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光莉と影の弥美


 隼人はハンドルを切って逃れようとしたが、後部座席に外国車のフロントがめり込み、いとも容易く車を吹き飛ばした。交差点の真ん中で激しくスピンし、方向感覚を失う。シートベルトをしていなければ車外に放り出されていただろう、腰回りと胸に回したベルトが肉に食い込み、激痛があった。骨が折れるかと本気で思った。


 その後車は歩道の電信柱に衝突し、助手席の側を下にして、横倒しになった。頭を打ち付け、意識が飛びかけたが、奇跡的に無傷だった。


 光莉のほうを見ると、シートベルトに吊られて意識を失っている。隼人は自分のシートベルトを外し、光莉の躰を支えながら、彼女を解放してやった。それから半端に割れたフロントガラスを足で払って取り除け、そこから車外に脱出した。光莉は頭から血を流していた。


 通行人が徐々に集まってきていた。隼人は光莉を支えながら、辺りを見回した。


 すると、光莉によく似た顔の少女が、道路を挟んで、一人佇んでいた。こちらを眺めながらニタニタと笑んでいる。


「弥美……!」


 まるでその単語に揺り動かされたかのように、光莉の意識が戻った。よろけながらも、何とか自力で立つ。


「隼人くん……、弥美はどこ?」

「あそこに」


 隼人は指差したが、既にそこには誰もいなかった。瞬間移動できるというのは本当らしい。頭では理解していても、その常識外の現象にはついていける自信がなかった。


 光莉は目を細めた――楽しそうに笑った。


「やってくれるじゃない、本気で殺しにきたわね。こうなったらもう遠慮はしない……」


 光莉は口元まで流れてきた血を、舌で掬い取り、妹とよく似た笑みを浮かべた。






 コンサート会場までは徒歩でいけると判断した。タクシーを拾ってもいいが、また同じようなことをされれば、今度こそ死人が出るかもしれない。


 小走りになって向かっている途中に救急車が通りかかったが、そのまま行き過ぎた。事故現場から怪我人がいなくなったことに困惑することだろう。


 市民ホールに到着したときには、午後二時を大幅に過ぎていた。しかし無事にコンサートは続いているようであり、エントランスまで竜ヶ崎精二のコブシの利いた声が響いてくる。


「どうしますか」

「……さすがに正面からだと厳しいわね」

「ちょっと待っていてください」


 隼人は市民ホール入口に置いてあったパンフレットらしきものを二部取り、光莉に渡した。


 見取図を見た光莉は辺りを見回し、右手奥を指差した。


「あそこ、関係者入口みたいね。行ってみましょう」


 二人がそちらに向かおうとすると、警備員らしき男に止められた。

 すかさず光莉が手帳を見せる。


「警察です。捜査に協力願います」


 無事警備員を騙した光莉に、隼人は尋ねた。


「僕たち、警察でもあったんですか」

「まさか。警察手帳は偽造品よ」


 それは犯罪ではないのか。


「いいんですか」

「隼人くんはあんまり現場に出ないから知らないだろうけど、対策室の知名度が低いから、警察手帳がないとこういうときに融通がきかないのよ。隼人くんも一つ持っておいたら」

「どこで入手できるんです」

「お店では売ってないわよ。こういうのを作るのが得意な囚人がいるから、お父様に頼んでみたら?」


 二人は控え室らしき部屋を見つけた。ちょうどそのとき、コンサートの小休止を挟んだらしく、取り巻きを引き連れた竜ヶ崎精二が控え室に入った。お茶の入ったペットボトルに口をつけながら、談笑している。隼人と光莉は控え室に入ろうとしたがここにも警備員はいた。


「通してください」


 隼人が説明しようとしたときには既に、光莉は警備員の一人を押し退けていた。


 その警備員はむっとしたようだったが、すぐに自らの身に降りかかった異常に気付いた。


 制服が燃えている。白い炎が警備員の全身を一瞬で包んだ。


 悲鳴が起こった。隼人も驚いた。隼人がコピーした光莉の能力はガラス管を破裂させる程度のものだったが、本物は火力が違う。


 光莉の姿を目で追うと、彼女が警備員に火をつけてまで強行した理由が分かった。騒ぎに驚く竜ヶ崎精二の背後には、高桜弥美の姿が既にあった。


 ぎりぎり間に合ったわけではない。むしろ弥美が光莉を待ち構えていたのだろう。


 隼人は光莉の後を追いたかったが、全身が燃えて悲鳴を上げる警備員が入口を塞いでしまった。仕方なく上着を脱がせる手伝いをした。派手に燃えているように見えたが、実際に燃えているのは制服だけのようだった。


 下着一丁になり失神してしまった警備員を跳び越え、控え室に入った。光莉と弥美が竜ヶ崎精二を挟んで、対峙している。かの演歌歌手は、背後に立つ弥美に気付かず、光莉が過激なファンで控え室に乗り込んできたのだと思い込んでいた。光莉の炯々とした眼光に恐怖を感じている。


「きみ、落ち着きなさい、さ、サインが欲しいのか? それとも、ハグして欲しいのか? コンサートが終わった後なら応じてあげるから、今は――」

「うるさい! さっさとどっかに行け!」


 光莉は一喝した。竜ヶ崎精二は慌てて二人の女性の間をすり抜け、隼人の横を通り過ぎた。


 控え室にはまだ多くの人が残っていて、中には光莉を退場させようとする者がいた。彼女は手近にあった机を拳で叩き、白い炎を噴き出させたので、コンサート関係者は気が動転して避難してしまった。


「頭から血を流してるじゃない、大丈夫?」


 弥美がにやにやしながら言う。光莉は額に触れ、掌にべっとりと付いた血を凝視した。


「私に怪我をさせて、気が済んだ? あなた自身は気付いているかしら。自分のやっていることが次第にエスカレートしていることに。最初はあった犯罪への罪悪感が薄れ、自分がどんどん卑劣で下賤な人間に成り下がっていることに。四元刑務官の奥さんを巻き込んだことがその最たる例」


「エスカレートじゃないわ。力を試しているだけよ。訓練ね。効率的な訓練を施せば、やれることがどんどん増えていく。ごく当然のこと」

「昔からあなたは自分に甘くて他人に厳しかった。分かり易いアイデンティティーを望み、周りに流されることを極端に嫌い、壁を作り、見せかけの孤独を演出した。そうやって周囲から注目を浴びることに喜びを感じていた」


 弥美は腕を組みにたにたしている。


「そのようにあたしを分析したってわけ? でも、外れてると思うなぁ」


 光莉はそんな妹を見て、少しトーンを変え、小馬鹿にするように、


「雑談で騒がしい小学生の教室に、始業のチャイムが鳴る。すると自制心のある子供はこれから授業が始まるのだと気持ちを整えて、雑談をやめる。けれど、自制心が足りない子供ばかりだとどうなるか。やかましいチャイムの音で互いの声が聞き取れなくなるので、声の音量を上げる。チャイムが鳴り終わっても声の音量を下げない。なぜって、周りの雑談をしている子供も揃って音量を上げているから。それが普通の声量なのだと思い込む」

「――何言ってんの、あんた?」

「あなたは自制心の足りない子供なのよ。周りが間違っているからって、自分も間違って良いなんてことにはならない。誰もあなたを正すことができなかった、ううん、私があなたを正さなければならなかった。気付くべきだったんだわ、あなたが能力を得て自分を見失っていることに」

「姉さんのそういう優等生ぶった話、考え方、語り口、全部気に食わないのよ。あたしが能力を得て自分を見失った? あんたと一緒にしないで。あたしはずっと前から、あんたのことが気に食わなかった。学校の成績も、恋愛も、友達付き合いも、大人からのウケも、全部あたしよりも良かった。あたしがあんたと同じ高校に進学して、最初に言われた言葉が何なのか、分かる?」

「何よ」

「『安心した。良かった』って言われた。『高桜光莉の妹だからって、姉と同じくらい優秀なわけないよな』って。『あんな優秀な奴がわんさかいたら困るよ』って。ははは、仕方ないわよね、高桜光莉は成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能、しかも地球の危機を救った英雄の一人。選ばれし人間。あたしなんかとは違う」

「でも、あなたも能力を得た」

「そうよ。そして、再び姉と比べられた。あんたが能力者になって遠い雲の上の存在になって、やっと諦めがついたのに、私にも能力が備わった。いったいいつになったらあたしはあんたの傍からいなくなれるのかしら」

「それが、政府の要請を無視した理由? 対策室に入れば、あなたは間違いなく活躍できるのに。私よりもよほど素晴らしい捜査官になれたのに」

「もちろん、それだけが理由じゃないわ。ふふ、知ってるのよ、対策室の職員は、秘密漏洩を防ぐ為に自由恋愛が制限されているんでしょう。職場結婚の推奨という形で。あなたがへんちくりんな男と結ばれて私は超絶イケメンのお金持ちと結婚する。そうすれば見下してやれるって思ってたのに。はん、多少マシなのを見つけたじゃない」


 弥美は隼人を睨みつけた。光莉は首を振った。


「違うわよ、隼人くんは。ただの後輩」

「どうだか……」

「弥美、あなたも大人になるときが来たのよ。チャイムが鳴って行儀良く黙り込むか、チャイムに負けじと声を張り上げるか――どちらがより正しくて賢い生き方か、分かるわよね?」

「……あんたの言いたいことは大体分かった。あたしも、言いたいことは大体言った。竜ヶ崎精二のコンサートを見てたけど、おばちゃんに媚売ってばかりでダサかった。だから、余計な理屈だとか、事情とか抜きで言うけど」

「うん」

「やっぱりあたしはあんたが憎いのよ。殺したいほどに。でも、あんたに自制心の足りない子供って言われたままなのも癪だから、一つ決めたわ」

「何を」

「今からあんたを殺す」

「……なるほどね、そこまで私を憎んでたってわけか。でも、本気? あなたにそんなことができる?」

「本気よ。姉さんなんかいなくなっちゃえばいい――ずっと、ずっと、ずっと、姉さんのいない世界を夢想してた。それが今から叶うんだわ」


 そのとき、光莉の視線が隼人に向いた。それは一瞬のことだった。何を意図する眼差しだったのか彼には分からなかったが、そこには迷いがあるように思えた。


 弥美の姿が消える。否、光莉の背後に立っている。目で追える類のものではない。人間の脳が常識として蓄えている物体の移動、その法則から逸脱した人間の動き。隼人は弥美の能力を理解しているはずなのに反応できなかった。


 光莉は違った。後ろ手に拳を突き出し、弥美が伸ばした手を躊躇させた。


 光莉の拳が光り輝いている。それに触れたものは白い炎に包まれて灰となる。それが彼女の能力。


 弥美はすぐさま光莉の脇に瞬間移動し、拳を避ける。だが運動神経の違いなのか、光莉が向きを変えてパンチを繰り出すと、危うく弥美はそれを喰らいそうになった。


 弥美の姿が消える。この部屋からいなくなったのだ。隼人は二人の攻防についていけそうになかった。むしろ足手纏いだろう。


「どうやってあんたを殺そうか、ずっと考えてた」


 弥美の声が降ってくる。光莉は頭上を見た。だが弥美は姉の正面に立っていた。


 弥美の腕が光莉の喉元にかかる。


「あたしも鬼じゃない……、だから最期に綺麗な景色を見せてやろうと思ってさ」


 光莉が喉にかかる弥美の腕を掴もうとした。だが間に合わなかった。光莉の姿はその場から消えた。隼人は一歩踏み出した。気付いたときには弥美が背後に回っていた。首筋に彼女の冷たい手が触れる。


「あんたには何の恨みもない。姉さんの彼氏じゃないんでしょ? さっさと帰りなさい」

「竜ヶ崎精二を殺すんじゃないのか?」


 隼人は弥美の手から逃れようともせず、淡々と言った。


「……何ですって?」

「さっき、光莉さんと電話で話しているときに、そう言っていただろう。一人で来いって。その約束は破られている。あの演歌歌手を殺すんだろう」

「下手な挑発はやめておいたほうがいいわ。何を企んでいるのか、知らないけど」

「僕も能力者だ。単なる挑発では終わらないさ」

「劣化コピー。あなたの能力。そうなんでしょう?」


 隼人は振り向こうとしたが、首に触れる指の圧力が強まった。身が強張る。


「……知っていたのか」

「だって、光莉相手にぺらぺら喋ってたでしょう。能力者に接触した時間だけコピーした能力が使えるようになる。つまり、今、あんたは三十秒ほどあたしの瞬間移動の能力が使えるようになっている」

「そうだ」

「その能力で光莉を助けに行くつもりでしょ? でも、残念でした。彼女は助からない」

「どういう意味だ。光莉さんをどこに飛ばしたんだ」

「太平洋沖の上空。数分後には海面に叩きつけられてバラバラになるでしょうね」

「今から僕が瞬間移動して迎えに行けば、助かるはずだ」

「無理よ。どうしてか、分かる? あの子は今、空の上から海面に凄まじいスピードで落ちている。あんたが光莉を迎えにいって、たとえばこの場所に戻ってきたとしても、その速度はなくならない。速度が『保存』されるのよ。床に激突してバラバラ、見るも無残な死体になるでしょうね」


 さすがに隼人は怯み、彼女の言葉が本当なのかどうか考えた。


「――だが、きみの能力は、高速で移動している飛行機に飛び乗っても平気で、非常に応用の利くものだと聞いているが――」

「ええ。だけどあんたの能力は劣化コピー。そこまでは模倣できるはずがない」

「どうして言い切れる」

「あたし自身、この能力を自在に使いこなすのに数か月かかったのよ。つまり保存された速度を帳消しにし、移動先の環境に躰を瞬時に合わせるのにはコツが必要なの。あんたにあたしの能力を練習するヒマがある? しかも劣化コピーなんでしょ?」


 隼人は恐怖を感じた。このまま光莉は死ぬのではないか。まさか本当に実の姉を殺すだろうか。直前になって弥美が翻意して姉を助けに行く可能性は?


 しかし弥美と能力を共有した隼人は、彼女の感情を断片的に思い知った。


 そこにあるのは圧倒的な悲哀。姉を失ったことへの後悔。


 弥美は既に光莉を殺した気になっている。


 助けに行くつもりがないということだ。


 ならば。


 隼人は精神を集中させた。


 行けるはずだ。


 行ける。


 隼人が内的世界で底知れない力の断片に触れた瞬間、彼の姿はそこから消え失せていた。


 弥美は頭に手を置き、首をぶんぶんと振った。


「わざわざ死にに行くなんてね。姉さんのことが本当に好きだったみたいね。ふふふ、仲良く死になさい……」


 弥美は寂しげな笑みを浮かべると、その場から消えた。控え室には誰もいなくなった。


 いつまで経っても再開しないコンサートに、市民会館の客席から騒ぎが起こっていた。そのざわめきを聞きつつも、控え室の外から顛末を覗き見ていた竜ヶ崎精二含むコンサート関係者は、その場から動くことができなかった。




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