拾う縁下総の縁
「本年も一層の友誼をよろしくお願いいたしまする」
正月の挨拶を言いに真里谷城に行った国王丸は、ついでとばかりに小田原行きの許可をもらった。
「里見に城を奪われればお主の責任ぞ」
「百も承知にございます」
盛春にも出発することにして、まずは顔ぶれを決める。
「よし、無難にお前で行くぞ」
「それは失敬な」
同行は逸見八郎とした。この男が少年にとって一番信頼できる。
「城代は信濃にする。秋元、東平両名と俺の業務を分割して励め」
「はっ!」
こんなに大きな城の城代を務められると思わなかったのだろう、村上信濃守は本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「正直この旅は一年かかるかもしれん」
「竹姫様はどうなさる」
「悩みの種だ。いっそ連れて行ってみるか」
竹姫は数えで4つ、満年齢も3歳になったところだ。
「秋元に預けるか。ちょっと年上だが息子がいるだろう」
「なるほど。諮ってみましょう」
こうして竹姫は、のちに勇将秋元義久となる童と一年間同居することになった。
3月、国王丸は最低限と常備兵100を連れて進行を開始した。事前に千葉家当主の千葉昌胤と江戸城の遠山綱景に文を書いておいた。千葉、こいつも父の仇の一人ではあるが、言い出したらきりがないのかもしれない。グッと飲み込む。
「下総に入るとすぐに千葉領だな」
「一泊目はどこになさいます」
「ちょっと北に行ったくらいだろう。椎津だな」
椎津城。ほんの2年半前まで小弓公方のものだった城だ。
着いて一言八郎が漏らす。
「隼人佐殿、懐かしゅうござる」
国王丸の足が止まり、二人はしばし沈黙の中にいた。椎津隼人佐、剛の者としか聞いていなかった。
「…彼はどんな男だったんだ」
「武勇のもので先陣を志願し、あの日も一陣目を務めておりましたな。しかしながら日頃はよく人を気遣い関わる、いい方にござりました」
「そうか。…歴史にはそう残すよ。約束する」
ここは小弓公方旧領、いつまた誰に出会うか分からない場所だ。
「明日はどうするかな」
「小弓まで行くことはできましょう」
「懐かしいな。流石に道も覚えているさ」
「して、いかがなさいます」
「やめておくよ。亥鼻でいい」
亥鼻城は千葉氏の発祥の地だ。
「左様なところに泊めてもらえましょうか」
「なんなら城下でも構わんさ。もう文は出してあるしな」
そう言われれば八郎も了承した。
椎津を出ればまもなく下総、千葉氏の領国である。ここから先は用心する必要があった。
「…あぁ、小弓だ」
あまり城に近い道どりをしていないが、それでも彼の故郷と言っていい城は悠然と佇んでいた。
「若様!」
田の中の道を進むとき、農作業を監督していた男が一行に気づいて駆け寄ってきた。
「十郎か!」
八郎が町野十郎との久々の再会を喜ぶ間に国王丸も声をかける。
「あの時の書状、まだ持っている。俺たちは今小田原に行く途上だが、戻ってきたらあれを携え攻め込むつもりだ」
「少しでもお役に立てたようで何よりにござる」
里見の戦場での非を糾弾したあの書状だ。侵略戦争の口実として預かっていたが、ようやく使える時がきた。
「今は何をやっているんだ?」
「千葉の城代が人を募集しておりましたので、牢人したのち代官となりましてございます」
「そうか…人それぞれだな」
「町野氏は問注所執事三善氏の家柄にござる」
十郎は急に饒舌となる。
「いわば足利家そのものの譜代の家臣。お家がある限り、それがしはお仕えさせていただき申す」
これがプライドか。高貴な家だからこその自尊心を目の当たりにした国王丸は、こう返事した。
「その覚悟、本当にありがたい。来てくれるのか?」
「千葉にいとまをもらいましょう。若様…あいや、殿がお戻りになられる暁には、兵を率いて従軍いたします」
こんなところで人の縁を拾えるとは思っていなかった。
「その忠義、感謝する」
だからこそ彼は、心からそう言えた。
亥鼻城では、主家の嫡男の千葉利胤の妻が妊娠中だと大騒ぎになっていた。
「お構いもできず、申し訳ござらん」
取り次ぐのは城主で千葉家一族の原胤清。小弓城もこの男の支配下だ。彼は足利義明の下総乱入前の小弓城主でもあり、国王丸の父の死によって城主復帰を果たしていた。
「なんの。こちらとて無理を通して申し訳ござらん」
過去ゆえに多少緊張した空気が流れるが、双方ともにここで刃を交える道理はなかった。
亥鼻城で振舞われた夕餉のうまさを噛み締めながら、翌朝早くに一行は出立した。
「千葉領、早く抜けたいな」
小声で囁く国王丸に、八郎は口に出すなと窘める。
「すまぬ。が正直、下総という土地は俺の過去を背負いすぎてる」
足早に城下を後にした100人と二人は、北西へと歩を進めた。




