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両総炎上

「武蔵より文にござる」


使者が俺の元を訪ね、その文を手渡す。

「事情は了解した。北条家の外交姿勢に関わることゆえ、御本城様の指示を仰ぐ。 甲州」

甲斐守ということは遠山綱景の書だ。急ぎの使者をよこしてくれたのはありがたいが、これは援軍が来るとしても時間がかかりそうだな。

「しかも前みたいに下総の兵を使えないのか…」

正当性のある戦というのは難しいものだと思いつつも、現実逃避に一つ思い立った。


日記をつけることにした。徳川家臣だった松平家忠(まつだいらいえただ)の『家忠日記』は史料価値が高い。それっぽいものを俺も残してみたかった。

「これを余人の目に触れさせる時には俺の命はとうに果てている。天下の英雄か一地方の泡沫かは今の俺には知る術はないが、ともあれこの国で最も長き戦乱の世の有り様を伝えたい」

そんな書き出しで生い立ちを簡潔に綴る。俺はこれを未来における一級史料にするつもりだ。

「足利義明、小弓公方を興した男。俺の父親であり国府台合戦で討死。家臣には椎津隼人佐はじめ仁者多く、平和な家中であった」

そんなことをさらっと書いていく。これで八郎との約束の一つは果たせたはずだ。その日の城内の様子を記し、巻物を乾かして寝た。


翌日、真里谷本軍が久留里へ向け出立したと報が入る。敵勢の中身は分からず、とりあえずの臨戦体制を敷きつつ防備を固めた。

「誰か北条と繋ぎを取れる人間はいないのか…」

「恐れながら、ここに」

独り言ちたのを聞き漏らさず、藪の中から現れたのは、顔を布で覆った体躯のしっかりした男だった。

「…忍者?」

ステレオタイプなそんなイメージを口にすると、その男はそれをまるまる肯定した。

「はっ。北条の忍び、風魔が一員にございます。二度矢文を射掛けさせていただき申した」

「猪助か」

はたと思い当たって声を上げるが、当の猪助は人差し指を唇にあてた。

「お静かに願いまする」

「すまん」

「主の命により房総情勢を探っておりまする。それがしが帰り次第、北条は動員をかけることでござろう」

「一ついいか」

「何なりと」

「仮に北条が動いたとしても、呼応して上杉が動いて武蔵で合戦が発生するということはないのか」

恐れていることを提示した。そうなれば援軍は水泡に帰す。

「ないとは申せませぬ。されど国王丸殿は古河公方の敵にござる」

つまり上杉が擁する古河公方が俺と間接的にせよ協働したがることはないということだ。わかりやすい理屈に荒んだ心を落ち着かせる。

「…なるほど。ありがとう」

菓子をひとつまみ渡し、頼むぞと手を握って二人ともそれぞれにその場を去った。よくよく考えれば他家の忍びが城内に入り込んでいるわけで危険極まりないが、この情勢下で俺の暗殺に踏み切ることもないと判断してそのままにしておいた。


じきに下総で千葉家が兵を挙げた。俺から勝手に文を受け取った高城家の討伐らしい。源頼朝が義経を討った時みたいな言い草だが、これは十分な正当性を持つ。

一方の原家は討伐対象外のようだ。むしろ原家も高城家討伐に兵を動かしたという。寝返って千葉を撃破するという可能性もなくはないが、温情を見せることで取り込もうという千葉昌胤の策略かもしれない。その千葉昌胤も年老い、どちらに転ぶかわからなくなってきた。

「その場しのぎでも味方が欲しいな」

「真里谷隊、見えました!」

呟いた瞬間、ほぼ同時に伝令が叫ぶ。

「兄上、何がはじまるのでございますか」

回らぬ舌で言う竹姫に俺は答えられず、義政が一言戦でござると言いながら奥の部屋に連れていった。

「あれじゃなんのために俺と一緒にいるのかわからんな」

「何をおっしゃる。殿の最も近い肉親であり、殿が守ると決意した、それだけでようござろう」

安芸守の言葉に何か動かされるような気がした。


翌朝から調略を開始した。実を言うと真里谷家中で手を借りられる望みが一縷でもあるのは、大多喜城主であり真里谷朝信の息子の信正や隠居済みで信隆一派と確執があった真里谷全方くらいしかいない。

「本命は土岐、正木だが、いくらなんでもこの流れで裏切ると思えん。そこで人質が要る」

「一番良いのは里見義堯の妻子にござろうな。土岐にとっては娘と孫、正木にとっては旧主の母子」

「どこにいるかわからないのが最大の難所だ。可能性がある場所を挙げていってくれ」

そのほとんどは安房の城だった。だがそんなところにいないことは俺も十郎も知り尽くしている。

「城ではないのやも分かりませぬな」

東平安芸守が口を開く。

「なればどこだと思う?」

「分かりませぬ。されど意味ある場所であるはず」

「まだ使っていない駒があるってことか。…分からんな。また今度だ」

静かになって廊下を歩き出した途端、狭間から撃ちかけている弓矢の音が響いた。成果は上がっているのかいないのかよくわからない。


呑気な感じの城内だったが、その籠城は一月を超えた。

「食料も底をつきまする」

「終わらせないと本当に地獄を見る…か」

北条軍も来るか来ないか分からない。もはやあてにしていいものか疑問に思っている。

「下総はどうなってるんだ」

「情報が入って参りませぬ」

「高城家と連絡は」

「申し訳ありませぬ」

ため息をついてもどうしようもないのだが、俺は未だにジョーカーを求めていた。

「どこにいるんだ」

「分かれば苦労はいたしますまい」

町野十郎も籠城が続き苛立っているのが露骨に伝わって来る。

「そもそも防戦用の城郭でもないだろうに酷使しすぎだな。何が何だか分からなくなってないか」

「一月も籠っております。とうに城の仕組みは覚えておりましょう」

「そうか」

それならまだマシだ。


やがてようやく入ってきた下総の情勢は、なんとも言えないものだった。原家は前線の拠点に入って動きを止めた結果膠着、高城家は追い込まれたが降伏はせず、千葉家は内部の反対勢力を警戒して攻撃を仕掛けていないという。

「今は全力で千葉の兄弟喧嘩を煽るしかないか」

そうこぼして打開への道筋を探りはじめた。

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