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垂れ込める黒黴


 謎の影を操る能力者は『黒黴』と通称された。八田秀一の死体の解剖を行うなど、対策室お抱えの解析班及び四元刑務官が従える囚人部隊の追跡によって、多くのことが分かってきた。


 着色された水滴の群れのような黒い靄は、無数に分裂し、それぞれが黒黴の意思によって自由に動き、喋ることができる。まさに黒い影の正体は水分なわけだが、その補給は人間の体液で行う必要がある。


 八田秀一は黒黴ではない。黒黴にその肉体を利用されたと考えられた。黒い影は八田のような人間の肉体を拠点として、全国各地に生息していた。宿主に気付かれぬまま潜伏している場合もあれば、八田のように合意の上で住まわせることもあるらしかった。


 黒い靄は自由に動き回り、人間の体内に入ったら、その気道を塞いで死に至らしめることができる。あるいは体内で激しく跳ね回り内臓を壊すこともできる。所詮、正体は単なる水分なので、極めて小さな働きではあるものの、人間を内部から破壊することができるという点で凶悪だった。


 黒黴がどこにいるのか。それは全く手掛かりがつかめなかった。黒い靄を追っても行き着くのは何の事情も知らない人間だった。たまに黒黴へ積極的に協力している者を見つけても捜査官の目の前でその人物は殺され、黒い靄は捜査官の掌中をすり抜けて遁走、手掛かりを残さなかった。


 高桜弥美の病状については芳しくなかった。


 既に黒黴の支配から解放され、彼女の体内に残留している黒い靄は怪しい挙動を見せることはなかった。だがこの靄そのものは人間の肉体に負荷をかけるものらしく、彼女が意識を取り戻すことはなかった。対策室の施設内の病室で、生命維持装置の力を借りて何とか生き長らえているという状況だった。


 昏々と眠る弥美の顔を見つめながら、光莉は呟いた。


「――全く、やっと人様の役に立てたと思ったら……」


 病室には光莉の他に、隼人と、対策室室長の朝霧慧悟がいた。


 窓辺に立った朝霧は仰々しい装置の数々を眺め渡した後、二人に訊ねた。


「医者は何と言っていた?」

「長くない、と」


 隼人が答える。


「手だてがないそうです。僕が倒れている弥美を発見したとき、彼女の唇からあの黒い靄のようなものを吸い込みました。その瞬間黒黴の能力をコピーし、弥美の体内に潜んでいた靄の活動を停止させることに成功したのですが、それだけでは不十分だったようで」

「再度黒黴の能力をコピーすることは? 弥美の体内に残留している靄に触れれば、コピーが可能なのだろう?」

「そのはずなんですが、無理でした。恐らく、一度弥美の体内にある靄を僕の能力の支配下に置いたことで、黒黴との繋がりが絶たれてしまったのでしょう。再びコピーするには別の個体と接触する必要があるようです」

「なるほど。では、弥美の能力をコピーすることは可能か?」

「はい。弥美に触れれば、彼女が昏睡していても瞬間移動はできます」

「ふむ。ところで、黒黴は正義の為に能力者を狩ると発言していたそうだが」

「ええ」


 隼人は頷いたが、もちろん黒黴を擁護する気など毛頭なかった。朝霧も同じようで、口調には刺々しい抑揚がふんだんに持ち込まれている。


「なぜ、最初に弥美が狙われたのだと思う」

「と、言いますと?」

「高桜弥美は確かに許されざる罪を犯した。誘拐は重罪だ。しかしながら、我が対策室には殺人や強盗、強姦といった凶悪性の高い犯罪に手を染めた囚人を、四元刑務官の許で活動させている。もし黒黴が正義を理由に犯罪者を狩るのなら、弥美より優先して殺すべき人間がいるのではないか」

「そう言われてみれば、そうですね……。確かに不自然だ」


 朝霧は腕を組んで窓の向こうを見やる。


「私は黒黴が弥美を優先して狙った理由を、こう考えている。弥美の能力は黒黴にとって脅威だったのだ」

「瞬間移動の能力で黒黴の許へ行けると? 僕もとっくに試しましたが、駄目でしたよ」

「劣化コピーに過ぎない貴様には無理でも、オリジナルの弥美ならば、あるいは可能だったかもしれん。もし他の囚人を先に狙えば、弥美の能力によって自分が追い詰められる危険があった」

「なるほど」

「となると、次のターゲットは誰ということになる?」

「僕ですか」

「そうだ。あるいは弥美の息の音を止めに来るかもしれん。あの黒い靄は神出鬼没だ。トラッカーが施設内を索敵しているのでそう簡単には侵入できないだろうが、油断はできない」

「僕に弥美の傍にいろと……。いつでも瞬間移動できるようにしていろと」

「そうだ。狙われる可能性のある人間は一か所に纏めておいたほうが護衛もやり易い」

「了解しました。最初から僕もそのつもりではいましたから。ただ、光莉さんはどうしますか」


 光莉が驚いたように隼人を見た。朝霧は腕を組む。


「光莉がどうかしたのか」

「はい。彼女は妹が襲撃に遭い、感情的な行動に出る危険性があります。先日の誘拐事件でも職務規定を無視して自分勝手な行動に走りました。自らの感情をコントロールできるとは言い難い。ですから、彼女は捜査から外して弥美の護衛に当たらせるべきでは?」


 光莉が立ち上がった。信じられないような目で隼人を見ている。


 朝霧は深く頷いていた。


「妥当な判断だな。護衛としての戦闘力も申し分ない」

「室長……」

「勘違いするな。護衛は安全な仕事ではない。黒黴は対策室に恨みを抱いている可能性が高い。弥美の傍にいれば貴様も命を狙われる可能性がある」

「対策室に恨み……、ですか」

「我々捜査官が、黒黴を追跡し、黒い靄を体内に飼っている人間と接触に至ったとき、その人間はどうなるか聞いているか」

「黒黴の手によって殺されている、と聞きましたが。それで捜査が難航していると」

「そうだ。しかし、わざわざ捜査官の目の前で殺す意味とは何だ? 本当に手掛かりを残さないことだけが目的か?」

「捜査を中断しなければ死人が増えるぞという、脅しですか」

「それもある。だが、今回の犯罪者は多くの人間に黒い靄を与え、巻き込んでいる。それは捜査を攪乱するということ以上に、我々への挑発行為のように思われてならない」


 隼人には合点がいく部分があった。黒黴との会話の中で、彼は強烈な義憤に駆られている節があった。


 光莉が力強く頷いた。


「分かりました。弥美の護衛任務に当たります。確かに、感情的に動くなと言われても、無理かもしれませんし、弥美の傍が一番黒黴に近付ける場所のように思えますし」

「それでいい。捜査は四元刑務官に一任する。彼の囚人部隊は撒き餌としても機能するだろうからな」

「あの、一応聞きますけど、四元刑務官の能力は試したんですよね?」

「無論。黒い靄を捕食して黒黴の殺害を図ったが、実際に刑務官の胃袋に入ったのは全く別の人間だった。黒い靄は宿主を次々と変えて足跡を消している所為だろう。一筋縄にはいかない。だが、四元を信じろ。彼に解決できなかった事件はかつてない」


 対策室内に屹立する四元刑務官の不敗神話。物体を捕食するというシンプルな能力ながら、日本に生まれた後発の能力者全てを凌駕すると言われる〈ファースト・ミューテイション〉の力は、捜査官の畏怖の対象だった。


 今回も彼が何とかしてくれる。ほぼ全ての捜査官がそう信じていた。


 隼人も信じたかった。しかし黒黴の能力の全容は未だ掴めていない。易々と人を殺すその残虐性も相俟って、警戒し過ぎるということはない。


 もし、四元刑務官がしくじるようなことになれば、対策室には他の手立てがなくなるだろう。最初に最強のカードを切るということは、それだけ黒黴が難敵であることを示している。


 朝霧が病室から退出した。大きく溜め息をついた隼人に、光莉が睨みをきかせる。


「どういうつもり」

「はい?」

「私のことを捜査には不適だとか言って」

「捜査に加わりたかったんですか」

「少しね。けど、弥美の傍から離れるわけにもいかない。ここに留まることに文句はないけど」

「じゃあ、良かったじゃないですか」

「私のことを感情的とか何とか――あなたの口からそんな言葉を聞かされるとは思わなかった。誘拐事件のとき、もっと感情を出せと言ったのは誰よ。よくもまあ、いけしゃあしゃあと」

「何事もバランスが重要なんです。感情を殺し過ぎても、感情に忠実過ぎても良くない。適正っていうのは、一でも〇でもないんです。もっと表記し辛くて割り切れないところにあると思うんです」

「あなたは何様なのよ」


 光莉はしばらく膨れっ面だったが、やがて失笑した。そして隼人に椅子を勧める。


「弥美の手を握っていて。いざというとき、彼女を逃がせるようにね」

「はい。……あの、戦闘になったときの為に、光莉さんの手も握っておきたいのですが」

「馬鹿。あなたは戦わなくていいの。弥美を逃がしてくれれば」


 光莉はそう言って、病室の外で待機している数人の護衛役の捜査官と打ち合わせを始めた。


 隼人は椅子に腰掛け、掛布団に隠れていた弥美の手を引っ張り出し、軽く触れた。


 能力のコピーと共に入り込んでくる弥美の五感。視覚も聴覚も嗅覚も味覚も機能していない。唯一感じたのは胸の疼きだった。


 体内に潜む黒い靄が、昏睡する彼女に鈍痛を与え、苦しめ続けている。


 その事実に気付いたとき、隼人は彼女の手を強く握り、焦燥と怒りに振り回されそうになる自分を必死に抑えなければならなかった。




   *




 黒黴は久しぶりに外出した。今宵は満月だ。となると、外出は一月ぶりということになる。前に外に出たときも満月だった。あの日はコンビニに寄っただけだが、今夜は特別なことが起こりそうな気がしていた。


 近くの公園に立ち寄ったとき、その予感が的中したことを理解した。ブランコに揺れる銀髪の少女が、黒黴を見据えていた。


「こんばんは」

「……こんばんは、黒黴」

「黒黴?」


 ここで黒黴は対策室から黒黴という通名を頂戴したことを知った。


「悪意のある名前だな。別に構わんが」

「粛清は順調か?」

「ああ。あんたのおかげでな。陰険でストレスの溜まる能力だが、暗殺と索敵にかけては一級品だ。俺にとっては理想的な能力と言っていい」

「それは良かった。貴方の正義は満たされそうか?」

「いや、まだまだだ。世の中の不条理はそう簡単には消えない」

「いつか、消える?」

「どうだろうな」

「消す為に貴方は頑張っているのだろう」

「人類はいつだって平和な世界を希求してきたさ。だが戦争のない時代を探すほうが難しい」

「貴方にとって人類は、悪なのか、正義なのか」

「そんな割り切れるものなら、それこそ戦争なんか起こってないかもな。ふん、まあ努力はする」

「期待している。だが、貴方は随分やつれたな」

「そうか?」

「最初出会ったときは、もっと幸せそうな顔をしていた。今、貴方は不幸なのか」

「そんなことはない。充実感に満ち溢れている。仲間も増えた。能力を得て暴走する馬鹿どもを駆逐することは、俺に課せられた使命だ」

「なら、私が知っている貴方の幸福そうな顔は何だったんだろうな」

「さあ……。良くも悪くも、普通の生き方をしていたってことだろう。正しい生き方をするのは苦しいんだ」

「正しく生きることが苦しい。それが人間なのか?」

「ああ、そうかもな」

「だから間違い続けるのか? 戦争が終わらないのは、人間のその性質が関係している?」

「知らんよ。まあ、人間の歴史を紐解いていくと、遺伝子レベルで戦争に対する執着が刻み込まれていたとしても、驚きはしない。しかし、あんた、哲学めいたことを聞くのが好きだな」

「私は貴方を通して世界を見ているんだ」


 少女は言った。そして姿を消した。黒黴はふっと息を吐き、彼女が腰掛けていたブランコに座った。胸ポケットからタバコとライターを取り出して、喫った。


 公園をカップルが横切った。黒黴を見て何やら気持ち悪いだの不審者だの言っている。


 特に不快感は湧かなかった。ただ右から左へ行き過ぎる人間に俺の何が分かるというのか。彼らを憐れだと思った。


「俺を通して世界を見ている、か……。さぞや気分悪いだろうな、あんた……」


 居心地が悪い。喫い始めたばかりのタバコを地面に捨て、火を踏み消した。


 犯罪に手を染めた能力者を、殺す。


 それは紛れもない正義のはず。


 だがそれが秘密裏に行われては意味がない。人間の意識を変えることが目的なのだから。


 同志を増やさなければならない。必要性に迫られて、仲間を募った。犯罪者を殺そうという思想を共有できる仲間。


 三人の仲間が出来た。だが、彼らと黒黴は思想が違った。


 連中には世界をどうこうって意識がない。ただ犯罪はいけない、悪い子は潰しましょう、としか考えていない。


「仕掛けるか……、能力者の死を、奴らは隠匿してばかりだからな」


 黒黴は立ち上がった。騒ぎを起こし世間の注目を浴びる為には黒黴の能力だけでは不十分。仲間の力が必要だった。






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