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脱兎南進

「申し上げます!」


その報せは国王丸を震撼させた。

「御味方、安房国山之城にて正木時茂率いる里見軍と会敵。乱戦の中、敵伏兵が突如として現れ、真里谷朝信様が御討死なさいました」

「信隆殿は!」

あまりの惨状につい叫んでしまった彼はふと我に返った。

「すまない、お主のせいではないな。信隆殿はどうなった」

「朝信様が御命を賭して開かれた退路より後退し、他の将の方々も含めなんとか御命は無事にございます。兵はかなりの大損害を受けました」

ここまで聞いて、彼はようやく大きく溜息をついた。小田喜が欲しい欲しいと言っている最中に持ち主が死んでしまった。後味が悪いことこの上ないし、家にとっても大損害、個人的にも世話になったと思っているだけに感情もひとしおだ。

「敵の軍勢は?」

「正木時茂と岡本随縁斎、そして伏兵は里見義堯自らが率いておりました」

これを聞いた国王丸は蒼白だった顔色を戻した。

「大将自ら伏兵となるとは…恐るべし」

傍に控えた真里谷家臣、鶴見信仲(つるみのぶなか)が漏らす。

「そう思わせるのが目的でござろう」

それから国王丸は嬉しそうでも楽しそうでもなく、ただあてが当たったように叫んだ。

「陣触れを出せ!明日出るぞ!」


翌日、真里谷城から1千の兵が出発した。何を隠そう、これが真里谷常備兵である。虎の子を人に任せて無為に消耗させるような心の広い国王丸ではなかった。そこに鶴見信仲の軍勢が加わり、合計はもう少し多くなった。


こんなに早い出陣ができたのには理由があった。安房で戦が起こる以上、情勢次第でどうにでもできるようにと招集をかけておいたのだ。

「なにゆえ南に向かうので?」

鶴見は問うが、逸見八郎にとっては愚問である。

「里見義堯は安房。正木時茂も安房。上総に誰がいるのでござる」

この極論は彼の主が吹き込んだものだ。里見の本拠は南方にある上総の久留里城。そこを落とせば、先の戦の損失をギリギリ1対1交換にできるという考えだ。


予想通り、疲弊した正木軍に兵力を補充した里見に余力はなかったらしい。久留里城には寡兵が詰めており、本丸を残して制圧できた。

真里谷軍

足利国王丸(指揮:逸見八郎) 800

村上信濃守 200

鶴見信仲 400

計 1千400

里見軍

多賀高明(たがたかあき) 400

計 400

「負けたらひどいぞ」

「承知いたしました」

攻撃3倍の法則。攻城時に必要な兵は防御の3倍必要だということ。国王丸は自身初めてこれを用意できたことに感慨を覚えつつ、素早く久留里城に取り付けたことに安堵していた。

「敵の援軍もあり得ますな」

「どうだろうかな。一応物見の人はよこしたが」

主だった支城の大戸(おおと)城と千本(せんぼん)城に物見を出しており、一応命綱は繋がっていた。

「速攻するぞ。火をかけても落とす」

放火は占領のことを考えるとこの場合あまり良くない。だが里見の家を潰す方が先決だったし、真里谷城も取られてはならなかった。

「出てきましたな」

小競り合いをして士気を上げようという魂胆だろう。そこまで本気で挑んでくるわけではない。それでも。

「行け!」

最初のチャンスを逃すことはなかった。


一方の安房戦線では、大打撃を受けた真里谷軍が山之城下で休息していた。

「正木に勝てねば何もできまい」

勝ちと言える要素が何一つない戦だった。大竹信満は一死をもって首を挙げる覚悟を固めつつあった。

真里谷信政が反省をするのを尻目に、その父信隆は別室で涙していた。

「儂のせいか…儂のせいで」

重臣が死んだ。一人の命の責任を突きつけられ、押し潰されそうになっていたのだろうか。

「父上」

やって来て襖を押し開けた信政が、一目で心中を察し口をつぐむ。

「明日、火をかけるぞ」

「はっ」

火計をもって山之城を落とす。責任感があるこの男は、そうでもして朝信の仇を取りたかった。


もう一つ戦線がある。兵を動かさない戦場だ。

「上総安房全土が戦場だ。戦をしていない連中にこそ目を配れ」

大戸城には兵が多少いたが、城主の二条若狭守(にじょうわかさのかみ)は出兵のそぶりを見せなかった。

「奴は久留里が落ちたら寝返るぞ」

国王丸は目の前の激戦に動じず、一つ一つ慎重に優先順位をつけていく。

「千本はどうだ」

千本城主の東平安芸守ひがしだいらあきのかみはすでに出発したが牛歩している。兵は100か200だというので、全滅を恐れているのかやる気がないのか分からない。

「警戒はするが放置していいな」

そして地理的には離れているが、もっと大きな国人衆がいる。

「弾正殿は何をやっている」

この大乱に土岐弾正少弼為頼が何もしないはずはなかった。すでに万喜に兵を集めているらしく、昨年一年間しっかり温存していた成果を出したようだ。

「やるとしたら敵か」

最後に一つ、真里谷信隆が死なないように。

「無茶するなと伝えろ。すぐにだ」

里見義堯相手に足止めというのは無茶の範疇に入る。死んだら国人が皆裏切るのは火を見るより明らかだ。睨み合うだけでもいいと使者にことづけた。


その夜に返事があった。

「やけに早いな」

とは思ったが、いくらなんでも敵の眺望があり得るところを半日で往復は無理である。つまり報告が入れ違ったということだ。

苦笑しながら文を見ると、明日山之城を火攻めするという。日付は一昨日だった。

「明日、久留里に籠城するぞ」

国王丸はそう発破をかけ、村上信濃守は自ら前線で戦った。

「多賀高明を討ち取った!」

どこからか声が上がると、すぐに城中が制圧された。

「若殿、お使者が」

「久留里の応接室に通せ」

気分はとっくに里見の大将である。やがて使者、いや一軍の将自身が入ってきた。

「お初にお目にかかりまする」

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