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安房回り上総行き

「国王丸殿」


足利隊の陣幕をくぐった真里谷家の伝令が、身分を示しつつ小さな隊長ににじり寄った。

「殿よりお触れにござる。進言の通り城兵は身分を改めてから返したり雇ったりしたが、重要人物が混じっていたと。本陣へお呼びにござる」

そんな人物がいただろうかと首をひねりつつ、国王丸は分かったと返して陣を出た。


「坊。話すのは久しぶりよの」

「はっ。して、話とは」

その内容を聞いた少年は、久々に素直に目を輝かせた。

日我(にちが)上人とは…どれだけの条件を飲みましょうか」

日我。この少し南にある保田妙本寺(ほたみょうほんじ)の住職で、里見家と関係が深い僧侶だ。里見義堯は崇敬していたといい、この身柄をおさえておくことで有利な条件を引き出せるだろう。思わぬところでいい目を見た。国王丸はそう思って何をするか考えた。

「いっそ館山攻めまで温存するのもありやもしれませぬな」

里見を滅ぼす時まで置いておく。最後のひと押しに使おうというわけだ。

「相分かった。次の城に進むか」

「日ももはや低うございます。早めに休み、朝駆けをかけるべきかと」

「分かった。下令せよ」

控えていた伝令が陣の間を縫って走り去る。見張りを残して休みはじめた一行を尻目に、国王丸は空の金谷城へ登っていた。

「こんな立派な城だったっけ」

彼の記憶の中にある平成の金谷城は開発で跡形もない。山麓が少し焼けただけで済んだ今の姿とは似ても似つかないものだ。諸行無常を感じ一人佇む彼に、どう探し出したか八郎が連れ戻そうと近づく。

「ああ、今行くよ」

「左様。先へ、参りましょう」


翌早朝、命令通りに早起きした全軍は造海城に押し寄せた。水軍の拠点の一つということもあり、今度は抵抗も激しかったが、水軍が不在ということで不意をついた優勢を活かしきって包囲についた。

「里見義堯はどこにいるんだか」

「とっくに引き払ったのでござろう」

高城胤吉が吐き捨てる。彼自身にとってはこの戦の結果そのものは大した意味を持たない。だがそれが千葉家や北条家に与える影響は悟っていた。国王丸はというと、里見義堯に逃げられないことに精一杯で、その余り巨視的視点に立ちすぎていた。木を見て森を見ずとよく言うがその逆で、大事なことをすっかり忘れていた。


造海城はよく持った方だが、最後はされるがままに落城した。さらに南方にある岡本(おかもと)城に押し寄せる真里谷軍を妨げるものは何もなかった。

「うまく行きすぎてはございませぬか」

「こんなもんだろ。案外ガタガタだったんだな」

「左様でございますか…」

八郎は首をひねりながらも指揮を続けた。岡本城付近の港は制圧され、里見水軍の帰投に備えた。

「このまま館山まで参られるのか」

高城胤吉が疑問を浮かべるが、国王丸はケリをつけてしまいたかった。

「行くか。里見義堯を討つ」


意気揚々と出撃した真里谷軍の目の前に姿を現したのは、人っ子一人いない稲村(いなむら)城だった。ここは里見軍の旧本拠地で、里見義堯は防戦にあたって改修を行っていた。

「奴はどこにいる?」

当然の疑問だ。一気に緊張感が張り詰める。

「空城計ではござらぬか」

城を空だと思わせ敵の素通りを待つ、博打的な戦術だ。それも考慮に入れて一応入城したが、人気がないのに変わりはなかった。

「土岐殿はどうされた」

事情を察したのか高城胤吉が声をあげる。土岐為頼はここにはいない。

「待て、急ぐぞ」

真里谷信隆も馬鹿ではない。すぐに言わんとすることに気づき、翌朝早くに万喜を目指すことを下令した。


真っ先に障害となるのが山之城だ。ほかの城に里見兵が残っていないとなれば、もうここしかない。正木時茂がまだ籠っているはずだ。最後の激戦となることも覚悟した。

「おい、ここもか?」

困惑して手をひらひらと舞わせる国王丸に、本陣の信隆からの伝令が言伝を伝える。曰く、正木時茂は城内におらず、弟の正木弘季(ひろすえ)が一族を率いて降伏したという。

「時茂の居場所は聞いたのか?」

「はっ。北東へ向かったとのことにございます」

十中八九里見義堯に同道したのだろう。何をする気なのかさっぱり読めず、慎重に歩を進めた。


「正木大膳亮時茂と申します。それがしは単身にて土岐殿に降っており申したが、機を見て真里谷へ参上いたしました」

そう正木時茂が現れて述べた時には、国王丸はもう何が何だかわからなくなっていた。万喜城で出迎えた土岐為頼は上座に真里谷信隆を据え、変わらず臣従の姿勢を崩さなかった。ばかりか、正木時茂も臣下の列に加わり、安房と上総のそれぞれ一部を治めるという。

「待たれよ。里見刑部殿はどちらへ参られた」

耐えきれず国王丸は口を挟んだ。

「はて、それがしはともに降るつもりでござったが、刑部様はこの城に二夜とどまったあといずこかへ失せてしまわれたゆえ、それがしの存ずるところにはござらぬ」

さすがに絶対に嘘だろう。里見義堯は土岐為頼と正木時茂の手引きで上総を抜けた。一人で身軽だろう、追っても無駄だ。そう考えた国王丸は、謁見の後部屋で歯噛みし、八郎に敗北宣言をした。

「無駄骨だったってことか」

愚痴をこぼす中、ふとその一言が出た瞬間に、聞きに回っていた八郎が血相を変えて立ち上がった。

「お戯れを申されるな!」

ビクッと体を震わせ目を見ると、たまにしか見られない本気の表情が見えた。

「里見義堯を討てなんだといえど、真里谷は安房を得た。それを戦もなく達成し、家臣や兵を傷つけずに済んだことを素直に喜ぶべき時ではござらぬのか!」

大きく息を一つつき、八郎は続ける。

「それがしも父を亡くしてござる。あの者が恨めしくない訳ではござらぬ。さりとて彼奴を討ったところで、父も、殿も、兄君も帰って来られる訳ではござるまい」

八郎はゆっくりと座り直す。

「敵討ちは大いに結構。若殿がそれを望まれるならばそれがしもお手伝い致しまする。されど最も大事なことを履き違えてはなりませぬ。…ご無礼仕りました。ご容赦を」

「…俺が悪かった。どうか許してくれ」

持っていた茶の杯を飲み干し、国王丸は答えた。


八郎の渾身の諫言を得て、国王丸は思索を巡らせながら眠りについたが、まだ事が終わった訳ではなかった。正確に言えば、終わりきった訳ではなかった。

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