要でございます。されどそれを怠らねば簡単にできるかと」
「なるほど。作ったとしてどうするつもりじゃ?」
「民間に売り捌くほか、他国へも売り出してはいかがでございましょう」
「なるほど。検討する。それと領地だが」
「はっ。それにも記載してあります野中遠州と申す商人が…」
「…なるほど。そちらはさっさとやっておこう」
久留里城下の外れの1ヶ村を北条家に返上し、天神山の湊を含むあたりを手に入れた。
「お呼びにございましょうか」
小田原の大都会に困惑している野中に向け、俺は書状を手渡す。
「こたびの功として、故郷天神山湊を与える。湊と直結した城を築き、儲けよ。俺には売り上げの2割を納めてくれ」
「はっ!」
商人が小城の城主になった。分け前は多少甘いが、既にある程度潤っているので問題ない。貴賎を問わず重用すれば、いずれ商人も北条領に集まって来るはずだ。嬉しそうな商人の顔を見つつ、次の戦略を考えた。
それから間も無く今川家の使節団は帰途についた。孕石は俺たちに別れを惜しまれ、そのまま駿河へと急いだ。天野景貫とは大した交流もなかったが、少なくとも俺は今川家に友ができた気分でいた。




