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月明かりの少女



 妹の愛良が不登校になった。


 それを両親は黙認していた。母は酷く疲弊していたし、父とは「あの日」から一度も会っていない。担任は何も言わないのかと憤慨していたら、愛良に登校することを自粛するように要請したのは学校側とのことだった。


 理不尽だと思ったが、愛良に登校を強要することはできなかった。一歩でも外に出れば辛い目に遭うことは分かっている。


 早朝、隼人はいつも通り中学の制服に身を包み、学生鞄を手に提げて、登校しようとした。ダイニングで貪り喰らうように新聞を読んでいた母が、突然立ち上がり、


「行かなくてもいいのよ」


 と言った。怒鳴りつけるような口調だった。ほぼ「行くな」と言っているも同然だった。


「行ってきます」


 隼人は簡単にそう答えた。母は息子をしつこく引き留める気力が残っていないらしく、あっさりと諦めた。


「そう。気を付けてね。口は堅く結んで」

「分かってる」


 隼人は微笑したが、母は俯き、息子の笑みを見ることなくダイニングに戻った。そして一面記事の写真にひたすら見入った。


 今朝のヘッドラインは能力者に関するもの。「あの日」からずっとそうだ。新たな能力者が判明したとか、能力に関する実験結果がどうとか、能力者犯罪の擡頭だとか、そういったものばかり。


 うんざりする。能力者がそんなに偉いのか。くだらない。たまたま選ばれただけではないか。


 外に出ようと、家のドアを押し開いた。


 そこに待っていたのは人だかりだった――カメラのフラッシュが一斉に焚かれ、目を背ける。


 目線を記者たちに合わせると馬鹿みたいにフラッシュを浴びせてくるので、俯き加減になって歩き始めようとする。しかし道を譲ると記者失格だとでも洗脳されているのか、誰も通してくれなかった。


 次々と質問を投げかけられる。お父様には会われましたか? 電話で話くらいはしたでしょう。世界を救った英雄を父に持つ気分は? 今朝は何を食べられましたか? 今日の体育ではサッカーをやられるそうですが、ポジションは? 好きな人はいるんですか? 芸能人で言うと誰がタイプですか? 今日は、バレンタインデーですね!


 くだらない。そのくだらなさは想像を絶する。反応したら負けだと分かっていても、つい睨みつけてしまうこともある。すると連中は無表情にカメラのフラッシュを焚きごつごつしたマイクやボイスレコーダーを突き出してくる。サングラスが欲しいと本気で思った。まともに前を向いて歩けない。


 誰かに足を踏まれた。顔を顰め、記者どもをぞんざいに押し退ける。自転車を置いてある場所まで辿り着くのに三分ほどを要した。ふと気付くと近所の家の窓から険しい顔の中年女性が隼人を睨みつけていた。


 僕のせいじゃない。


 こんな騒ぎになっているのは、僕のせいじゃない。


 父さんのせいだ。


 父さんが〈ファースト・ミューテイション〉に選ばれたから……。変な能力を覚醒させてしまったから……。


 中学の担任は隼人に学校に来るなと言った。ただでさえ校門前には記者の行列が出来、隼人がどんな人間なのか他の生徒に訊きまくっているのに、登校を続けるのは愚かだと。家の中でほとぼりが冷めるのを待ちなさい。


 しかし、隼人は何も悪いことをしていないのにこそこそしなければならない理不尽さに怒りを感じていた。逃げてたまるか。不登校どころか、皆勤賞を取ってやる。


 どいつもこいつも無遠慮な視線を差し向けてきて、好奇心を鋭く尖らせて隼人の心に深く突き刺してくる。それで血が流れるのは当然なのにそこには目を背けて、より深い傷を負わせて反応を見ようとする。


 キリがなかった。彼らの好奇心が萎えるのを待つしかなかった。そして、それは当分こないはずだ。既にネット上では隼人や家族のプロフィールが晒されている。住所もばれている。政府は父の四元日向を拉致同然に連れて行ったが、隼人たちには一切の説明がない。与えられるものなど何もなく、ただ見られ、奪われ、干渉される。


 いつもより早く家を出たのに学校には遅刻した。クラスメートの視線に漲る好奇心。けれど誰かからか詮索しないように言い含められているのか、教室では不気味なほど能力者に関する話題が出なかった。


 どこにいても苦しかった。あれほど明るかった妹が塞ぎ込み、多趣味でいつも溌剌としていた母が一日中椅子に腰掛けたまま動かず、友人が苦笑いしかしないようになり、担任が隼人を見る目は同情と戸惑いが入り混じる。


 逃げたくない。でも苦しい。


 せめて、気分が安らぐ場所が一つ欲しい。そうすれば頑張れる。自分は間違っていないことは分かっている。だからきっとこの生活にも耐えられる。


 所属していたバスケ部には顔を出さず、放課後、真っ直ぐ家に帰るようになった。


 当然のように記者がまとわりついてくる。彼らを撒くのは至難の業だった。やむなく道を変えて自転車を疾走させた。


 だが、黄昏時だったこともあり、住み慣れたはずの街で道に迷った。


 自分がどの辺りにいるのかは感覚で分かっている。進み続けていればいずれ知っている道に出るはずだった。


 それなのに、どんなにペダルを漕いでも知らない道だった。後戻りしようかと思って振り返るとそこには見慣れない街並みが広がっていた。たった今、自分が通ってきたはずなのに、見覚えがなかったのだ。


 完全に日が落ち、隼人は途方にくれた。自転車が釘でも踏んだのかパンクした。しばらく押して歩いていたが、やがて馬鹿らしくなって道端に停めた。そして宛てもなく、ブロック塀や木造家屋が目につく路地をひたすらに歩き続けた。


 やがて小さな空き地に出た。


 今夜は月が綺麗だった。まるでぐんと距離を縮めたかのように、月が大きく見える。


 小奇麗なベンチに一人の少女が腰掛けていた。


 月を見ている。


 隼人は空き地の入口で立ち尽くした。疲れ果て、どこかで休みたいと思っていたので、少女の隣に腰掛けたかった。しかしこんな夜間でそんなことをするのは非常識な気がした。そのまま踵を返して立ち去ろうとした。


「理不尽な世の中だな」


 少女が言った。隼人は振り返る。


 少女が隼人を見ていた。年齢は隼人と同じくらい。月明かりの影響か、長い黒髪が銀色に輝いている。凄絶な美貌を備えた彼女は隼人から視線を外し、再び月を見上げた。


 隼人は立ち尽くした。メディアに頻繁に顔を出すようになった隼人のことを彼女が知っていてもおかしくない。だからそのまま無視して立ち去っても良さそうなものだったが。


 隼人は彼女の次の言葉を待っていた。理不尽な世の中。そう。むしろ歴史を紐解けば、理不尽でない時代なんてなかったはずだ。世の中は理不尽なものと決まっている。


「迫害され、酷い仕打ちを受け、こんな世の中は間違っていると思っている。貴方は、世の中を変えたいと、強く思っている」


 少女は凛とした声音で言う。隼人は首を傾げた――世の中を変えたい、とまでは思っていない。ただ、嫌な思いをすると分かっているのに頑なに登校を続けるのは、それに似た心境かもしれない。正しいのは自分だと主張し続けているようなものだから。


「そうかもしれない」


 隼人が言うと、少女は微笑した。そして隣を指差した。その手つきが神妙だったので、緊張した。何らかの儀式のようにさえ思えた。


 隼人は少女の隣に腰掛けた。そして首を捻じ曲げて月を見上げる。


「今夜は月が綺麗だ。ここに来るまで、気付かなかった」

「ありがとう」


 少女はなぜか礼を言った。隼人がきょとんとすると、彼女は、


「月を褒められると、私も嬉しいんだ」


 と言った。


「どうして?」

「貴方が好きな食べ物は母親の作ったカレーライスだと雑誌に書いてあったな。貴方が友人を家に招いて、母親の作ったカレーライスを振る舞ったところ、絶賛された。嬉しいだろう」

「そりゃあ、まあ」

「それと同じだ」

「つまり、きみは月が好きなんだ」


 隼人の言葉に少女は頷いた。


「月が好きで、好きで、堪らないんだ。でも、月は私のことは好きじゃない」


 少女は悲しげに言う。星が一人の人間を好きになるはずがない、と指摘するのはあまりに野暮で、そんなことないよ、月だってきみのことが大好きなはずさ、なんて言い出すのも気障っぽい。


 何と言えばいいだろうと考えている間に、少女は続けていた。


「世の中は思い通りにならないことが多い。この世について学べば学ぶほど、そう強く思えてくる」

「……そうかもしれないね」

「世の中を変えたいとどれだけ強く願っても、有効な手立てがなければ、虚しいだけだ。貴方は、貴方のお父さんのような力が、欲しいとは思わないか?」

「父さんのような力? 欲しくないよ。あんな化け物扱いされるような能力は」

「でも、それさえあれば世の中を変えられるかもしれない。自分が正しいと思うことがきちんと罷り通る、そんな世界に出来るかもしれない」

「はは、確かに、そんな世の中になったら、どんなに辛いことでも、苦しいことでも、耐えられる気がするな。一番悔しいのは、自分が正しいと分かっているのに引き下がらなくちゃいけないとき……」


 少女が月から視線を完全に外し、じっと隼人を見つめてくる。


 隼人はどぎまぎし、少女の琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。


「一つ、お願いがあるんだ」

「お願い?」

「ああ」


 少女は髪を掻き分け、微笑した。


「私を貴方に惚れさせてくれ」


 眩暈がした。


 世界がぐるぐると回り始める。


 自分の眼球が勝手に動くのが分かる。


 隼人は少女の顔を見つめようと努める。なのにできない。意識が遠のく。


「この寛容なる星は貴方に力をくれる。世界を変えたいのなら、必要になるはずだ」


 力。


 その響きは隼人を慄かせる。


 しかしそれ以上に少女の声が遠のくのが寂しい。


 彼女が、自分の安らぎとなってくれる予感がしていた。


 これから月を見上げるたびに、不思議な銀髪の少女のことを思い出すのだろう。


 そう思うと将来の自分に同情してしまう。


 思い出すたびに着色され、曖昧になる彼女の姿は、月明かりに照らされた本来の彼女と比べれば、あまりに濁ったものになるだろうから。


 本当、同情してしまう……。




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