無茶な土木工事
隼人は自分がどこへ向かうべきか、分からなかった。プリムラともう一度話がしたい。しかしそれは甘えだった。情だとか馴れ合いが生まれれば何とかなるのではないかという、人間の弱みとでも言うべき打算だった。
自らに宿った能力を思え。この能力で何ができる? プリムラを殺す方法なんかではない。彼女を納得させることができるはずだ。
その方法をずっと考えている。どうしたらこの社会は変わるのだろう。何を成し遂げれば、プリムラが人類に存続する価値を見出だすことができるのだろう。
隼人は放浪した。弥美を連れて、世界中を飛び回った。ナデシコを始めとする少女たちが初めて現れた場所を訪れ、月が変わらない光を宿していることを確認した。
月が孤独だって? 寂しくて堪らないって? こんなにも近くに感じられるのに、孤独を感じるのか……?
月にも人間とは言わずとも、生命が息衝いていれば、このような騒ぎは起きなかったに違いない。特に、月がその生命を慈しむようになれば。月と地球が衝突すればその生命も死に絶えてしまうだろうから。
しかし月には大気がほとんどなく、真空状態である。どのような生命が息衝けるというのだろう。能力を使って解決できるか? 一つの生態系を形作るような宇宙開発を、この一週間の間に行えと?
仮にそれが可能でも、人工的な生態系を月が気に入ってくれるとは、どうしても思えなかった。なにせ月は地球と衝突してやろうと覚悟している。それによって失われる生命は人間のみならず、ありとあらゆる動植物が危難に見舞われる。なのにどうして月にささやかな造園作業をしただけで危機を回避できると断言できるだろう。
「ねえ、隼人くん」
日本に帰り、高層ビルの屋上で街並みを眺めているとき、弥美が言った。
「世界って広いよ。もし、プリムラが月をぶつけてきたら、もうこの広い世界のどこにも人間が住めなくなっちゃうんだろうね?」
「そうだね……」
「こんなに広い世界を一気に変えることなんてできないよ。日本だけでも無理。あたしも、こんなことは言いたくないけど、もう方法は一つしか残されてないんじゃない?」
「……ナデシコに会いに行こう」
「ナデシコに?」
「彼女はプリムラに敵意を持っているわけではない。しかも、地球と月は何億年も共に孤独な宇宙を彷徨い続けてきた隣人のはずなのに、どうして争う必要があるんだろう」
「あたしたち、人間がいるからだよね?」
「だからってこのまま滅んで堪るものか。絶対に何か方法があるはずなんだ。ナデシコともう一度話をしたい。僕は自分がどうするべきか、分からないんだ」
「分かった。行きましょう」
二人は飛ぶ。ナデシコのところへ。
ナデシコはどこかの湖畔に佇んでいた。そこには他に三四人の少女がいて、それぞれ思い思いの場所で寛いでいた。ただし彼女たちは一様に寂しげな笑みを浮かべている。
「ナデシコ」
隼人と弥美が立っていることに、三五人の少女が気付いた。ナデシコはまた幼い躰に戻っていた。
「なにか、方法は思いついた?」
と、ナデシコは訊ねる。隼人は首を横に振った。
「相談しに来た。プリムラを殺すなんてことはできない。しかし彼女が気に入るような社会を短時間で築き上げることもできそうにない。彼女の寂しさを紛らわせる為に、月を賑やかな場所にすることも難しいし、効果も疑わしい。どうすれば良いのか、迷ってしまって」
「でも、何もしないでいると、人類は終わるのよ」
ナデシコの近くにいた金髪碧眼の少女が言った。
「選択しなければならない。自分の気持ちを優先するか、人類の繁栄を優先するか」
隼人は少女のその言葉に胸を痛めた。気持ち……、プリムラを助けたいと思うのは個人の人間の気持ちでしかない。どうして地球は、よりにもよってプリムラに恋心を抱いてしまった男にこんな能力を与えたのだろう。
そう、偶然ではない。
偶然のはずがない。
ああ、そうか。
隼人はある重大な事実に気付いた。
地球の意志。
地球が何を願い、人類に託したか。
「僕に協力してくれないか、ナデシコたち」
隼人が言うと、三五人の少女が一斉に首を傾げた。ただしナデシコだけ傾ける方向が他の少女と逆だった。
「僕の能力を使って、プリムラの孤独を解消したいんだ」
「そんなことができるの」
弥美が口を挟んでくる。隼人は振り向いて頷いた。
「できるはずだ。できるから僕は能力に目覚めた。そして僕がこの能力に目覚めたのにも、理由があったんだ」
「理由……?」
「もし、この能力に目覚めたのが僕ではなくきみだったなら。プリムラをどうしようと思っただろうか」
「あ、あたしが? うーん、もしあたしなら……。プリムラを殺そうとしたかも。周りは全員そのつもりだったし。隼人くんは周りの人間の意見、全部無視したよね。頑固者のあたしでもなかなかできることじゃないよ」
「もし地球が、僕にこそ、この能力が相応しいと思ったなら、その理由が分からないか?」
「えと……、もしかして、地球はプリムラを殺して欲しくないってこと?」
「そう。きっとそうだ。もっと言えば、地球は人類とプリムラが共存することを望んでいるんだ。この能力がプリムラを殺すほどの力を秘めていたとしても、そのように使おうとしない人間が必要だった。だから僕がこの能力に目覚めたんだ」
「なるほど……、可能性はあるかも」
「それは同時に、それほど強力な能力でないとプリムラの寂しさを紛らわせないということを意味している。きっとナデシコたちの協力が要る」
隼人は三五人の少女のほうへ振り向いた。しかしそこには既にナデシコしかいなかった。大人びた表情の彼女が微笑している。
「四元隼人。あなたがどのような手段でプリムラを救おうとしているのか私には分からない。けれど期待しています。でも、いざというときは――」
「僕はナデシコの意思を尊重する。けれど譲るつもりはない。そして、絶対にプリムラを救ってみせる」
ふっと、ナデシコは表情を引き締める。
「プリムラは地球の上を自由に闊歩することができる。でも漂流していただけ。誰とも繋がりを得ることができなかった。だからこそ孤独だったのかもしれない。四元隼人、あなたがプリムラと繋がることができたなら、人類は救われる」
「繋がり……」
隼人の脳裏に、閃くものがあった。
それは何とも馬鹿馬鹿しいアイディアだった。
だが同時に、これほどプリムラと月の孤独を紛らわせるものはないのではないかと思った。
「何か思いついたの?」
弥美が訊ねる。隼人は頷いた。
「握手をしようと思って」
「プリムラと?」
「そう。たぶん、彼女は笑うだろう」
*
日幡捷三はかつて、世界的に大流行した呼吸器感染症の抗体を人類で唯一持っていた人間であり、血液の提供により三億人もの人間を救ったとも伝えられている。彼は能力によって無限に肉体を再生し、血液を生産するので、どれだけ血を抜き取っても平気だった。
しかし日幡の血液から抗体を抽出していた医学研究所は、これが能力によるものだとは発表しなかった。というのも、日幡はありとあらゆる病原体を撃退する万能の免疫体を持っており、その増産は医療分野における計り知れないアドバンテージだった。医学研究所は政府にも黙って万能の薬を作り続け、巨万の富を得ようと画策した。
自分が利用されていることに気付いた日幡は研究所から抜け出した。黒黴と出会ったのはその直後のことだ。
何者かに誘導されたかのように出会った四人の能力者。黒黴は巨大な使命感に燃えており、他の三人はそれに面食らったが、誰しも世間に裏切られ、この世に正義などないと嘯くだけの哀しみを内に秘めていた。
だが、この世に正義がないのは、社会が悪いからではない。人間とは正義を軽んじる生き物だと、彼は身を持って知った。
相手が犯罪者とはいえ、日幡は残虐な殺しをやってしまった。対策室の女捜査官を殺そうとナイフを振り回した。どこに正義があるというのだろう。彼は道を踏み外したことを自覚し、反省した。
幸いにも罪を贖う場は整えられている。四元刑務官の部下として犯罪取り締まりの立場に立つ。かつて黒黴が否定したこの場所を、日幡は感謝と共に受け入れた。
出動の機会はそう多くはない。独房の中で蹲り、暇を潰す為に分厚い百科事典を読み耽り、出番を待つ。そんな日々が続いた。
そしてあるとき、四元刑務官とどこか雰囲気が似ている青年が、独房の中に降り立った。それは日幡に地獄の業火を味わわせた、あの対策室の捜査官だった。
「力を貸してくれ」
青年は言った。
「人類を救おう」
日幡は事態がよく掴めなかった。しかし青年に触れられた瞬間、どこか分からない山地に移動していた。
近くには、かつて黒黴に協力した有近瑠奈と、矢武透の二人が、日幡と同様に困惑顔で佇立していた。
青年――四元隼人は、高桜弥美と、白いワンピースを着た美しい少女ナデシコを連れて、空を睨んでいた。
昼間だというのに月が見える。
白い影と青いクレーター。
隼人はまるで月にいる誰かと目配せしているかのように、表情を変えている。
「本当に成功するのかなあ」
弥美が言う。隼人は笑った。
「やれるよ。弥美、材料調達、頼んだよ」
「でも、失敗したら――」
「何度でもやればいい」
弥美は頷くと、瞬間移動した。日幡は目をぱちくりさせて、
「お、おい。いったい俺たちに何をさせる気だ」
「そ、そうよ。何なの、ここは」
「四元刑務官の許可は取ったのか。あの人、俺たちの毛髪を――」
囚人三人が詰め寄る。隼人は笑顔で、
「許可なんて取ってない」
と言う。
絶句する三人に、ナデシコが笑顔で小型のモニターを渡す。
「な、なんだこれは」
「モニターです。イメージしにくいかなと思って」
「い、イメージ?」
「作業するにはイメージが大事だし」
「何のイメージだよ」
しかしナデシコは笑むばかり。
隼人は三人に訊ねる。
「有近瑠奈」
「なによ」
「きみの能力は、地面や岩盤にショックを与えて、土を抉ること……、間違いないか?」
「え、ええ。しょぼくて悪かったわね」
「矢武透」
「おう?」
「お前の能力は、金属を溶かし、自在に操ること――」
「そうだ。溶かせるのは金属だけじゃないが、得意なのは、そうだな」
「そして日幡捷三」
「……何だ」
「お前の能力は不死身。光莉さんの炎と組み合わせたら消えない炎となってお前を殺しかけた。素晴らしい能力だ」
「どうも」
「今から、この三人で、橋を造る」
三人の囚人は顔を見合わせた。
「橋? どこにだ」
「ここから、月までだ」
隼人は平然と言ってのける。三人の囚人は唖然とし、首を横に振る。
「馬鹿じゃねえのか。そんなこと、できるわけがない。そもそも、何の為に」
「握手する為にだ。僕とプリムラが。そして地球と月が」
「く、狂ってやがる。月は同じ場所にとどまっているわけじゃねえんだぞ。そんな橋を造ったって――」
「ああ、すぐに使い物にならなくなるだろう。でも、いいんだ、また造れば」
「お、お前、本気で言ってるのか?」
「もちろん」
隼人は空を見上げ、月を見据える。
「地球を感じて欲しいんだ。それで衝突は避けられる。月がまた地球と会いたくなったら、また橋を造ってやるんだ。地球と繋がって欲しいんだ」
日幡には信じられない。だが、隼人は本気の眼をしていた。
「……ふん、勝手にやれよ。俺たちの能力をコピーしてやるってことだろ?」
「いや、お前たちにも手伝ってもらう。ここから月までの距離を知っているか。ざっと三八万㎞だ。毎分四〇㎞造って行かないと、一週間以内に橋が完成しない」
「無理に決まってる。それに、月は一週間も同じ場所には――」
「分かってる。大丈夫、最低限の計算はしている」
不敵に笑う隼人。そしてその傍らに突如として出現したのは大量の鋼材。
弥美が鋼材の山の頂点に腰を下ろし、足をぶらぶらとさせていた。
「そろそろ始めないと、間に合わないんじゃない、隼人くん?」
「そうだな。よし、やろう」
「無理に決まってる!」
日幡は堪らず大声で言った。
「やるにしても、もっと大勢能力者を連れて来いよ。どうして俺たちだけでやるんだ」
「お前たちがつまらない人間だと、プリムラが言っていたからさ」
「あ……?」
「元々有能で、素晴らしい人格を持っていて、どんな困難にも闘志を持って立ち向かい、倫理道徳を弁えている……。そんな人間ばかり集めてこんなことやっても意味がない。人は人と出会うことで変われる。プリムラが可能性を感じないと思っていた人間がやるから、意味があるんだ」
「酷い言い草だな」
しかし否定できない。日幡は俯く。変われる? 人との出会いで? もちろんそれは言葉通りの意味だけではない。
「――それにしても、本当にこんなこと――」
「いいんじゃないの」
有近瑠奈は言う。矢武透も頷いた。
「どうせ独房の中で暇してたしよお。たまに外に出ても他の囚人に先輩面されて面白くなかったんだ。暇潰しにはなるだろ」
二人は微笑を湛えていた。隼人はぽんと手を打つ。
「よし、やろうか。この山にある土砂を全部使えば、月まで届くだろう。届かなくても弥美が材料を運んできてくれる」
「ちょっと、隼人くん、さすがのあたしも山までは運べないわよ」
そして一同は月までの橋造りを始めた。だがすぐに隼人が、立ち尽くす日幡を睨みつけた。
「お前がいないと始まらないだろう。お前の能力がないと、すぐに橋が崩壊してしまう。難しい材料工学なんて、ここにいる誰にも分からないんだから」
「あ、ああ……」
日幡は空を見上げる。
白く穏やかな月。蒼穹に鎮座する三八万㎞離れた地球の旧友。
「考えてみれば、これだけ近くにいながら、一度も手を握ったこともないんだよな」
隼人が言った。何と子供じみた言葉だろう。星同士が手を繋ぐなんて。
しかし彼の言葉に深く共感してしまった自分に、日幡は困惑した。
黒黴はなぜ間違ってしまったのだろう?
人間の可能性に気付けなかったから?
近くの人間と手を繋ぐ。そんな簡単なことさえできなかったから?
日幡は隼人の肩に触れた。
青年はにやりと笑い、地面に手を置いた。
細いが、真っ直ぐな柱が、一同の前に屹立していた。
そこに有近が抉った土砂と矢武が溶かした鋼が巻き込まれ、頑丈な柱となる。
柱はどんどん伸びる。根本から、真っ直ぐと。
崩れることも撓むこともなく、真っ直ぐと。
すぐに柱の重さに耐え切れなくなった根元の土が歪み始める。矢武が慌てて補強した。
本当に月まで届くのだろうか?
日幡はまだ信じ切ることができない。
「プリムラ、待ってろ!」
隼人は叫んだ。穏やかな空が、俄かに騒がしくなったような気がした。




