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粘る擦り寄る裏返る

「行ったか…」


俺は呟いて櫓の上で腰を下ろした。援軍の到着と同時に里見軍の過半が包囲を解いて向かって行く。抑えとして城兵とほぼ同数、岡本随縁斎以下100ほどがこちらに残って城門の攻撃を続けていた。

「門の耐久を過信してはなりませぬぞ」

「向こうも本気では攻めてこないはずだ。少しずつ削っていけ」

割りかしのんびりゆっくりした戦を尻目に、両軍本軍は死闘を開始した。里見軍は俺が思ったほど攻勢に力を入れたわけではなさそうで、そこまで疲労しているようには見えなかった。まだ経験不足だな。

「若殿、伝令にござる」

「おう、すぐ行く」

御殿の庭先に移って伝令兵の報告を聞いた。

「真里谷城を経由せず、東方よりこちらに軍勢が迫っております。恐らくは国人衆、日和見をして恩を売ろうといたしましょうゆえご用心を」

「忠告感謝する」

そんなに足を伸ばしてくる野心的な連中が房総にもいたか。あとでしっかり正体を確かめなければならない。

そうこうするうちに岡本隊の攻勢が弱まったように感じられた。間断なく弓矢を射込んでいるとはいえ、膠着に入りつつあった。

「敵将、寝返らせられないか」

「何を無茶なことをおっしゃいます」

そう言いつつ俺は記憶の海に飛び込んだ。岡本は父の代からの忠臣だから難しいかもしれない。正木はどうだろう。俺のことを仇として見ていれば無理だろう。だが里見はこの先ある程度内乱も起こった家のはずだ。どこかに糸口がある。

「申し上げます!新手が現れました!」

そうだ。糸口とは見つけるものじゃない。降ってくるか、そうでなきゃ見つけるものだ。

「旗は?」

五つ木瓜(いつつもっこう)にございます」

比較的よくある紋だ。断定はできない。

「突っ込むか」

「何をおっしゃいます!」

「元からどこかで博打に出ないといかんだろうよ」

一言で八郎を説き伏せる。

「打って出る。支度をしろ」

「はっ」

全軍が城門に集中し、開門と同時に岡本隊中盤を貫いて外へ出た。敵は門の全てを満遍なく攻めていたがために一つ一つは薄く、こちらの寡兵でも集中すれば突貫できた。

本陣は後退するが、こちらとしては構わずに別の門の敵を蹴散らした。数少ない騎馬を縦横に使いつつ、歩兵で後始末をしていく。

岡本隊は崩れながらも隊伍を整え後退し、敵本軍に合流しようと移動した。こちらもいい加減深追いはしない。

「大博打にございますな」

八郎が肩で息をしながら興奮醒めやらぬ顔で言う。

「これで士気も変わるだろう」

言葉通り、久留里城の包囲が解けたことで戦況は真里谷方に傾きつつあった。こうなると里見に忠誠を誓わない者たちは裏切り始める。

「殿!東平安芸、ただ今到着いたしました!」

「遅かったな」

どうせ様子見していたのだろう。だが来てしまえば問題はない。

「消耗している。合流してくれ」

「はっ」

大戸は二条が徴兵をしていなかったせいか頭数に余裕があったらしい。戦をしないって大事なんだな。

「まあ数が揃ったか」

「これより本軍と合流なさるので?」

「いや、あっちを討つ」

あっちとは未だ本軍と合流しきっていない木瓜紋の新手である。

「この辺りの里見方の将には詳しいんじゃないか?」

安芸守に問う。

「はっ、あれは小糸(こいと)城の秋元(あきもと)にございます」

おお。思ったよりは有名どころが来た。下野国、栃木の名門宇都宮(うつのみや)氏の支流の一つで、同族に江戸期に大名になった秋元長朝(ながとも)の一族がいる。

「なるほど。寝返る公算は?」

「当代は厳しゅうございましょうが、世継ぎはまだ幼いゆえに、この手勢を討てば転がり込んでまいりましょう」

なるほど。なるほどなるほど。

「ここで手勢を全部率いて当たる。おそらく本軍と同じく膠着に入るはずだ。あとを決めるのは国人衆だ」

「はっ!」


一方の本軍も士気が上がったとはいえ苦戦しているらしい。

「鶴見隊押されております!いま一押し救援を!」

「なんとか持ち堪えた!この隙に休みまた前に出るぞ!」

「正木隊を押している!このまま押し切るぞ!もっと兵をよこせ!」


「正木時茂あたりを討てば、この戦勝ちだな」

それによって里見の衰亡と国人衆の見限りが既定路線になる。誰か大物の首が必要だった。

「こんなことなら正木時忠を討った運を取っておくべきだったな」

「戦は水物にござりますな」

真里谷の朝駆けの勢いは尽き、もう日も登りきり傾きつつあるくらいだ。まるで関ヶ原(せきがはら)の戦いだな、と思い耽る。あの戦いも朝から始まり、昼頃に膠着した。その勝負を決めたのが、有名な小早川秀秋(こばやかわひであき)の寝返りだ。

「申し上げます!真里谷城の殿より伝令!」

信隆からか。

「どうした」

「北条より使者がいらしたゆえ、書状を回すと」

「俺宛てか?」

「複数ございまして、そのうちの一つにござる」

「わかった」

目を通し、間違いのないように二度読んでから一言告げる。

「勝ったな。安心しろ」

「どうなさった」

「三浦から安房に北条水軍がちょっかいを出すそうだ」

里見水軍は東国最強レベルではあるが、どちらにしろ迎撃に数を割かなければならない。それに仮に北条が負けても、水軍というのは消耗が大きいものだ。兵はこの戦場から多少減るだろう。

「それに里見水軍のまとめ役の一人が岡本随縁斎だしな。生還するためにそこそこの兵を連れて帰るだろう」

「して、殿はどうなさいます」

「こういうのはちょっとばかり情報を曲げて流すといい。北条が安房に侵攻し、水軍不在の港を蹂躙したとかなんとか言っておけ」

「はっ!」

悪い顔だ、逸見八郎。俺が元服して諱をもらったら、とりあえずこいつに偏諱(へんき)をやろう。偏諱というのは名前の一字を家臣にあげることで、たとえば北条家臣で「綱」「康」「政」が付いている人間は大体これを受けている。遠山綱景なんかもそうだ。

閑話休題、それから間もなく俺の隊は秋元隊と激突し、戦闘状態に入ろうとした。

「お待ちを!敵より使者が」

「今度はなんだよ」

怪訝な顔をしつつも足を止めさせ、会うことにした。

「それがし、小糸城主秋元将監義政(よしまさ)と申す。この戦場には真里谷軍に利ありと存じたゆえ、我ら一族降りとうござります」

東平安芸守は義理堅いから裏切らないだろうとか言っていたが、世継ぎがまだ任せきれない年齢となればお家存続のために信念を曲げる。そんな国人のしたたかさを見た。

「分かった。早速で済まぬが、あの隊に弓を引いてくれるか」

無理矢理だが忠誠を試し、里見の旗をまっすぐ指さす。

「はっ。御家のために」

御家とは真里谷の家なのか秋元の家なのか。そんな野暮な問いかけはしなかった。

これが決定打となり、戦況は変わった。

「申し上げます!東方より近づきし謎の軍勢の正体、土岐の家の模様!」

そう来たか、というより頭が回らなかっただけで、軍を出せるくらい余裕ある国人は少ない。ここに来て決戦場で恩を売りに来たな。この状況から里見に味方することは恐らく万に一つもないが、すぐに恭順するよう使者を出す。

「いやはや、お久しぶりにござる」

夕陽の沈む時分に使者が連れ帰って来た将は、万喜を出るときに兵を貸してくれた鶴見行綱だった。

「また会えて嬉しゅうござるな」

挨拶を交わし、真里谷軍に加わると誓約を交わした。

「あ、これ俺が総大将なのか?」

八郎に問う。

「皆そう思っておりましょう」

今更気づいた事実だ。俺は夢にまで見た一軍の将に、気づかぬうちに成り上がっていたらしい。

「もう日が沈むな。夜戦突入するか?」

「退かれても面倒にござるが、兵も疲れておりましょうな」

少し考える。

「いや、行軍はさせてしまったが、まだ戦えるはずだ。久留里城兵の80は後ろに下げ、千本城、大戸城、小糸城の兵を前に出せ」

「はっ」

「それに土岐もまだ何もしておらぬはずだ。存分に働いて欲しいと伝えてくれ」

「承知いたしました!」

この時点での軍勢は以下の通り。

真里谷軍

足利国王丸・逸見八郎 60

東平安芸守 250

秋元義政 200

大竹信満 460

鶴見信仲 400

村上信濃守 300

土岐為頼 800

佐々木信家・麻生近郷 200

計 2千670

里見軍

正木時茂 740

岡本随縁斎 60

里見義堯 650

計 1千450


土岐の動員力に戦慄したが、一年間ほどの温存は大正義だと再確認した。

「押し切れるか?」

「なんとしても潰します!」

兵を多く用意できた方が勝ち。当然すぎる論理だ。

「正木隊を撃破!壊滅状態!」

「岡本隊、戦線を離脱!」

「里見本軍、敗走を開始いたしました!」

三つの報告が同時に飛び交い、夜遅く、待ち続けたが故の勝利を手にしたことを悟った。

「将は討てなかったのか」

「申し訳ございませぬ」

村上信濃守が本当に申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、構わん。これで上総の大部分から里見を追い出せた。あとは水軍の戦次第だな」


久留里戦争

真里谷軍 2千800 足利国王丸、大竹信満、土岐為頼

里見軍 2千 里見義堯、多賀高明

武将級討死

真里谷軍 なし

里見軍 多賀高明

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