傍観
「武田家、諏訪郡を平定したと」
案外素早く北条に伝わった知らせは、国王丸にいくつかの違和感を抱かせた。
「諏訪一族と郎党が行方不明?」
そのほとんどは史実で武田家に仕えたはずだ。少なくともこれだけの人数の規模が行方不明とは訳がわからない。
「武田は上原城でゆっくりしてるのか…もしかしたらまだ続きを想定してるのかもな」
「続きにござるか」
意外そうな顔を浮かべる八郎に、珍しく顔を出していた正木弘季が答える。
「寝返った国人衆がいつまた不安を抱くか分かったものではありませぬ。そうなった時に対処できるようにするか、あるいは」
「邪魔になった時に反乱するよう自ら仕向けて自ら討つか」
続きを受けたのは兄である正木時茂だった。
「武田晴信、何考えてるのか分からんな。あれは普通の武将とは違う気がする」
「やはりそれほどの非凡の者にござるか」
「それもある。けどそれだけじゃない」
不思議そうな顔をされたが、国王丸は戦国武将とは少し違う価値観の持ち主を見ているような気がしていた。
その違和感の原因に、国王丸は言われて気づいた。
「武田より殿に非凡の者との称賛が届いているそうにございます」
「誰が言ったんだよそんなこと」
「遠山殿に書状を見せていただきました」
知らないところでパイプを築き始めている八郎を頼もしくも思うが、その言葉の意味は全く分からなかった。
「どういうことだ」
「殿の上奏した案のおかげで米が入ったために思い切った軍事行動が可能になり、また北条にも金が入るためしれっと得をしていると」
「煽りかよ」
「いやはや流石は殿にござる」
少なくとも八郎は絶対に半分くらい煽りで言っているのだろうと思う国王丸だが、なるほど自分のせいで武田が本気を出せたと思えば納得がいった。
「まあいいや。教えてくれてありがとう」
そのうちに甲斐に護送された諏訪頼重と弟の頼高が腹を切らされたという知らせが相模にも届いた。これで諏訪惣領家は滅亡し、武田家の信濃進出の第一歩が踏み出されたことになる。
そんな中で北条家ではいま一つの騒動があった。
「弟君様が亡くなられたと」
氏康の弟、北条為昌が死んだ。後見人だった大道寺盛昌は悲しみに暮れる間も無く多忙に襲われ、子がなかった為昌の名跡を北条綱成に継がせる手続きで小田原城もドタバタとしていた。落ち着いてきた頃になって葬儀が行われた。
国王丸も見舞いの品を運びはしたが、あくまで代理であったうえ直接顔を見ていない。だが大道寺の孫九郎は祖父が交流していたからかそれなりに親しかったようで悲しんでいた。
「一族を連れて登城でもしてみるか」
一族といっても国王丸と竹姫だけだ。八郎と十郎を連れるくらいだろうか。原胤清と正木時茂はそれぞれで登城するというので、国人たちの分も見舞いを持っていくことにした。
「竹ももう5つか。早いものだな」
国王丸も最近知ったが、氏康の長男西堂丸と竹は一つ違い、次男の松千代とは同い年だという。その下に3歳の藤菊丸、2歳の乙千代がいる。
「遊び相手になってくれるといいがな」
そうなれば国王丸にも利があるかもしれない。
登城した日、小田原城の女中に頼んで竹姫と八郎を北条の子供達と一緒に遊ばせることにした。やってしまった者勝ちだ。
悔やみの言葉を述べ香典を差し出したあと戻ってくると、上手く混ざって遊んでいるようで安心したが、それはそれとして国王丸は他の家臣に睨まれないかが心配だった。
さて、北条綱成がめでたく家督相続と相成ったわけだが、この男はもともと他国の人間だ。今川家家臣の福島氏の出身で、父が戦死したために相模へ流れ、北条氏綱に可愛がられて苗字と偏諱を授かったという過去を持つ。
「他家出身の一門衆かぁ」
「目指すのでございますか」
「憧れはするよなぁ」
既存の家臣の心証を良くしなければ、功績をあげても嫉妬されて粛清される。そういう時代だ。
「遠山、清水、大道寺あたりはそこそこ関わっているが、他の家にもつなぎが欲しいな」
「松田や笠原などでございますか」
「ああ。いずれにせよ戦場で仲良くなれるんじゃないかとは思うんだが」
変なところで殺されては元も子もなかった。
「武田家、未だ諏訪より戻らぬようで」
そんな話を持ってきたのは原胤清だった。武田家との通商の活発化に伴って親族である原虎胤と文をやり取りするようになったらしい。
「高遠を煽っているのでござろうか」
一度寝返った国人衆というのは変心しやすいものだ。煽ってやればすぐ挙兵する。しかもすぐに寝返る国人衆は大名の統治から見れば邪魔者だ。
「だろうな。そのうち武田一色に染まるんだろ」
その戦の詳細は様々なところから届いた。北条への公式文を元にした達し、原虎胤からの私信、遠山綱景からの噂などだ。それを元に情報を貼り合わせるとこんな感じになる。
「高遠頼継が望んだのは諏訪惣領家の排除のみならず諏訪郡の制覇と諏訪大社大祝の座であり、武田の提示した諏訪郡の一部の割譲では満足しなかった。藤沢家らと協力、領地境界となっていた宮川で挙兵し、上原城の奪取を目標にした。一方の武田方はこれを見抜き、桑原城から板垣隊を派遣。後退と誘引で諏訪湖南東岸まで引きずり出し、武田本軍による殲滅をかけて部隊は壊滅。もともと大した数ではない高遠軍は高遠頼継の弟である頼宗を失い、総兵数も大きく減った。高遠家は降伏、さらに武田軍は南進して伊那の箕輪にある藤沢家の福与城にも迫り、藤沢頼親をも降らせた」
宮川の戦い
武田軍 3千 板垣信方、武田晴信
高遠軍 2千 高遠頼継
武将級討死
武田軍 なし
高遠軍 高遠頼宗
こんな内容のことを彼は日記にも記録した。これはいい資料になる。
「これ、情報の集積ってされてるのか?」
「なんの話でござる」
「北条家はこれだけ詳しくまとめてるのかってことだよ」
「なんの話だ」
勝手に上がり込んで来たのは清水太郎。国王丸はひらひらと手を舞わせて手元の日記を指さす。
「お前すごいな。これの戦訓をまとめて提出すれば褒美をもらえるんじゃないか?」
「そんなに高度なものかねえ」
後世の人間である国王丸は戦訓の重要性についてはむしろはるかに深く理解していた。だが自分の漠然とした情報がそれだけの価値を持つのかどうか自信が持てなかった。
「もちろんだ。他国の出来事とは思えない」
確かにそうかもしれないと国王丸は思った。彼自身の記憶で補完している部分もあるからだ。
「まあやってみるか。しばらくは暇だろうしな」
まとめられた戦訓は、一つには戦の発生を事前に予測すること、二つには敵の後退が挑発かどうかを見極めること、三つには連戦に備えてある程度余裕を持った兵站確保をすることだった。
「基本のキだな」
「分かってない奴も多いぞ」
「かもしれん。遠山殿に忠言として届けるか」
筆頭家老との縁を便利使いしているようだが、もし評判が悪ければ捨て置かれ、評判がよければ氏康の耳にも届く。恥はかかなくて済むと踏んでのことだ。
そのうちに北条家には常備軍制が設置され、北条長綱が足利家常備兵を見にくるようになった。
「うまく取り入りましたな」
正木時茂が言う。
「運だろう。もうこれ以上賭けに出ても当たらんだろうな」
堅実に生きようと心に誓う国王丸だった。




