危機感
「帰ったのか？」
「そうも参りますまい」
「だろうな」
和田塚合戦でのジャイアントキリングと由比ヶ浜沖での里見軍船数隻の炎上は士気を折るのに十分だった。それでも里見軍はさすがの練度を見せ、矢を防ぎながら船まで下がっていった。
「急ぎたいな」
「すぐにでも参りましょう」
「まあ待て。向こうがどうなってるかわからん」
安房上総の戦場での情報がなさすぎる。徒らな動きになるかもしれない。
「なれば知らせを待てとおっしゃるのでございますか」
「そうしたいところだがそれには時間がない。遠山殿、お頼み申す」
「承知した。存分に暴れられよ」
「はっ」
遠山綱景の隊を使い、船団をここに留める。こちらからの情報の流出を防ぐのだ。さらに伊豆水軍を三崎に向かわせ、帰路の迎撃体制を作らせることにした。これを回避して沖よりの海路を取ることはできるが、外洋は海が荒れる。船がどうなるかは目に見えている。
「行くぞ」
残った兵を集め、その日は鎌倉北方で一泊した。翌日から神奈川、そして江戸、次いで木場のあたりに泊まって休憩した。
「明日あたり渡河する。そこでゆっくり体を休め、援軍と共に南方へ進軍する」
利根川渡河に1日かけてもいいくらいだと国王丸は考えていたが、それが適当な判断かどうかはまだ分からない。村上信濃守と連絡が取れていないのだ。
利根川を渡り相模台に着いたところで日は沈み、相模台城で一泊せざるを得なくなった。などと考えていると、縁側に矢文が撃ち込まれた。
「秋元義政が小糸城に赴いた折、里見刑部の軍勢が押し寄せ、二手に分断されている。村上信濃は籠城し、消耗を抑えようと努力している。小糸城にも軍が張り付いており、秋元隊は窮地にある
猪助」
出し主は分からない。がこの手紙を信用するのならば、急いだ方がいいことになる。
「里見が性急な進軍を促すために仕掛けた罠やもしれませぬ」
「なんにせよ早く着きたいのに変わりはないさ。知りたいのは真里谷領の他の場所の情勢だがな」
この会話が聞かれていたのだろう。翌日泊まった国府台城にもう一本矢文が撃ち込まれた。
「真里谷城兵は城を発ったところである。土岐家は動きを見せず、天津城は落ちた
猪助」
東部がガタガタにされているらしい。いずれにせよここで援軍を待たなければならない。焦りすぎては全てを失う。そう言って少年は自分を冷静にさせた。
「猪助とは誰にござりましょうか」
「北条の忍びかなんかだろ。やっぱり上総にも手は回してるよな」
そのうち関わることにもなるだろう。手は出さないことにして、一行は翌日千葉家と面談をするために呼ばれた小弓まで向かった。
「よういらっしゃいました、足利殿」
取り次いだのは行きに亥鼻で会った原胤清だ。
「この者が足利殿につき、上総へ向かうよう小田原殿より仰せつかっております」
小田原殿よりという辺りに引っかかる。
「御本城様？千葉殿ではござらぬのか？」
「無論千葉家は通しての話にござる。ご安心召されよ」
どこまで本当か分からないというのが国王丸の本音だ。千葉本家は弱体化するかもしれない。
そうして紹介されたのがこの男だ。
「小金城主、高城胤吉と申しまする」
小金城を起点に同じく松戸市内に根木内城を建設し、北条家と結んで高城氏の全盛の礎を作った将だ。
国王丸は足利隊を八郎に任せ、自らは供回りと共に城下に降りた。
「待たせてすまない」
「出番にございますな」
町野十郎と日銭稼ぎの屈強な若者たちを拾い、足利隊との再編計画まで立てて急ぎ足で追いかけ始めた。
久留里城の手前で全体の再編を行い、包囲側の軍勢と相対すると、ようやく村上信濃守との連絡がつながり、彼我の戦力が明らかとなった。
真里谷軍
足利国王丸 300
高城胤吉 300
村上信濃守・東平安芸守 200
秋元義政 100
計 900
里見軍
里見義堯 1千
計 1千
「相模に長居してたら落ちてたな」
「ほぼ落ちかけにも見えますな」
「まあ俺が始めた戦だ。優先順位間違えなければ勝てるさ」
「まずはどうなされます？」
本陣に入ってきた高城胤吉が問う。
「真里谷との連絡を取る。久留里の常備軍が300しかいないはずはないからな」
数的有利を作り出した後は合戦だ。その後の戦略が問題になる。
「連中は天津を落としたと聞き及んだ。そっちには正木がいるだろうから、放置して久留里・真里谷両城の防備に努める」
「防備だけにござるか？」
「ここまで全部終わったら、殿に出馬を願い、土岐を連れて安房行きだ」
翌々日には到着した真里谷城からの援軍は大竹信満が率いていた。久留里城の争奪戦で功を挙げ、今回も抜擢されていた。
「お着きにござるな。参りましょうぞ」
600ほどの大竹隊は小糸へ向かい、国王丸以下の800で本隊を捌くこととした。
すぐさま前方で血飛沫が上がり、久留里は再び戦に覆われた。銅鑼の音を合図に左右から襲いかかる将兵が組み合い、何度目かの地獄が現出していた。
やがて敵本陣の位置がはっきりと見えだした。あそこに里見義堯がいる。明確に提示された国王丸は狼狽したが、高城胤吉がたしなめた。
一番戦慣れしていないであろう町野十郎隊だが士気は高く、犠牲は払いつつもかなりの突破力を見せていた。敵の足軽大将を幾人か討ち取ったようだ。
激戦の最中、最後の援兵たる小糸方面の軍が包囲をかち割りやって来た。これを見た里見はあっさりと退き、里見義堯は姿をくらました。
「こんな事なら北条の忍びと連絡を取って寝首でも掻いてもらったらよかったな」
「何をおっしゃる、それが武門の道にござるか」
暗殺や諜報がいかに卑しい仕事だと考えられていたかの証左だ。国王丸は苦笑してやり過ごした。
小糸城包囲
真里谷軍 1千500 足利国王丸
里見軍 1千 里見義堯
討死
両軍共になし
