1話 誤算
一瞬、なにがおきているのかさっぱり分からなかった。俺はこれまで密かにマークしていたターニャさんの外堀を怒濤のアプローチにより埋めきり、今まさに本丸に踏み入ろうとしていたはずだ。なぜ視界が突然暗くなった?
その答えは鼻を突く強烈な刺激臭で明らかになった。
「これは…おゲロ?」
「ウエッ…ヒッ…ヒッ…」
どうやら俺はターニャさんに吐瀉物を顔面にぶちまけられたようだ、視界も徐々にはれてきて、彼女の姿も確認できた。目に涙を浮かべながら、苦しそうに地面にうずくまっている。
「あの…大丈夫?」
告白しようとした相手に吐瀉物をぶちまけられるというショッキングな体験を経ても、俺の鋼のように強靭な精神は、なんとか彼女を思いやる言葉をかけるくらいには思考の余裕を残してくれていた。普通の男ならば茫然自失とするとか憤りをあらわにするとかといったバッドリアクションをしてしまうのだろうが、俺くらいの紳士ともなると彼女のその姿にほんのちょっぴり性的興奮を覚…
「近寄らないで…穢らわしい…」
…いや、流石にプレイの一つとしては受け入れがたいけどあくまで新たな扉に目覚めそうという意味で…
はぁ!?
いやいやいやいや!穢らわしいって!そりゃゲロにまみれているわけだから汚いは汚いでしょうけど、これ全部あなたの胃袋からでたものですからね?むしろこの状態であなたに優しい言葉をかけている俺は清廉潔白イケメン超人と評されてもいいくらいなんですけども!?
俺が彼女の口から出た言葉の真意を探ろうと思考を回転させていると学内と屋上を繋ぐドアが勢いよくひらき、中からぞろぞろと黄金の腕章をつけた生徒達がなだれ込んで来た
「通報があった!1年0クラス生『楯岡 零』!強制猥褻容疑で貴様を現行犯逮捕する!」
「なにぃ!俺が強制猥褻だぁ?ふざけるな!誰がそんな通報しやがった!」
「零、おちつけ」
腕章をつけた生徒の群れの奥から聞き慣れた声がした。
「その声は…我が友、結塚 歩ではないか?」
「いかにも」
どこにそんな体を隠していたのか、生徒の群れの奥から出てきたのは190cmはあるのではないかという巨体にさらに10cmは付け足すであろうつんつんヘアー、キリッとした鋭い目つきに、服の上からでもわかる筋骨隆隆のボディーをしたベ◯ータをでかくしたような姿をした我が友、歩であった。
「ちょうどいい、今困っているんだ!俺と一緒にふざけた通報をした奴をさがしてくれ!」
「通報したのは俺だ」
「はあ!?おまえなにして…」
「だから、おちつけ。順を追って説明しよう」
どういうことだ?状況がつかめない、強制猥褻の容疑はかけられるし、腕章をつけたこいつらの正体は不明だし、友達には裏切られるし…ここは一旦情報を収集しよう、俺に非は100パーセントない。となればこいつらがなにかを誤解しているにすぎない。俺は情報を得てから論理的に冷静にこいつらの間違いをただしてやる…んで、100回土下座させよう。そうしよう。
「零、まずこの方々はこの学校の風紀委員だ。俺の通報を聞いてここに駆けつけてくださった」
「風紀委員だと?」
なるほど、確かに腕章にも『中央地方立霊術高等学校』と刺繍がいれてある。間違いなくこの学校の風紀委員だろう。
「それで?風紀委員が何の用だ?まさか、『不純異性交遊は禁止ですー!』なんて言わねえよなあ?俺はただ屋上でターニャさんと話していただけだぜ?それがどうして強制猥褻になるんだ?歩くんよお?」
「お前ターニャさんと面識はあるか?」
「今日が初めてだが?」
「彼女の血液型は?」
「AB」
「好きな食べ物は?」
「生チョコ」
「趣味」
「ミュージカル鑑賞」
「今朝食べたもの」
「バナナとトマトにミネラルウォーター。先月の21日からダイエット中だからな」
「…」
「…」
「オエッ…」
なんだか周りの視線が痛いな、俺そんなに変な事言ったかな?ターニャさんなんかまた嘔吐きだしたしたし
「まあ、お前の情報の得かたが合法だったかどうかはいったんおいとくしても、これは知ってたか?彼女が極度の男性恐怖症だったということを」
「え」
「かなり重度のものでな、父親以外の男性に触れられると嘔吐してしまう程なんだ」
「そう…だったのか…」
なるほど、俺は確かに彼女の唇に触れてしまっていた。知らなかったとはいえ彼女には本当に怖い思いをさせてしまっていたのだ。たしかにこれでは強制猥褻と言われても仕方が無い。
「なっとくしてくれたか」
「ああ…申し訳ない…皆さんにも本当にご迷惑をおかけしました…」
俺は風紀委員の連中にも一応謝っておいた。好きでこういう仕事をしている連中なのだから、実際には申し訳ないという気持ちは一切無いのだが、こういう時はとりあえず謝っていた方が良い。「とりま謝る」これが過酷な人間社会を生きる為の一流の処世術だ。
「わかればいいのだが…とりあえずは、生徒会まで同行してもらうぞ…」
思惑通り、急にしおらしくなった俺の態度に面食らっているようだ、これなら罰も軽くてすみそうだな…
最後にターニャさんにもきちんとあやまっておこう。これに関しては俺に100パーセント非がある。男として女を泣かせるのは最低。泣かせて謝らないのは超最低だ。
「ターニャさん、君に怖い思いをさせて本当に申し訳ない。こんな男に触られても気持ち悪いだけだよね、穢らわしいと言われても仕方ないと思う。許してはもらえないかも知れないけど…」
「ウウッ…」
彼女はまだ落ち着いていないようだ、これ以上謝っても彼女の迷惑になるだけだろう
俺は黙って振り向き、風紀委員の女性に声をかけた。
「彼女の事をすいませんがよろしくお願いします。僕じゃ逆効果みたいですし…」
「わかった…その、なんだ…頭ごなしに怒鳴って悪かったな、まあ不幸な事故みたいだし、私からも委員長に事情を説明しておくから…」
「ありがとうございます」
そう言ったとたん自分の頬がぬれている事に気づいた、気づかない間に涙が流れていたようだ。俺は、自分が守るべき人を知らない間に傷つけていた、何て馬鹿なんだ、恥ずかしい、悔しい、心が痛い。
「零」
歩が肩に手をおいてくれた、その手は今まで触れたどんな手よりも暖くて、すごく安心した。俺も彼女にこんな風に感じてほしかったんだ…そう思うと涙が余計にとまらなくなった。
「くっ…」
俺は泣き声を押し殺して足早に立ち去ろうとした。
「違うの…」
その声は彼女の声で
「違うの…そうじゃないの…」
何かを必死に伝えようとしていて
「穢らわしいって言ったのは…」
まさかかばってくれている?この俺を?
いや、だめだここで彼女の優しさに甘えてしまったら、僕は二度と彼女と正面から向き合えなくなる…
そんなのはいやだ!
「ターニャさん!」
「俺くらいの紳士になるとゲロに性的興奮を覚えるとかぁ…美少女のゲロはもはやごちそうとかぁ…プレイがどうとかぁ言っててぇ…すごいニヤニヤしててぇ…すごく怖くてぇ…ウウウッ…」
彼女の言葉は放課後の屋上に妙に響いた。
「口に出てたかぁ…」
その場にいる全員の視線が俺に集まる。どいつもこいつもゴミを見るような目をしている。
こういときはあれしかないな、一流の処世術。
「どうもすいませんでしったああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
100回土下座した。