北条領
「あと一刻も行けば着くか」
実籾城、次いで高根城まで来ると、千葉家の勢力よりもそれに仕える地元の国人衆の色が強くなってくる。この辺りは小金城に本拠を置く高城氏の領地だ。
「…明日は国府台か」
絞るように呟くと、八郎はハッと振り返る。
「それがしは来たことがございませぬ」
「俺もだ」
この体になってからは。心の中でそう付け足し、歩みを進めた。
その日の夜、八郎は陰鬱な気持ちのまま国府台城内の客間で寝入ったようだった。だが俺は眠る気になれず、明日の朝が辛いことは承知で城内を歩き回った。
縁側から外を眺めると、不意に灯りが現れた。
「あれが港か」
この辺りは港で栄えた町だ。昔戦が起こって今は衰退しているが、それでも船着き場には灯火が煌々と照っていた。それを見ていると、なんとなく落ち着いた雰囲気になるのを感じ、不思議な気持ちのまま床へと踵を返した。
父の最期の旅路に倣い相模台まで北上し、そのあと江戸川を渡ることにした。その後はいくつもの小河川を越えながら江戸城を目指す。
「日が沈むぞ」
「間も無く渡り終わります」
「渡っちまった後、今日はどこに泊まるんだ」
「致し方ございませぬ、この辺りの宿場にいたしましょう」
行程が遅れると無駄な一泊が増えるが、それは今の俺にとっては好都合でさえあった。遅れれば遅れるほど暇が潰れる。
次いで入ったのは江戸城だ。さすがに本丸に入れろとは言わず、城外に泊まったが、翌朝遠山綱景との面会をすることになった。
「手紙出しといてよかったな」
「他の方にもお会いできましょうな」
「青備えの富永殿もここにいるはずだ」
「なるほど、あの方ともお久しぶりにございますな」
「お久しゅうござる」
「国王丸殿、大きゅうなられたな」
社交辞令だろうが人当たりよく答えてくれた。そうだ、この男が遠山綱景だ。だんだん印象を思い出して来る。
「今後の友好のため、御本城様に面会を申し込みたく」
御本城様という表現に少し意外そうな顔をされた。これは北条家での主君の呼び名だからだ。
「それはどうかな、御本城様は今政務でお忙しいゆえ」
「それは容易ならぬ。働きすぎて夏風邪など引かれてはお体に障りますぞ。御本城様もお若くはございますまい」
わざとらしく大袈裟に反応する俺を見て明らかに目の色を変える遠山綱景を見て、俺は確信する。
図星だ。
もう少し言おう。俺の知る歴史では、北条氏綱は今年、天文10年の夏に亡くなる。関東一円の情勢に波紋を投げかけうるこの情報を、誰より早く、家中の人間や、ひいては本人の体感より早く掴み、見越した立ち回りをする。これが転生の、人生チートの醍醐味だ。
とか言っている場合ではない。事実だとした場合、北条の威光に多分に裏打ちされている真里谷家の勢力は衰退し、里見がまた盛り返して来る可能性もある。俺の家も一応関東公方を名乗れるかもしれない程度の弱い城主権力はあるが、それも真里谷の後ろ盾あってこそだ。北条が窮地に立つと、それだけで俺は詰みうる。
「ともかく小田原には参り申す。重臣の方々にも何かしら贈り物をいたしたく」
「相分かった。折り合いよくそれがしも一両日中に小田原に出向くゆえ、共に参ろう」
「御城は大丈夫にござるか」
要らぬ一言を挟んでしまった。
「無論。太田!」
呼ばれてやって来たのは、遠山、富永に次ぐ3人目の江戸城代、太田資高だ。この男はかつて扇谷上杉領だったこの城に家臣として仕えていたが、不満をもって主君を追い出し江戸城を手土産に北条に寝返ったという過去を持つ。
「留守にする。任せるぞ」
「承知した」
資高も別に若くはないが、有能そうな横顔を見せ、頼り甲斐がありそうな顔をしていた。彼はそのまま立ち去って行き、俺たちの面会も一応終了となった。
それから幾日もせず、東国最大級の城下町、小田原が俺の眼前に姿を現した。本格的拡張を受けるのは次代以降、氏康や氏政の時代だが、それでも大城郭と城下の賑わいは本物だった。
「いっそうるさいくらいだな」
「まこと賑やかにございますな」
城下町では下馬して馬を牽いて進むが、子供の身には正直重労働だ。八郎が察してさりげなく手綱を受け取り進んだ。こいつは本当に有能かもしれない。
さて、まずは宿だ。今の俺は一応古河公方の縁者の一人で真里谷家に協力しているという扱いで、なぜなら敗れて滅んだ小弓公方なんて名跡は名乗れるはずがないからだ。で、足利の血を引く貴人だからといって無条件にいい宿を得られるわけではない。小田原城は今まで滞在していた城とは格が違う大大名の本城であり、そう易々と核心部に人を泊めるようなことはしない。
「使われよ。前の持ち主が西国で客死してな」
そんなわけで城下にあった縁起でもない屋敷を一つ借り、兵は宿場に置いていくことにした。
それからすぐに挨拶回りと根回しである。元敵国のため、これをしっかりやらないと即死する。
まず筆頭である家老たちを訪れる。順番も大事だ。今後の関係性に影響するかもしれない。
「それで、此度はどうなされた」
「里見との戦が一段落したゆえ、援軍についてお礼を申し上げに参りました」
松田盛秀。北条家の祖・北条早雲こと伊勢盛時の代からの家臣だ。松田家との縁は厚くて困ることはないはずだ。
「つきましては、松田殿にもこれを」
付け届けは欠かさない。口実とした援軍の礼として、後日謁見したい旨を伝えた。
「御本城様はお忙しいゆえ、若殿が代わりに会われよう。わざわざご苦労にござった」
やはりその方向で色々とまとまるようだ。まあ文句はない。
次いで遠山綱景。こちらは重ねての付け届けをしつつ、再度の礼を言った。
それから回ったのが清水綱吉。伊豆方面で活躍する将だ。
「太郎様、お客人ゆえ」
「おう、分かった」
女中が俺と同年輩らしい後継ぎを部屋から追い出し、ここでの謁見も済ませた。そのうち、あの少年とも仲良くしなければならなくなるだろう。
この日は笠原綱信、石巻家貞の二人に会ってとりあえず終いにした。
「歩いたなー」
「真。お疲れではござらぬか」
「まあ、少し。早めに寝るよ」
明日訪ねるだろう何人かの将を夢に描きつつ、ひとまずの眠りについた。




