寄せ集めと雪国の漢
ここまでで100話もかかりました。
「…俺が、何したってんだよ」
この世界に来て最初に口にした言葉だったように思う。今また思い出したように吐き捨て、目の前の絶望的な状況と、まだ一本繋がった希望を見比べていた。
柿崎景家の隊は捕虜と戦死合わせて1千ほど減らし、対面して動かない。おそらくは傷病者の手当でもしているのだろう。これはまあいい。
問題はこちらから見て左翼から戻ってきた直江景綱隊と、右翼に突如現れた加地春綱隊、竹俣清綱隊である。さらに悪いことには、鹿沼へ向かった壬生の音沙汰がなく、加えて先程そう遠くない山間に何かしらの旗印が見えた。まあ味方ではあるまい。
希望はあるとすれば二つ。俺の隊が柿崎隊を追い返しながらも損傷が少ないことと、武蔵側の戦線がある程度好調であるらしいことだ。
「殿」
梅がさすがに怯えはじめる。
「ここで死なせることはしない。常陸が全く動きがないのが気になりはするが、まだ筋がないわけではないよ」
夜闇に紛れた強行突破。一人でも多くの将が武蔵にたどり着くことがゴールになり、生存することは成功とは言えようが、それはもう勝利とは言うまい。結論、何かの変化を待つしかないのである。鹿沼城という拠点を捨ててしまったのが痛いといえる。
恐ろしかった常陸も、ぽつぽつと状況が聞こえてきた。佐竹が案の定便乗する形で動き、幾名かの武将を寝返らせているという。さらには長尾輝虎は陸奥にも手を回し、蘆名盛氏を煽っているようだ。何がしたいやら、今や俺の脳味噌は追いついていない。
夜中、陣中にもかかわらず夜更かしをしていると、涼しい風が吹いてきた。
「戦は水物、御身体を第一になされませ」
寝ずの番の大関高増にきつく言われたが、その瞬間に頭が回りだした。
「ちょっと待ってくれ。夜だからできることもあるだろう?」
そう言いながら蝋燭を立てて手紙を何通か書くと、すぐに夜陰に紛れて陸奥へと走らせた。これが上手く回れば、北側は手を打った俺の勝ちと言えそうだ。
現実逃避癖の調略はここまで。真夜中の陣中、両軍ともに篝火を煌々と焚いて準備は万端だ。
「朝駆けにございますか?」
「それがいいと思うか?」
「思いませぬ。勝負の綾が見えませぬゆえ」
焦るが、焦った結果逸れば確実に負ける。兵糧はまだある。使い潰しすぎるとあとあと厳しいものがあるが、それでも今は余裕を持っている。
「野戦で年単位の粘りを見せるのは無理だ。かといって唐沢山城を奪うのは厳しい」
「年単位でかかる戦だとお考えで?」
「越後から山を越えるには経費がかかりすぎる。なんとしても敵は上野で越冬するだろう」
高増と二人、最近多いシチュエーションだ。ぽつぽつと二人とも喋るが、なかなか結論は出ない。
「なあ。ここの近くに逃げ筋はなかったか」
「渡良瀬川は遠くはのうございますよ。それまでの間に厚い敵陣がございますが」
「つまり、川を渡り切るまで連中を誤魔化せばいいわけだ」
「いかにして?」
黙る。いい案がない。
東の空が薄赤くなってもそれは同じだった。持ってきたのだから、俺の手駒は全て手元にあるはずだ。将もしかり、兵もしかり、紙と筆もしかり、北条一門との縁もしかり。そんな時、最後に小田原に失念して置いてきた手駒の存在に思い至った。
「外交的に解決できないか?」
置いてきた手駒、それは足利晴氏と簗田晴助である。それを告げると高増は耳を疑って問い返す。
「まさか前公方の身柄をお返しになるので?」
「俺の部隊をまるまる喪うよりはマシだ。掛け合ってみるか?」
こうして俺は、最後の切り札としての外交に打って出た。
代償は思ったよりも大きかった。足利藤氏自らの軍勢、すなわち敵の本軍を北上野から渡良瀬川まで引き入れることになったのだから。
ともかくもその場で二人の身柄を藤氏に引き渡し、対価として俺の部隊の渡良瀬川越えの安全が保証された。
「待たれよ!」
いざ川を渡るという段になって砂塵を巻き上げてきたのは壬生綱雄。なんと俺の意図を汲んで広綱に下野を捨てさせ、宇都宮軍全軍を引き連れ、ばかりか自らの縁故で鹿沼で兵を募ってきたという。
「こいつも俺の部隊だ。渡らせてくれ」
咄嗟にこの巨大援軍を味方に勘定し、一万弱となった軍勢を渡良瀬南岸に据えた。
「とりあえず、下野で死ぬのは免れたな」
「もう。軽口ばかり」
梅が俺を小突く。戦場での命のやり取りは冗談では済まないからだ。
「いやいや、冗談抜きでもまだ気は抜けないぞ。ここはまだ上野で、敵地の只中だ。早急にどこかを抑える必要がある」
そうして選んだのが館林城だった。由良成繁の手の者がいるにはいたが、軽く攻めて恫喝すると城を明け渡してくれた。彼も手広くやりすぎてここまでは手薄になったのだろう。あるいは後々の言い訳のためか。
「那波を探せ!」
上野を追われた那波宗俊は武蔵に逃れていたようだ。探し出して館林城に呼びだした。
「懐かしいな。新田金山で同じことをやった」
「よもや、また居城を追われようとは」
嘆く宗俊。連れている息子はだいぶ大きくなったがまだ幼い。
「この兵で決戦されるおつもりにございますか」
「8千ある。もう一部隊あれば打って出てもいいかもな」
上野に飛び込んだ俺たちは、それでもまだ北条側前線の突端にいた。ここまで援軍を回せるほど北条の防衛がうまくいっているだろうか?
「長尾輝虎本人はともかく、敵軍主力は今目の前に遊んでおります。御味方はある程度押せていると信じる他ありますまい」
敵全兵力は上野衆も合わせて4万ほど。その主力、見たところ2万5千はここで対峙し、江戸方面を窺っている。
「討死覚悟で合戦することに美点はない。敗色は濃厚、死んでは終わりだ」
壬生綱雄も苦笑いだ。
「明日になれば風魔の報せがここまで届くはずだ。それでこの先判断する」
俺はここで待つ選択をした。名将綺羅星のごとくひしめく戦場でのこの判断は、冷静になって見ればだいぶ軽率だ。だが、この一日動かなかったことは結果的に正解だった。
佐竹の攻勢は一時はとどまることを知らなかったようで、多賀谷のほか小田配下の真壁の去就も怪しくなったという。しかし東方の留守を任されていた小田氏治に千葉胤富や高城胤辰、土岐原治英らが奮戦すると、北条未だ力ありと判断して撤退したという。大掾貞国はこの機とばかりに一度寝返ったが、千葉軍に殴られ帰順したらしい。加えて、敵影を見なくなった小山高朝も帰順したようだ。
俺自身の領内の安全は確保できたようなので、ここから反攻が必須となる。北条家の動員兵は俺を除いて2万8千ほど、どう切り分けて防ぐか、政権中枢は大わらわだろう。
「というわけで、5千はここに割くことにした。残り2万あまりで輝虎を叩く」
思い切った配置を告げたのは長綱殿と氏照。彼も成長し、後見だった大石定仲を脇に引き連れることが多くなった。
「義兄者、ここはお任せします」
「今度の相手は新潟公方足利藤氏。されば最高指揮者は小弓公方のお主よ。頼むぞ」
両名に指名を受けて祭り上げられた俺は、手始めに彼我の陣容を確認した。
長尾軍
足利藤氏 2千
一色氏久 2千
町野義俊 2千
新潟公方軍計 6千
新発田長敦 3千
柿崎景家 2千
直江景綱 4千
加地春綱 4千
竹俣清綱 3千
長尾当長 1千
桃井義孝 1千
桐生助綱 1千
総計 2万5千
北条軍
足利頼純 4千
宇都宮広綱 2千 芳賀高定指揮
壬生綱雄 2千
北条長綱 2千
北条氏照 1千500
上田朝直 1千500
計 1万3千
御本城様がこの戦に賭ける気などさらさらないことがわかる。しかしそれでも長綱殿という戦巧者を一人割いてもらったのだ。何かしらの形で有利に終わらなければならない。
「決戦か?」
「絶対にない」
義弘に確認された俺は意思を固めたが、その意に反し、足利頼純空前の大会戦が幕を開けることになる。




