燃やされた安寧
「挨拶回りは済ませた。すぐにでも帰るぞ。下令してくれ」
逸見八郎と町野十郎は当惑した。まだ戦が終わり、正木時茂が顔を見せてから二日である。
「承知いたしました。されど、なにゆえに左様に急がれるのでございますか?」
十郎はその疑問を口に出す。
「八郎、説明してないのか?」
「恐れながらそれがしも把握しておりませぬ」
「お前を通してない話だったのか…すまない。早寝して明日の朝話す」
困惑に包まれた陣中から発された帰還令は、やっと帰れると兵たちを安堵させた。
ほとんど休まず久留里城に入った国王丸は、兵を城内で寝かせ、支城を守っていた秋元と東平を郎党もろとも呼び寄せた。信濃守には感状を渡し、とりあえず賞することにした。落ち着いたら提出すれば褒美の物に代えてくれる。
「集めてくれ。まとめて話す」
そう言われた十郎は走り、家臣を一堂に集めた。
「ありがたい。手短に戦の報告をし、その後で絶望的な知らせがある」
何人かが不安げな表情を浮かべた。
「安房は戦もなく降伏した。俺の配下に旧臣の町野十郎が帰参した」
「町野と申しまする」
「それと秋元、妹を預かってくれてありがたい。この借りはいずれ返す」
「お褒めの言葉、ありがたき幸せ」
竹姫は今秋元義政の息子小次郎と別間で遊んでいる。
「さて、今しがた起こったことの報告だ。真里谷家臣に後藤兵庫助というのがいる」
小弓公方家の者は首をかしげるが、房総の国人出身の者は名前くらいは聞いたことがあるようだ。
「彼が鶴見信仲殿を手討ちにしたらしい。大竹信満殿の陣屋にも刺客が入り込んだがこちらは撃退されたとのことだ」
一同騒然となる。
「後藤は腹を切ったが、これを機に真里谷家中で派閥争いが起きる可能性もある。刺客を雇ったあたりも単独犯ではないだろう」
国王丸自身、この事件を知らないわけではなかったが、いかんせん小事件だと思っていたうえ、彼の知る歴史ではあと1年ほど猶予があったために見過ごしていた。鶴見信仲が国王丸の影響で昇進したために嫉妬を買い、時期が早まったのだろう。史実では後藤は仲の悪い鶴見を討つために当時敵対していた北条と手を組んだのだが、今はそんなことはない。では誰と手を組んだのか?
「奴の最後の置き土産だ。最後という保証もないがな」
里見義堯以外誰が考えられようか。
「ということで俺はしばらく久留里から出ない。上総安房二国を治める大大名真里谷家は内紛に突入する」
そう家臣の前で宣言すると、皆が顔を見合わせた。
「高城胤吉は帰した。高城家と原家への親書を持たせてな」
要するに彼らの主である千葉家を無視するということだ。宣戦布告にも等しい発言だが、これで下総にも対立が発生する。
「出来るだけのことはする。八郎、すぐ文を書くからそれを持って江戸に走ってくれ。相模から帰りは船便で来られるはずだ」
「北条に助けを乞うのでございますな。して、内容は」
「北条家に臣従する」
あまりの一言に場が凍りつく。
「…真里谷家を切る、と仰せか」
永遠にも思われた静寂を斬って秋元義政が低く鋭く呟く。
「まだ分からん。が、不本意にもそうなるかも知れん」
そして次の一言を最後にその席は締めくくられた。
「一応言っておくぞ。俺は北条に伝があるとはいえ、真里谷の名代として赴いた身だ。千葉・真里谷軍と足利・高城・原軍を比べた時、北条が後者の味方をする正当性は何一つない。期待はするな。ただ…ただ、信じてくれ」
何を信じろというのか。自分にもわからない問いを抱えたまま、国王丸は部屋を去った。
国王丸自身、部屋に戻ってから頭を抱えていた。生き残ることがこんなにも難しいとは思っていなかったのだ。
「それを繋ぐ命綱として北条に臣従を誓うんだ。北条を後ろ盾にして千葉と真里谷に対抗すれば、北条の房総介入に正当性を与えたことになる。これを文字通りに受け取ってもらえれば、俺の功績は大きくなる、が」
ため息を一つつく。その間に八郎が察する。
「ただの反逆者と見られた場合、にござるな」
無言で頷く国王丸は、手短に書き終えた文を八郎に渡して布団を被った。
「頼む」
「はっ」
八郎が発って5日後、11月も終わろうという時に、一人の男の声が城下に響いた。
「門を開けられよ!それがしにござる!」
国王丸は最後の覚悟を決めてその男を迎え入れつつ、兵達に発破をかけるよう命じた。
「大竹殿。かくなる上はそれがしと一連托生となっていただくほかございませぬ」
「承知してござる。主家に背くこと本意にはござらぬが、命を狙われた上は致し方なし。一族もろとも匿っていただき、ありがとうございまする」
真里谷信隆に誰かが讒言したようだ。信隆はそれを容れ、大竹信満に死罪を命じた。たまらず一族ごと逃げて来たのだ。もうたまらない。真里谷家を滅ぼしたい誰かだったのか、単に大竹に嫉妬した馬鹿だったのか。
彼を匿った以上、国王丸は真里谷信隆の意向に背いた反逆者となる。八郎が帰るにはまだ時間があるが、時は待たないし待ってくれない。早くも戦は始まり、導火線に火がついた。
「この戦、旧里見家臣の動向が鍵だ。里見を滅ぼしたこととあらぬ疑いをかけられたことを文にして北条氏康殿にお伝えした。さて、里見水軍は長期戦からいつ帰投するかわからない。そこで問題は陸軍だ」
「主なるは正木にございますな」
「ああ。正木時忠を討ったのを恨みに思われている可能性がある。だが北条軍が来れば、土岐家もろとも寝返る公算はなくはない」
それも北条軍が来ればの仮定の話である。
「兵はまとめた。が、見込みもないのに一戦して減らすつもりはない。臨戦体制のまま籠城させておけ。それと」
もう一つ命じたかったことがある。
「暖房をなんとかしてくれ。頼む」
室内に囲炉裏を作り、それを石で囲って火事を防ぎつつ、絶えず火を絶やさないようにする。
「寒いが、あるとないとは大違いだな」
簡素だがないよりマシだ。兵の士気向上を狙った策は功を奏し、一定のやる気を保てていた。
真里谷家本軍は程なくして万喜から真里谷に移り、今にも久留里に来ようとしているようだった。
「里見の他の家臣はどうだ?」
「分かりませぬ。主たる者は正木時茂と行動を共にするか、あるいは水軍に属しておりまする」
「あれだけやりあって水軍が俺たちの元に来ることはないか。岡本家も当主を討たれたことだし、家族の感情が許さんだろう」
そう言ってからはたと思い当たる節を見つけた。
「そう言えば、里見義堯の妻子はどこだ?」




