最初から袋の鼠
「殿、真里谷より急使にございます」
春も過ぎ夏に差し掛かり、涼しさが薄れて来たあたり。天文6年、国王丸の知る時間軸では1537年の6月である。
部屋で寛いでいた少年と父親、兄の3人に小間使いが焦って声をかける。すかさず少年は苦笑し、厄介ですなと父親に告げる。年相応とはあまりにもかけ離れた言動に戸惑いながらも、立派な一門の主でもある父親は言う。
「直ぐ行く。待っておれ」
小間使いが去った後、着物を正しながら手短に少年に向き直る。
「お主の歳でもそれがわかるか」
「どうせ内訌でございましょう。また相模が絡みましょう」
「お主は見込みがあるな。兄をよく助け大成するのだぞ」
足早に父親は去って行く。
「相模?内訌とはなんだ?」
春に元服を済ませたという初々しい兄はまだ飲み込みきっていないようだ。
「兄上は我ら一族の歴史をどれくらいご存知です?」
「はて、考えたこともなかったな。父上が一代で成したお家だというのは知っているが」
「それでは少しまとめてみましょうか。さすれば今の情勢がわかるというものです」
時は鎌倉末期、幕府の京都のトップ、六波羅探題を破った男がいた。名前くらいは誰でも聞いたことがある歴史上の英雄、足利尊氏だ。彼は鎌倉討幕の旗印だった後醍醐天皇に反旗を翻し、かつての同志新田義貞や楠木正成を下して新たに室町幕府を打ち立てた。
尊氏は幕府を京都に置いたため、東国の抑えが必要だと判断し、息子の基氏を鎌倉に送り、鎌倉公方とした。その後鎌倉公方は中央の本家と対立したり部下の関東管領上杉氏と戦争をしたりするのだが、その中で足利成氏という鎌倉公方が本拠を今で言うと茨城県の古河市、古河に移し、古河公方となった。
そのさらに孫、足利高基というのが永正の乱という戦乱で父親の政氏と対立した。家中がガタガタになって権力基盤が弱まったのだろうか、高基の弟で出家して僧侶になっていた男が家出し、還俗して武将になった。さらに彼は房総半島に入り、地元豪族の助けを得て領地を勝ち取った。
いい加減この兄弟の父親の名前を明かそう。彼こそがこの高貴な血筋ながら僧侶から成り上がった男、足利義明である。
「と、ここまでは流石に知ってるぞ」
「左様でございましょう。ですがこの時父上を助けた家が問題でございます」
「ほう」
それが上総国、つまり現在の千葉県中部に根を下ろす上総武田家だ。武田信玄を輩出した甲斐武田家とは遠い親戚にあたる。本拠にした地名から真里谷家とも言って、区別のためにこっちで呼ぶことにする。
この真里谷家の当時の当主は真里谷信清という。2人は結託して北方、現在の千葉県北部と茨城県南西部にまたがる地域である下総国の千葉家と対立し、小弓城という城を攻め取り、小弓公方と名乗った。それ以来小弓公方は本家だった古河公方と対立し、独立の傾向を強めた。
しかしいくら末法の世とはいえ、新興勢力はそう簡単に上手くいかない。真里谷信清がやがて死ぬと、2人の息子が家督争いを始めたのだ。戦国名物お家騒動である。
1人は信応。こちらは我らが小弓公方家を後ろ盾に頼んでいる。もう1人は信隆で、こちらは伊豆・相模国から武蔵国へ、当時から今現在も急激に勢力を拡大しつつある大大名、北条氏綱を頼った。
「先だって父上は戦で信隆を攻められ、ついには降伏させました。それがしの推測ですが、信隆が逃げたという話ではないかと」
「なるほど。逃げるとすればその先は北条だな。そうすると敵は今まで相手にしていた房総の諸大名とは格が違う相手になる」
「はい。それゆえ面倒ごとと申し上げたのです」
「お主は読み書きばかりやっているからな、流石の知識量じゃ。もそっと外遊びもせぬと体ができぬぞ」
今のところ少年の体は昔経験したのと同じような成長をたどっているようだ。現代人というのはえてしてこの時代の人間よりは大きいので体格の心配はいらないだろうという読みがある。国王丸はそれがあるからこそ、兄の話を笑って躱した。
「お主の読みは当たるのう。真里谷信隆が北条に逃れたそうじゃ」
ちょうどその時、父親が部屋に入って来た。
「どうなさいます」
「すぐに打つ手はあまりないかのう。まだ一触即発というところまでは行かぬであろう。無論、導火線に火は付いたであろうがな」
俺は北条は好きだ。国王丸は一人寝転んでそんな個人的なことを考えている。顛末次第では北条に仕えるという手もあるかもしれない。どうせ次男だし家を継ぐわけではない。仮に家を継ぐような事態になったとしても、その時は家そのものがヤバいのだから誰かに降るほかない。北条に仕えることはできるだろうなと漠然と考えていた。
好き嫌いよりも大事なのが強い弱いである。北条は強い。そんな報せが一月もすれば舞い込む。
「北条左京大夫、扇谷上杉の軍を破り、河越城を落としたと」
「何だと!?奴はそこまでか」
そこまで強いかと言おうとしたのだろうが、当主がそんなことを言えば家中の士気が下がると踏んだのだろう。血筋の高さと実績から高慢になっていないわけではないが、その分当主としての自覚に溢れている。
この河越城が落ちると何がまずいかというと、これは扇谷上杉の本拠地なのである。扇谷上杉は山内上杉と並んで両上杉と呼ばれ、合わせて関東管領上杉家となる。この落城は長い目で見れば、その片割れが衰退する序章の一つでもあるのだ。
「ヤバいな」
そんな中国王丸は夜の布団で考え事をしていた。河越落城がではない。それによって父が北条氏綱の強さを目の当たりにしてしまったことがである。
「士気に影響出ないといいけどなぁ」
やはり気持ちというのは抑えられない部分もある。自覚で何とかならない話もあるのだ。
「けど、まだ終わりじゃない」
彼は知っている。いや、知ってしまっている。遥か先を生きた故に。
それはその年最後の衝撃としてやってきた。
「千葉殿が離反したと」
「ふざけるな!」
家臣の前でつい立ち上がった小弓公方は冷静に返ると、その報せーー味方についていた下総の千葉家の当主千葉昌胤が北条方に離反したという報せを苦虫を噛み潰したように聞いていた。
国王丸は。
という言い方ははっきり言って適当ではないかもしれない。
慎司は知っている。
この先何が起こるかを。
それゆえに平穏を見て苦しみ、苦境を聞いて慄く。なにせ敵の強さを知っているのだ。相模北条五代のうちの2代目、北条を名乗りはじめた男でもあり、礎を築いた男、北条氏綱。彼だけではない。その子氏康、さらにまだ生まれていないその子氏政、またその子氏直までみな非凡の将だ。
「懸念材料はもう一つ」
上総よりもさらに南方。房総半島南端、安房国に蟠踞する里見家だ。北条の歴史を勉強すると必ず出てくる北条の宿敵の一つでもある。
だがこの頃はまだそんな関係ではなく、小弓公方ともくっついたり離れたりである。今は北条に同調し、敵同士となっている。
「こいつが信用できない」
里見家は謀略の家である。当主の里見義堯もまた非凡の将だ。
今のところ、まだ歴史は歯車に沿って動いている。せいぜい某フリー百科事典の国王丸の項目に子供の頃は聡明だったという逸話が一つか二つ足されるくらいだ。だが。
「周りが強すぎる…どうやったら動くか皆目見当がつかないな」
自分の言動がバタフライエフェクト、つまり思いもよらないところから派生して大きな歴史改変につながることも十分ありうるのだ。ことにここは関東、中大名くらいの規模の家が大量に存在し様子を伺い合う地域だ。どことどこが繋がって、何が命取りになるかわからない。
「あの人に会うまでは死ねない、かなぁ」
そんなのも僅かな希望である。だが、モチベーションの一つでは確実にあった。
「よっし、寝るか」
空は曇っていたが、その夜中、遂に雨は降らなかった。