てるてる坊主は桜の季節を待ち焦がれる
前作はこちら。
<a href="https://ncode.syosetu.com/n4978ei/">「桜の花びらが雨に散らされる」</a>
このまま立ち止まっていては駄目だと桜はおもった。自分の気持ちに終止符を打つために。また先日の失態を謝るために、隆太郎に会いに行った。
それを聞いた誠司は、心配のため桜の家で待機する。
しばらく待っていると、とぼとぼと歩きながら桜は戻ってきた。草木を踏む微かな足音に、誠司は気づいて縁側から腰をあげた。
「どうだった? 大丈夫か」
すかさず駆け寄り、桜の表情を覗き込むように態勢を下げた。多分、今にも泣く寸前の状態で、我慢しているんだろうと誠司は思った。
好きな相手に向き合うのは、勇気がいったはずだ。
励ましてやるべきか。
それとも今は、思う存分泣かしてやるべきか。
俯く桜になんて言ってやるべきか。
だけど誠司は、呆気に取られた。
「桜、顔赤くないか……?」
「……っ!!」
言い当てられたのと、相手の顔が近いことに戸惑い、桜はますます顔を赤くした。
「本当に、何があったんだよ。俺はてっきり」
「あたしだって、絶対に泣いちゃうって思ってた。けど……っ」
「まぁ、泣かずに済んだなら、それが一番。これでも心配したんだからな」
「……ぅん」
「わんわん泣いてたら気が済むまで、側に居てやろって思ったんだけど」
状況が掴めない誠司は困惑するばかりだ。理由を自分で理解してる桜は恥ずかしさで顔の火照りは一向に引かない。
「なんかされたのか?」
「隆太郎お兄ちゃんは、そんなことしない!」
桜は、何があったか言えるわけがない。
隆太郎は、桜の気持ちが誠司の方へ傾いている事を見透かしていた。それを言われた桜は否定できないまま、無言で顔を真っ赤にしたのだった。
そして、更に言われてしまった。「樹も僕も、桜ちゃんの婚約者が良い人だって分かってたよ」と。
お茶を一杯だけご馳走になると、明日も大学がある誠司は速やかにおいとまする。桜は見送りする為に玄関先まで、行った。彼が靴を履き態勢を戻して、「また今度」と次も会ってくれる事を、心で願いつつも短い言葉にとどめた時だ。
「待って……っ」
上着の裾を掴まれた誠司は、振り向くと少しだけ名残惜しそうな顔つきをした桜が見えた。少なくても、傍から見るとそう見える。現に、引き止めたのは事実だ。
「あ、あのね。……えっと、今日は、あ、ありがとーーっ、きゃ!?」
言いそびれていた今日までのお礼を言おうとしたが、言葉は途中で小さな悲鳴に変わった。誠司は腕を掴み桜を自分の方へ引き寄せる。
物は上から下に落ちるものだ。
幾らか段差の高い方に居た桜は、低い方に引っ張られ態勢を崩し、誠司の腕の方へ収まる。近さに戸惑う桜が状況を理解して暴れ出すよりも前に、距離を更に詰め、唇を重ねる。
「ーーんんっ!」
桜は今の状況を瞬時に理解する。異性に抱きしめられたことすら、今までなかった。だが、それ以上のことをーー。
ほんの数秒の、触れただけの口付け。押し付けられたわけでもない淡いものだった。それでも桜は唇を離されると、涙目で声を震わし本気で困惑した表情を浮かべている。
以前は詰め寄ったら青ざめながら後ずさりされたから、それ比べると多少は受け入れてくれてる反応に誠司しみじみする。
「……は、初めて、なのに……っ」
「俺だって初めてだよ」
「なっ、なに、偉そうに言ってるの?! そんなの訊いてないし! ふ、普通、好き合ってる二人がするもんでしょっ! なのに、こんな、急に……っっ。まだ、あたしは……して良いって言ってないのに……っ!! 意味わかんない! 勝手に触んないでよっ! なんでするのよ!」
「俺だって、分かんねぇよ!」
顔は真っ赤に染まった桜は、混乱に混乱を重ね言葉に自制が利かない。桜の言ってる事はつまり、まだ婚約相手に対してその気はまだないという事だ。言われてみれば、まだ桜の気持ちを確かめて無かったのに急ぎ過ぎた行為だと、冷静になった誠司は今更ながら思う。
「第一、好きって誠司に言われたことも無いのに……」
「はぁ?! 言ってるようなもんだろ!」
「ちゃんと、い、言われなきゃ分かんないでしょ!」
「貰ってやるって、俺は桜に言ったよな?」
「そんなの、あたしがたまたまお見合い相手になったからで……っ」
桜自身も分かっていた。努力中の誠司が、それ以降も何度も会いに来ていたし、今回だって、好きな男に振られたのを慰める役を買って出てくれたことも。どうして、そんなことをしてくれるのか、考えれば分かる。
「"好き"なんて改まって言えるかよ……っ。格好悪い」
「ちゃんとはっきり言葉で言わないくせに、手は出るの?」
「人聞きが悪いなぁ! したくなったんだからしょうがねぇだろ。ついだよ、つい」
「開き直らないでよね」
「……あのなぁ、教えてやるけど、あんな顔で引き止められたら、男は誘われてるって思うつうの」
「さそ? ばっ!バッカじゃないの?! 調子に乗らないでよ!」
「だったら、実際はどうなんだよ」
急に話をふられた桜は、誠司を見たまま硬直する。
「桜は、俺の事どう思ってんだよ」
「ぇ……」
「気を持ち始めたって思っても良いのか?」
「……っ」
「嫌だったか?」
なにを。
そんなの聞き返さなくても分かる。桜は誠司と触れ合った唇の感触を思い出したのか、顔を真っ赤に染め上げた。それに真剣に聞かれると、困る。
「……」
「…………」
「……ゃだ」
多喜子のこともあり、そろそろ素直にならなきゃと葛藤する桜は、言葉にするにも時間がかかる。少しの勇気を祈ると、桜は聴き逃しそうな小さな言葉で話し始めた。
「もう少し、待ってくれても、……良いでしょ? だって、心の準備もしてなかったのに、急に、訳わかんないままされて、終わってるなんて……っ。初めてするなら、もっと、ちゃんと、、お互いに確かめ合ってからするものでっ」
少女みたいな理想論を語りながら、沸騰しそうな桜の様子に、誠司は思わず吹き出した。
「なっ! なんで笑うのっ!?」
「だってさ、嫌がられたと思ってたから」
嬉しそうに笑った誠司はまた、ほぼ無意識のまま桜の頬に触れた。
その直後ーー
「そこまで」
声と共に対面する二人の間に割って入るように横に立ち、樹は妹を誠司から剥がす。
「まったく。お前たち筒抜けなんだよ。聞いてるこっちが恥ずかくなる」
いったいいつから聞かれていたのか。呆れたようにため息をつきながら、何から怒れば良いのかと樹は思案した。
「で、"初めて"がなんだって? 誠司くん」
「えっと、それはその……」
先程まで優位に居た青年は、途端に身をすくめた。
「嫁入り前の妹に手を出すだけ出して、傷ものになったら、たまったもんじゃない」
「俺は確かに、婚約者の立場に甘えて桜さんに近づいていてますけど。破棄するつもりはありません」
「なんなら、こっちから破棄してもいいんだぜ」
「ちょっと待って下さいよ、義兄さん」
「だから、まだお前の兄になった覚えはない。今日はもう帰れ帰れ」
そう言って、樹は誠司の背中を押しながら玄関の外へと追い出した。刃向かえない誠司は渋々それに従う。
誠司が去ると、力が抜けたのか途端にへなへなと桜は腰を抜かす。顔を覗き込めば、本気では妹が嫌がって無いことが分かって、兄はため息をついた。やっと、と言うべきかなんというかだ。
答えは出ている。桜も自覚した。
それを知ってか知らずか、誠司は改めて桜の家にやって来た。ちゃんと言わなきゃ分からないって桜に言われた言葉を、果たしに来たのだった。
「桜さんを下さい」
と、正座の姿勢から額を畳につける勢いで、頭を下げた。母と兄が見届ける中、桜は言う。
「謹んでお受けします」
掴めそうで、掴めない。
それが俺の桜に対する手応えだ。そもそも桜が近所に住む歳上の男が好きなのを承知で、俺はこの縁談を進めたのだから、簡単には振り向かせられないのは当然といえば当然の結果なんだけど。早々に折れそうになる自分に呆れた。
それでも、見合い後に何度も桜を誘いに出掛け、多少の距離は最初より縮めることが出来たのは、我ながら努力したと思う。
親が子供の結婚相手を見繕い、本人たちは数回顔を合わせただけで籍を入れ、夫婦になるは、決して珍しいことじゃない。
俺たちはそれよりも会って居るなら、そんな彼らよりは幸先良く迎えられるんじゃないか、と思っていた。
実際、その日になってみると桜はやっぱり桜だった。
「あたし、お義母さんの部屋で寝る……」
並べた二つの布団を前に、桜は自分の枕を抱きしめて今にも逃げ出しそうな勢いだ。
挙式を終え、俺が一人で使っていた部屋に、今日から晴れて妻になった桜も使うことになる。忙しかった昼間も過ぎ去り、夜になって、静かさと部屋に二人きりで、しかも布団が並ぶ光景に、桜は耐えられなくなったらしい。
「何もするつもりないんだけど」
「するとかしないとか、そういう事じゃないのっ! 昨日までなんでもなかったのに、急に一緒に寝るなんて、そんなの……っ、恥ずかしし! 家族以外に寝顔見られるなんて、初めてのことだから……っ」
「俺だって初めてだよ」
同じ言葉を重ねたのに、何故か桜は安心するどころか信用できないって言わんばかりに、キッと睨まれた。
ひでぇな。
まぁ、そんな反応されるのも、俺の自業自得なんだけどさ。
ーー挙式を挙げる数日前。
俺は桜に、"ほっとけなかったから""見合いを早くしたのは俺が言ったからだ"と本音を打ち明けて以来、桜も歳上のあいつへの気持ちも踏ん切りをつけ始めたようだった。ついでに、少しは俺の方にも歩み寄ってくれるようになって来た。
それで、小さな手応えでさえ喜ぶほど、飢えていた俺は調子に乗った。
『またな』
いつものように桜を玄関先まで送り届け、俺は一人で帰ろうとした時、上着の裾を掴まれた。振り向くと、少しだけ名残惜しそうな顔つきを桜はしていた。少なくても、俺にはそう見えた。
現に、引き止められたのは事実だ。
桜を自分の方へ引き寄せる。戸惑った桜が暴れ出すよりも前に、自然さを装いつつ更に距離を詰めた俺は、気づけば唇を重ねていた。
『……初めて、なのに……っ』
ほんの数秒の、触れただけの口付けを離すと、桜は涙目で声を震わして本気で困惑した表情を浮かべている。それよりも前に、映画を見た時は詰め寄ったら青ざめながら後ずさりされたから、それ比べると多少は受け入れてくれてる反応にしみじみするもののーー。
俺だってなんで、突然したのか分からない。引き止められた時の桜の顔が稀に見ない可愛くいさで、嬉しくてつい、そうしたくなった。それしか言いようがないけど、それをそのまま言ったら、桜は余計に怒りそうで黙っておく事にしたーー。
そんなことが過去にあり、大分俺は今も桜に警戒されている。これからは許可無しに、手を出さ無いことを誓ったけど、桜は俺の事を信用していない。
さて。嫁入りを果たした娘に、何かすることは許されるのか?
答えは決まっている。桜に限っては、準備できるまで待つしかないことは、明白だった。
「本当に、今日は何かしようなんて思ってないんだって言ってるだろ」
「"今日は"って……っ!?」
「知ってるか、桜。布団が二つ。枕が二つなら特に深い意味なんてないんだよ」
「そ、そんなの分かってるわよ! 並んで寝るだけでもまだ無理なのっ!」
安心させようと思った言葉も、桜には何でもかんでも逆効果に拾われる。朝まで何事もなくただ寝るだけなのに、ここまで拒まれると正直、凹みそうだ。
遂に、襖を開けて飛び出して桜は階段を駆け下りる。
俺は追いかけた。
とは言っても、俺らの部屋は二階で、おふくろと親父の部屋は一階なので、降りればすぐの所ではあるけど。……って言うか、騒がしくすると弟達も起きるから、頼む、落ち着いてくれ。
踊り場から数段だけ降りると、桜の姿が見えた。閉じた襖越しに正座をして、部屋の向こうに話しかけている。襖が開いたかと思うと、にこっこりしたおふくろは、「桜さん、夫婦は夫婦で寝なさいね」と軽くあしらって、再び閉められた。
「そんなぁ、お義母さん!」
まともに取り合って貰えなかった桜の背中は、小さくなっているのが見て取れた。でも考えてみれば、当たり前の事だ。おふくろと親父が寝る部屋に嫁の桜が転がり込むのは、邪魔ってやつだろ。夜が怖くて寝れないガキじゃあるまいし。
「さぁーくら」
名前を呼び目で促すと、びくっと肩を震わしたものの、観念したのか桜は、とぼとぼとゆっくりした足取りで俺の方に戻って来た。今度こそ、逃げ出さないように手を掴むと、大人しく無抵抗に連れていかれる。その様が何かに似てると思った。
そうだ。鶏や牛が今から屠られるのを悟った場面と似ている。これじゃ、まるで俺が虐めてるみたいじゃないか。取って食わないと再三言ってるのに!
このまま部屋に戻っても、多分また最初の繰り返し。寝る前にどうやって桜の緊張を解くか……。途方に暮れつつ、ため息を付きながら、何気なく窓を見るとふいに名案が浮かんだ。
「夜桜見るか」
「え……?」
その一言で、緊張していた桜の顔は少しだけ明るくなった。
桜が高等女学校の卒業式を終えてから少しあと。ちょうど桜が満開になる今日、挙式をした。月は都合よく満月ではないけど、それに近い大きさなら夜桜としては上々だろ?
「散歩しよう」
引き戸を開け、敷地を出た数分。繋いだ手の状態のまま歩き、空き地に植えてある桜の木が姿を現す。思った通り、月明かりで良く見えた。
薄紅色の桜が淡く照らされながら、悠々と咲き誇っている。時折、風か吹いて舞う花びらが、より一層、味わいがあった。勿体なくも、美しい。
「俺は、植物にはあんまり興味ないから、他の花の事はよく分からないけど。でも、この花がやっぱり一番しっくりくるな」
「しっくり?」
「見たら、"あぁ、一年通して待ってたのは、桜だったんだな"って改めて思ってさ」
一年は大袈裟だけど、随分前から俺は今日この日を、待っていた。
照れくさくて樹を眺めつつ、少ししてから桜に目線をやる。前に桜の樹と絡めた喩えを使ったのを覚えていてくれたのか、桜の顔が赤く染まった。最初に喩えたのは、まだ花が咲く前だったな。
「……てるてる坊主」
「そう言えば、あの時も言ってたけど、なんだよそれ?」
無意識にボヤいたのか、聞き返すと桜は慌てるように手で口を抑えた。だけど、聞いてしまったもんはもう遅い。仕方なさそうに桜は、口をもう一度ひらいた。
「あ、あれは……誠司さんが"雨で花びらが散ってるみたい"って……言うから」
何気なく言われたけど、今ーー。
「誠司"さん"って言った?」
「だって、今までみたいに呼び捨てなのが変だったんでしょ。夫婦になったら、夫には"さん"で付けて呼ばなきゃなって、思って」
……なんだ。
夫婦になったのを拒まれるかと思ったけど、桜はちゃんと俺を夫として認めてくれてるらしい。
「桜の花はあたし、花びらを散らした雨は隆太郎お兄ちゃん、晴天を願うてるてる坊主は誠司さん」
「それで?」
「あとは、……察して」
答えまであと一歩で、桜は投げた。
だとすれば、俺は桜の雨を止ませることができたって自負していいのか?
なにかと桜は壊れ物みたいに面倒だし、どう想われてるのかイマイチ掴めないことも多いけど。それでも俺は、"ほっとけない""手放したくない"って思ってしまう。
「俺と夫婦になってくれないか」
「……もう夫婦でしょ」
"昼間になったばかりなのに、なに馬鹿なことを言ってるの"って桜は小言を言いつつ、恥ずかしいそうに下を向いた。
そして、その夜は策を考えた末、二人でしりとりしながら寝ることにした。
子供の時に弟達と寝落ちするまでやったのを思い出す。そんな子供の真似でしかないけど、気を張らずに布団に入り気づいたら寝てくれるなら、今はそれで良いっか……。