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小弓城、独り残って

「動員をかけよ!安房まで走れ!」


「久留里城よりお味方するとの使者!」

「真里谷信応殿、まもなく編成が完了し、挨拶に伺うと」

天文7年9月末。その戦は始まろうとしていた。


話はこの年の2月に遡る。北条氏綱が扇谷上杉家への侵攻を強め、葛西(かさい)城という城を攻めた。この際に足利義明は遂に決意を固め、扇谷上杉への支援を開始した。

対立関係にあった本家の古河公方、さらにはすぐ北方の千葉家が北条に合力し、里見家が小弓公方側に転がり込むという事件があった。

「葛西城は武蔵下総の国境に立つ抑えの城じゃ」

定例の軍議の席、上座から義明は続ける。

「かの城が北条の手に落ちたとなれば、早晩戦になるは必定。なれば奴が成長しさらなる怪物になる前に、その芽を摘むべきじゃ」

小弓公方家中にこれに反対する者はいない。一代で地位を築いた主を信頼していたし、なによりも北条の本当の恐ろしさはまだ誰も知らなかったのだ。

「なればすぐにでもことを起こすべきにございましょう。頼るべき家を決めねばなりませぬ」

声をあげたのは老臣逸見祥仙(へんみしょうせん)。義明の宿老として働いている男だ。

「里見、真里谷の両家がいいだろう。房総全域の力を合わせれば、相模の男など簡単にひねれるわ」

「左様。どうせなら孤軍でも十分な働きをして見せましょうぞ」

こちらは椎津隼人佐(しいづはやとのすけ)といい、武勇に優れた猪武者だ。

「そこまで自惚れてはおらぬ。では両家に近日中に動くと使いを出せ」

「はっ」

逸見祥仙が頭を下げるとそこで軍議はお開きとなった。


国王丸は無論この会合に参加するだけの立場はまだ持ち合わせていない。ただこのくらいの内容ならば十分予想できる。

「父上、兄上も此度の戦に出られるのですか?」

「うむ」

元服して足利義純(よしずみ)と名乗る兄も今は一層弓に励んでいる。

「それがし一人で残るのは少々不安にございます。どなたか家臣を一人残してはいただけませんか?」

彼の狙いはこれである。信用できる人間をすぐ近くに一人置くだけでも大分違うのだ。

「左様なことにございますれば」

現れたのは逸見である。

「若輩にはございまするが、それがしの不肖の倅八郎(はちろう)をお側に置いていただきたく」

「よかろう。国王もそれで文句はないか」

「かたじけのうございます」

逸見八郎は屋敷で何度か見かけたことはある。そこまで強い印象があるわけではなかったが、裏切るような不義理者ではないだろうというのが見立てだった。


「十郎、頼むぞ」

「は、お任せを」

そしてもう一つ。戦に参戦する家臣の一人町野十郎(まちのじゅうろう)に、里見軍の行動を文にしたため戦が終わったらすぐ送るように命じた。これで里見が怪しい動きをすればすぐに分かるというものだ。


月が明け10月になると、軍は小弓城を出発した。

「良い子にしているのだぞ」

からかう兄に笑みで返す。

「では行って参る」

威厳ある父に頭を下げて返す。記憶が戻って一年ほど、短い間ではあった。知らなかったということもあろうが、それでも家族として温かく接してくれた。

二人が立ち上がり、騎乗して歩を踏み出したとき、待ってくれと叫びたかった。

少年はついに呼び止めず、深く息をついた。


北進して今の市川市にあたる国府台城に入城した小弓軍は、さらに南方からやってきた里見軍と真里谷軍と合流した。合わさった兵力はおよそ1万。

対して北条側は氏綱以下、息子の氏康や弟の長綱(ながつな)を引き連れ2万の大軍で攻め寄せてきていた。

「公方様の下で忠勤に励ませていただきます」

そう言う里見家当主・里見義堯は計算していた。

「戦場で恐れるべきは挟撃にございます。それを防ぐため、それがしども里見はこの辺りに布陣いたします」

「我らはどうすればよい」

迫るのは真里谷信応で、彼もまた当主である。

「北条方は江戸川を越え下総に深入りせねばこちらには来られませぬ。浅瀬である少し北方の松戸・相模台(さがみだい)に布陣なされよ」

「なるほど。その論一理ある。左様に動け!」

「はっ」

義明の許可を得て実行に移したこの案だが、これは里見の戦に勝つための案ではない。里見が一人勝ちをするための案なのだ。


どういうことか。

「ただでさえ少ない軍を割ればもっと少なくなるのは当然だ。今の兵力のさらに半分で公方風情が勝てるはずがあるまい。ならば俺の軍は一歩引かせて損害を受けないようにするべきだ。公方が滅んでくれればその領地に進出することもできる。

どうやら公方のガキが命じて俺たちの動向を監視しているらしいが、ガキにそこまで分かるまい。

ってところなんだろうなぁ」

もちろん結論を知る国王丸には見通せている。だからこそ町野十郎に指令を与えた。

だが彼には、見たくない未来も見えてしまう。


相模台に進んだ軍は、渡河し終えた北条軍と白刃を交えた。

二つ引両という紋がある。丸に二つ引という形が有名で、丸の中に二本の横線が入った紋だ。その中でも白抜きの形が少し独特なもの。

この当時、天皇家の菊紋に次いで日本で2番目に格が高い紋、足利二つ引が、戦場にはためいた。


「先陣の椎津隊、崩れます!隼人佐殿討ち死に!」

基頼(もとより)様、御討ち死に!」

足利基頼は義明の弟である。義明出奔後に後から追いかけてやって来た。

「あいつが…」

「父上、それがしも前に出ます!」

「義純!駄目だ!」

「国王は知恵で身を成そうとしておるではありませぬか。それがしは武勇で身を成したいのでございます」

そう突撃した義純さえも帰ってくることはなく。

「殿、退却する他はございませぬ」

「生きるなら、な」

「はっ?」

「生きるためなら退かねばならぬだろう。だが弟を失い子を失い…俺に何が残っている」

「国王丸様がおられるではありませぬか!」

「ここで負ければ俺もあやつも舐められよう。この乱世、舐められれば死ぬ」

「何をおっしゃるのです」

「山城、共に行くぞ」

「…はっ!」

別名を山城守といった逸見祥仙は勢いよく返事をしながら馬に飛び乗り、義明と共に陣中から消えた。隊士は続々とその波に飲まれていった。

旗はもはや残らず折れ、死屍累々から流れる血がそれを汚していた。


蹂躙されたという報告だけを、遥か遠くで冷ややかに受け取る里見義堯。

「帰るぞ」

「はっ」

家臣は後ろに続き、隊列を乱さずに遥か安房まで悠々と撤退を開始した。


この合戦は地名から相模台合戦とも第一次国府台合戦とも言い、小弓公方家が事実上滅亡した一戦である。


第一次国府台の戦い

北条軍 2万 北条氏綱

小弓公方軍 1万 足利義明

武将級討死

北条軍 なし

小弓公方軍 足利義明、足利義純、足利基頼、逸見祥仙


戦の後、町野十郎は駆けていた。彼にとって滅びゆく小弓公方への最後の花向けとして忠義を尽くすために。

小弓までの道のりを馬で駆け抜け、いつしか退きつつある里見も追い抜いた。

「若様!国王丸様!」

「十郎!もう終わったのか」

あまりに早い到着に驚く国王丸に、第一報となる合戦の結果報告が行われた。

「ご苦労だった」

話を聞いている間目を瞑っていた国王丸はそれだけ言って十郎をねぎらった。

「殿も若も父上も皆…左様なことが…」

横でショックを受けているのが逸見八郎だ。この若武者は留守番を健気に勤めてくれた。

「八郎もだ。ご苦労だった。それで、里見の文をもらいたい」

「はっ。ここに」

疲弊した十郎から欲しかった書類を受け取った。

「二人はこれからどうする?」

「それがしは若殿について参ります!もはや誰を頼って良いのかもわかりませぬゆえ、若殿を盛り立てて参ります!」

八郎は忠義者らしい答えをした。

「それがし、領地に戻りたいと存じます」

一方の十郎はそうではなかった。確かにこの文の一件で十分に義理立ては果たしてくれたし、自らの家を食わせなければならない武士として先行きの見えない家に仕えるのはむしろ責任放棄だ。彼の選択もまた正しい。

「そうか。長らくご苦労だったな。さて俺は…」

それぞれの選択を噛みしめ、いざ自分の番となった時、それは嫌にあっさりと結論が出た。少年はもったいぶったのか整理をつけたのか、少しの間の後、ハキハキと言った。


「この城を捨てる」

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