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歴史に触れる

「以後、よろしくお願い致しまする」


次の日は一軒あたりの滞在時間こそ短いものの、多くの家を訪ねた。

「疲れた」

「左様にございましょうな。しばらくゆるりとなされてはいかがにございます」

「そうするよ。見るもの食うものはいくらでもある」

東国最大の都市の一つだ。観光地はいくらでもあるだろう。そんな甘い見積もりは、翌朝やってきた遠山家の使者に打ち砕かれた。

「謁見の件、明後日の午後にと」

「承知いたした。ご苦労にござる」

そう言いながら土産を渡して帰したが、余りに急に決まり困惑した。

「そもそも謁見して何をなさるのでござります?」

「安房をいい加減片付けたいな」

「左様な…若殿はまだお若いゆえいくらでも好機はございましょう」

「時間ばっかりかけてもしょうがないだろうが」

真里谷、小弓公方の家の誰もにとって、里見は元からそこにあった家だ。そう簡単に潰れるものかという思いがあるのだろう。だがそれだけに一生を使う気は生憎なかった。

「そんなこと考えなくてもいいだろ。現実逃避しようぜ」

「何をおっしゃられる」

「城下町なら大丈夫だって。散歩だよ」


「お守りをする側の気持ちも少しは考えていただきたいものにござるな」

「そう言うなって」

なんとか八郎を連れ出して外に出ると、城の方へ武田菱の旗を背負った早馬が駆けて行った。

「真里谷殿に何かござったか」

「だったらこっちにも報せが来てるよ。甲斐の武田だろうな」

甲斐武田家。今は武田信玄の父である武田信虎(たけだのぶとら)が治める家だ。

「信濃進出だろうな。甲斐は土地が貧しいのと病がある。外に出ないとやってられんよ」

甲斐を流れる大きな川は有名どころだと二つ。いずれも合流して富士川となる釜無川と笛吹川だ。それでもって山がちの甲斐で農耕に向く平地というのは元々少なく、甲府盆地が主なのだが、この盆地が両河川の氾濫原なのだ。

「川が溢れるからまともな農耕はできん。ちゃんと治水をすればいいんだが、それにも経済力が要るからな」

「ほほう」

「まあその分山がちなことによる資源もあるけどな」

鉱業だ。甲州といえば古くから金で有名だ。信玄の時代には金を使って経済システムを発達させたくらいだ。味方に取り込んでしまいたい。

「なるほど。して、病とは?」

「甲斐では単に地方病って言うらしいな。原因は正直よく分からんしそんな話外には出てこないが、水をよくしたほうがいいって話もある」

八郎には言っても分からんだろうから口に出しては言わないが、要するに淡水生の巻貝が運ぶ寄生虫が起こす病気だ。日本住血吸虫にほんじゅうけつきゅうちゅうという文字列くらいは健康診断か何かで見たことがある人もいるかもしれない。結局病原体の解明も駆逐も明治時代以降になってしまう。俺が口を出してどうこうできる次元の問題じゃないが、甲斐の人たちには何かすべきだろう。いずれにせよ今じゃない。影響力がなさすぎるからな。

「その点、隣国の信濃は美味しいんだ。山がちだが広く盆地が多いうえ、一つの大名の下にまとまっていないからな」

「切り取りやすいということにござるな」

その結果起きたのが、今早馬が報告していることだろう海野平(うんのだいら)の戦いだ。武田家は村上(むらかみ)家や諏訪(すわ)家といった信濃の豪族と結び、佐久(さく)郡の滋野(しげの)一族と合戦に及んだ。歴史が狂っていなければ連合軍が勝利し、武田家の信濃進出の足がかりとなるだろう。

滋野といえば一番大きい家は海野(うんの)だ。この他に禰津(ねづ)望月(もちづき)がいる。海野の支流がのちに有名になる真田(さなだ)で、彼らは今頃上野あたりに逃げ延びているはずだ。


「真に大きい堀にござるな」

いつの間にやら街を歩きながらも城に近づいていた俺たちは、堀を見て感嘆するという非生産的な行為をしていた。

「こんなでかいもの作っても維持できる金は持ってないな」

「やはり相武豆三州の太守は違いまするな」

無駄口を叩きながら城下を一周すると、豪勢なめぼしい屋敷は大体目に入った。

「この街丸ごと城塞化できたら強いだろうな」


この日は名物のかまぼこを買って帰った。かまぼこそのものは奈良時代より前、神功皇后(じんぐうこうごう)の時代からあるらしいが、小田原かまぼことなると話は別だ。江戸期発祥といわれているが、北条早雲の代には既に始まっていたという話もある。名物化しているかは微妙だが、山中の箱根に魚を届けるための保存食として需要は大きい。難しいことはいい、美味いのだからとりあえず買って帰って食べればいいのだ。それが終われば翌日の謁見に向け急いで支度をし、早寝をしよう。そんなことを考えながら夕映えの道を二人歩いた。


「足利国王丸にございます。日頃より格別のご厚意を賜り…」

つらつらと挨拶を述べるだけの簡単なお仕事だが、鷹揚として眼前に佇む人物があの北条氏康となっては平常心ではいられない。

「先の国府台の戦、ひとえに父の過ちゆえ、お詫び申し上げます。真里谷に身を寄せて以降、北条のため粉骨砕身、里見を潰すため働いて参りました。つきましては援軍の件、誠にありがたく存じまする…」

謁見はそれだけだった。だが俺は北条氏康の顔を覚えた。肖像画にあるのをそのまま若くしたような怜悧そうな男を前に、えもいわれぬ感慨を覚えていた。

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