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孤独な月の悪鬼

 アメリカ、核実験場にて、その能力者は生まれた。


 核由来の能力者〈ニューク〉は、天災に立ち向かい覚醒した能力者と比べて、貧弱な能力を持っていることが多かった。人工の能力は天然物に太刀打ちできなかったのだ。


 しかし彼は例外だった。レヴィー・アップルガース。未来予知の能力。世界各地で起こる天災の規模や日時、覚醒する能力者の詳細などをぴたりと言い当てた彼に、アメリカ政府は一五人もの護衛をつけた。無論、全員が能力者である。


 レヴィーはアメリカ全土で誕生する能力者の所在を事前に報せたので、アメリカ政府は全ての能力者の管理を実現していた。アメリカが日本のように能力者犯罪に悩まされる可能性は限りなくゼロに近かった。


 レヴィーは予言の能力の発現に尋常ではない集中を必要としたので、彼専用のリラクゼーション・ルームが誂えられた。


 レヴィーの個室に立ち入ることが許されているのは、美貌を誇る女性秘書二名のみ。彼女らも彼同様〈ニューク〉であり、戦闘に特化した能力を保有していた。


 朝の定時報告を聞きに彼の個室のドアをノックした秘書官ケイトは、異常に気付いた。


 いつもなら異様なまでに早起きな彼の部屋から、テレビの音がしなかった。


 それはケイトがレヴィーの「子守り」を任せられてから初めての事態だった。


 緊張し、慌ててドアを開けた。


 レヴィーは机の上に本を積み重ね、それを枕にして、微睡んでいた。


 ほっと息をついたケイトは、ツカツカと彼に歩み寄った。


「朝ですよ、レヴィー」


 神経質な彼なら、すぐに飛び起きるだろう。そう思っていた。ところが彼は寝息を立てて、まだ夢の世界を泳いでいた。


 ケイトはふと違和感を覚えた。何か嫌な予感がする。レヴィーの予言には敵わないが、彼女の動物的な勘はよく当たる。


 何か良くないことの前触れのような気がする。やつれた顔のレヴィー。散乱した書物。いつもテレビの大音量で満たされている部屋の奇妙な静寂。


「レヴィー、起きてください」


 多少乱暴に、彼の肩を揺り動かした。彼はびくりと躰を起こし、思いのほか鋭い双眸をケイトに向けた。


 そして彼は突然立ち上がると、ああああああと呻き声を上げた。


「何てことだ――何てことだ! 世界は終わる! 終わってしまう!」


 ケイトはそんな取り乱すレヴィーを見たことがなかったから、唖然としてしまった。そして監視カメラ越しに部屋の様子を見ているに違いない諜報員が、早速彼の言葉を上に報告しているであろうことを悟った。それほど彼の発言には重みがあった。


「どうしたのです、レヴィー。落ち着いて」

「ケイト。駄目だ。すぐに殺さなければならない。でなければ、人類は死に絶える。文明はおろか生命の危機だ。ああ、これは人類が直面する最大の危機に違いない――」

「最大の危機?」


 ケイトはレヴィーが取り乱す理由が分からなかった。これまでも様々な天災が地球を襲った。それぞれ規模の大小はあれど、地球を滅ぼしかねない類のものも少なくなかった。


 これまでもレヴィーはそういった天災の出現を、淡々と予言していた。取り乱すことなんて一度もなかった。


 それなのに、今の彼は泡を噴いている。死への恐怖に駆られているように見える。


 ケイトは咄嗟に彼の手を握って落ち着かせようとした。驚くほど冷たい手をしていた。汗の量も尋常ではない。


 レヴィーは肩で息をしている。顔は真っ赤になり、全身が震えている。


「駄目だ。殺さなければ。あの少女を。少女を殺さなければ。人類はあの少女に殺されてしまう。だから殺さなければ。殺すのだ。そうすれば救われる。きっと多くの犠牲を払うことになる。それでもできる。地球の意志は少女の死を望んでいる」


 レヴィーの言葉の輪郭は曖昧で、聞き取るのに神経を使った。ケイトは不安げに揺れる彼を何とか落ち着かせたかった。しかしそれは不可能だった。


 レヴィーの昂奮は徐々に高まり、やがて白目を剥いて卒倒した。


 彼の躰を支えたケイトは、何かが起こり始めているのだと悟った。


 彼の譫言が耳に入ってくる。


「プリムラ――彼女は悪魔の使徒だ――殺さなければ」


 ケイトは床を睨んで反芻する。


「プリムラ……。悪魔?」


 悪魔が地球を襲いつつあるのか。


 それは比喩か。それとも本当の悪魔が人類を脅かしつつあるのか。


 少なくとも、レヴィーの予言が外れたことは、これまで一度もない。


 そして予言においてレヴィーがここまで昂奮したことは、一度もない。


 彼はいったい何を見て絶望したのか。


 自分もこれから襲い来る悪魔を見て絶望するか。


 絶望を打ち砕く力が我々にあるのか。


 ケイトは部屋に駆け込んでくる無数の足音を聞きながら、震えるレヴィーを抱きかかえていた。




   *




 隼人はこのところ徹夜続きだった。弥美の能力を借りる形で、現場に出向くことが多くなった。それほど瞬間移動の能力は有用だった。同時に、一日に様々な能力者と接触し、能力を組み合わせて可能性を試すことも要求された。


 能力者による犯罪は急増しているように思えた。黒黴の影響か、それとも政府が把握できないところで能力が増えているのか、あるいは対策室の捜査能力が向上して、これまで上手く隠れていた犯罪者を炙り出すことに成功したのか。


 弥美と共に、隼人の能力は大いに重宝されたが、さすがに働き詰めで余裕がなくなり、簡単なミスが多くなった。室長の朝霧から休日を与えられ、久しぶりに寮のベッドで眠ることができた。


 だが躰が激務に対応している最中だった所為か、眠りは浅かった。せっかくの休みだというのに早朝に起き、しばらくぼうっと天井を見つめていた。


 寝直そう、と枕を引き寄せようとしたとき、部屋のドアにノックがあった。


 こんな早朝に非常識な。と思ったが、渋々起き上がった。ドアを開けてもそこには誰もおらず、イタズラだろうかと呆れたとき、膝に何かが当たった。


 視線を下げると、そこには、白いワンピースの少女が立っていた。


 ぎょっとした隼人を尻目に、少女は部屋の中に入り、見回した。


「きみは……」

「四元隼人。あなたの能力は何だっけ?」

「え……。僕の能力は他人の能力をコピーすることだけど……」

「なるほど。あ、私、ナデシコっていうの。よろしくね」

「な、ナデシコ……? きみは何者なんだ」

「私は地球の娘よ。お母様は人類をいたく気に入って、力を貸すことにしたんだけど、ちょっと問題が起こっちゃって……」


 ナデシコは近くにあった椅子に腰掛けたが、具合が悪かったのか、すぐに立ち上がった。


「あなただけに話してもしょうがないから、皆を集めてくれない? 対策室っていうところがあるんでしょう?」


 隼人は頷いた。ナデシコは、大人びて見えた。いや、実際に肉体が成長している。言葉遣いもしっかりしている。


 隼人はとりあえずナデシコを対策室まで連れて行った。中ではトラッカーが自分のデスクの上に突っ伏して寝ていた。照明を付けると、彼は機嫌が悪そうに顔を持ち上げた。


「おい、隼人、俺の睡眠時間……、おっと、そこの女は」


 トラッカーは眠気が吹き飛んだかのように立ち上がった。彼も能力覚醒の際にはナデシコを目撃しているはずだった。


「トラッカーさん、この子、皆さんに話があるようなんですが」

「……分かった。ちょっと待ってろ」


 トラッカーは部屋を出て行った。ナデシコを自分のデスクの椅子に座らせたところで、トラッカーのアナウンスが施設内に響き渡った。捜査官は至急対策室に集合。寝不足の人間も非番の奴も関係なし。全員集合。


 十分後には、ナデシコは捜査官に囲まれていた。朝霧室長が到着したところで、ナデシコは話し始める。


 地球を襲う今度の危機について。


「対策室の皆さん、お勤めご苦労様です。私はナデシコといいます。地球の意志に従い皆さんに能力を分け与えた者です。この度、地球にはこれまでのものとは比べ物にならない規模の災厄が降りかかります。一週間後、月が地球に落ちてくるのです」


 捜査官の面々は、むやみに騒ぐことはしなかった。互いに顔を見合わせ、彼女の言葉が信用に足るのか各自で吟味している。


「月からの使者プリムラが地球にやってきて、言ったのです。月は寂しい。地球と一緒になれば寂しさは紛れる。でも月が地球に衝突すれば人類は生存できないだろう、と」

「月が衝突……。人類は全滅……。仮に生き残りがいたとしても、現在の文化水準を維持するのは難しいだろうな。人口は激減し、文明は崩壊する」


 誰かが言った。ナデシコは頷く。


「それを免れる方法は二つしかありません。一つは、プリムラに人類の存在が必要なものであると認めさせること」

「具体的に、それはどうすればいいんだ?」

「彼女は黒黴を利用して、人間の正義を試したそうです。しかし、黒黴はプリムラを満足させることができなかった。それが彼女に人類の抹殺を決意させたと言っていいでしょう」

「つまり……、人類は正義を守ることができると証明できればいいのか」

「そうなります。そして、彼女の眼は主に日本に向けられている。彼女の言葉からは日本の犯罪件数の多さを意識していることが窺えます。地球の慈悲によって人類は生かされている。慈悲の最たる能力を用い、お互いに傷つけ合う姿を見て、プリムラには人類が地球という親に歯向かう不良息子のように思えたのでしょう」

「日本の能力者犯罪を全て解決しろってことか? 一週間以内に? 無理だ」


 諦めの声が上がった。一方には冷静な人間もいて、


「プリムラを止めるもう一つの方法とは何だ」

「彼女を殺すことです」


 ナデシコは言った。捜査官たちはさすがにざわついた。朝霧が芯の通った声で、部下たちを黙らせながら、


「プリムラは月からの使者なのだろう。殺しても構わないのか」

「プリムラは月の娘です。化身、分身と言ってもいい。死んだとしても月には何も起きないでしょう。人間で喩えるなら、両目を潰され両耳を塞がれ歯を全て抜かれ鼻を削ぎ落されても、生命活動を維持する分には問題ないでしょう。そのようなものです」

「喩えとしては、凄まじく恐ろしいのだが……」

「月はプリムラを通して世界を見ているのです。ですから、喩えとしては適当かと」

「プリムラを殺せば月は世界を見られなくなる。そのことに弊害は本当にないのか」

「ありません。星というのは――地球や他の惑星、太陽も含めて――意思を宿しています。いつも退屈していて、遠くの星の揺らめきだとか小惑星の飛来なんかを心待ちにして過ごしているわけです。地球には生命という、これ以上ないほど愉快な存在がいますよね。人間は生命の中でも複雑怪奇、星も予想できないことを軽々とやってのける。だから地球は人類を生かそうとするし、愛するのです。人類がこのまま発展を続ければ、数万年ももたないことは分かっていて、あえて生かすのです」

「退屈を紛らわせる為に?」

「そうです。月も、退屈を紛らわしたいのでしょう。逆に言えば、私やプリムラの存在意義などその程度のものなのです。私は今、たまたま人間の姿を模していますが、それというのもお母様――地球が人類に恋しているからなのです。人間の持つ感覚器と同じものを私に宿し、この世界を見つめてみたい。それがお母様の意志です。月はそれが気に食わない」

「……星の寿命は億年単位だ。確かに人類がそれほど長い期間、繁栄し続けられるとは、どうしても思えん」

「そうです。月にとって、人類はその歴史も存在も刹那的過ぎる。月が寂しさのあまり地球と合体し、その結果人類が死に絶えようとも、些細な問題なのです」

「だが地球は人類を生かすことを考えた。……星の答えを聞きたい。プリムラの命と、人類の存亡、どちらがより重要なのか」

「答えなどありません。私はお母様によって力を与えられ、危険の兆しを嗅ぎ取り、能力を人間に授けてきました。お母様はただ自分が信じた者に委ねるのみです」

「与えられた能力で、我々がどうするべきか、考えろ、と?」

「はい。でも、私にも、ナデシコという少女の考えや感情は宿っています。他にも、三四人の少女の意思が混じっています。これはお母様の考えとは別個のものです。私たちは人間に似た肉体を与えられ、独自の考えを持つように仕向けられました」

「分かった。きみの意見を聞かせてくれないか。地球の意志ではなく」

「プリムラは寂しいだけの女の子なんです。できれば、殺して欲しくはありません。そもそもそれが可能なのかどうかも、微妙なところですし……。ただ、彼女が人類を殺すと言うのなら黙っているわけにはいきません」

「きみは我々の味方なのか」

「はい。どんな方法を選ぼうとも、勝算はあります。四元隼人さん……。彼にはプリムラに対抗する為の能力が宿っています」

「能力者の能力をコピーするという、あれか?」

「はい。お母様はこの力があればこの危機から脱することができると考えたのでしょう。隼人さん、何か考えがありますか」


 隼人は一同の注目を浴びて少し緊張した。だが臆することなく、


「その前に質問をよろしいですか。……ナデシコ、プリムラの身体的特徴を教えてくれないか」

「ええと、色白で、可愛くて、ちょっと目元がきつくて、銀色の髪で……」

「そうか。やっぱりだ。僕はプリムラと会ったことがある」


 ナデシコ以外、全員が驚いた顔をした。朝霧が身を乗り出す。


「本当か」

「はい。中学生の頃の話です。今でも彼女に言われたことは一字一句違うことなく思い出せます」

「言ってみろ」

「『私は能力者の動向を見守っている。何よりそれはこの星の意志の表れなのだから。近い内にこの星にとって人間が本当に必要なのか見極めなければならない瞬間がやって来る』……と」

「それだけか」

「『私を貴方に惚れさせてくれ』とも言われました。当時は意味が分かりませんでしたが、今は分かります」

「なるほど……、人間の存在価値を見つけられない限りは人類を滅ぼす。その脈絡ならば理解できる」


 ナデシコを交えて、今後どうするのか議論が深まった。隼人の能力にどのような能力を組み合わせるのか。そこに重点が置かれ、少々物騒な単語が並んだ。


 それが隼人には不快だった。能力者である父の影響も大きかったが、彼が対策室に入ることを希望したのはプリムラとの出会いがあったからだ。


 彼女が対策室にいないことを知ってからは、犯罪者と捜査官という立場で出会うことになるのではと気が気でなかった。現実はもっと奇妙だった。彼女が月の遣いで、人類を滅ぼそうとしているなんて。


 だが、望みは消えない。プリムラは人類を憎んでいるわけではない。ただ寂しいだけだ。他に寂しさを紛らわせる方法が見つかれば、最悪の事態は回避できるはずだ。


 そう、それが、人類を救う三つ目の方法だ。


 朝霧が防衛省の幹部と電話で話し始めた。世界各国の協力を得ようと言うのだろう。確かにこれは人類全体で取り組むべき事案だった。


 しかし隼人は、個人的な事情で、プリムラと会いたかった。彼女と話がしたかった。五年前に自分を助けてくれた彼女は、あれから変わっていないのだろうか。彼女は自分を見ていてくれたのだろうか。


 人類がどうのこうのではない。彼女の寂しさはこの賑やかな地球の上に降り立っても癒えないのか。地球と同化することでしか解消できないのか。


 対策室が騒然としているときに、四元刑務官が欠伸混じりに中を覗き込んできた。傍らには弥美を従えている。


「朝っぱらから騒がしいな。何があった?」


 隼人は弥美の許へ駆け寄った。そして彼女の手を握る。


「え? 隼人くん、どうしたの」

「ごめん。能力を借りる」


 隼人は瞬間移動した。プリムラに会いに行く。きっと対策室の面々はこの独断を批判するだろう。だが、この五年間ずっと会うのを待ち望んでいた彼女の正体が分かったのだ。下手をすれば殺し合いを演じることになるかもしれない。無性に話がしたかった。


 不死身の肉体を持つ囚人が、独房で就寝していた。その腹に触れ、自らが不死身になったのかどうか半信半疑のまま、月へと向かう。


 イメージしていたのは荒廃した月面だった。しかし隼人が降り立ったのは室内であり、ドーム状の滑らかな壁面が仄かに桃色に光り輝いている。


 前方には窓があった。その窓の向こうには青く光る地球が鎮座している。ここは月だ。月の展望室だ。隼人は理解した。


 中学生の頃に出会ったあの銀髪の少女が、宇宙にぽつんと佇む青い宝石を見つめている。隼人は声をかけたかったが、何と言えばいいのか分からなかった。


 中学生のときに、助けてくれてありがとう。ずっときみに会いたかった。


 そう言えれば良かったのに、言えない。


 自分でも分からない、どうしてきみにこれほど執着してきたのか。きみに会いたいが為に能力を得て、対策室に入った。そんな不純な動機を他人に話したこともない。


 プリムラは振り返った。彼女は無表情だった。隼人を歓迎するわけでも、拒絶するわけでもない。


「私を殺しに来たの」


 彼女は言った。隼人はぶんぶんと首を振った。


「まさか。そんなはずがない。きみは僕のことを覚えている?」

「四元隼人……。まだ日本に能力者が四元日向しかいなかった頃は、貴方のことをよく観察していた」

「じゃあ、憶えていてくれたんだね。……きみは、寂しいのか? 自由に地球に行き、自由に色んなものを見られるじゃないか。それでも気分を紛らわせることはできないのか」

「お母様は、感じたいと言っている。実際に触れて、そこに地球があることを確かめたいと言っているの。私の目を介して世界を見ても、寂しさは募るばかり」

「プリムラ、きみの意思は?」

「私の?」

「ナデシコは言っていた。自分たちには星の意志とは別に、個別の考えや意思があると。きみにもあるんだろう。どう考えているんだ」

「ふふ……、私はお母様の一人娘。私がお母様の意思を無視できるわけないじゃない」

「それは、そうだが……」

「四元隼人。貴方は私を止める為の能力を得たそうね。貴方こそ、地球の意志の体現者ということ。でも敢えて聞きましょう。貴方はどうしたいの」

「……きみを止めたい」

「殺してでも?」

「寂しさを紛らわせることはできないか。人類と月が共存できる可能性は?」

「貴方たち人間には失望させられてばかり。黒黴には期待していたのに。貴方は、彼が特殊な例だと言い切れる? 他人よりも強い力を得て、自分の思う通りに世界を動かしたくて、でもできなくて……。最後には自分の非を認めるどころか、暴走してしまう」

「黒黴は……、人間なら誰でも陥ってしまう道を進んだだけだと思う」

「そんな人間を私が生かしておく意味は? この寂しさを我慢するだけの価値が、本当にあるって言える?」

「僕は――」

「黒黴に味方していた三人の能力者がいたでしょう。黒黴は彼らのことを蔑んでいたわ。何も考えていない、ただ安っぽい正義感に囚われているだけだって。実際、私にもそう見えた。何の価値もない。ただ社会に埋没し、地球から貰った能力を他者を傷つける為に使うだけ。人間に生きる意味なんてあるの」

「……僕は、きみのことが好きだったんだと思う」


 プリムラはきょとんとした。


「いきなり何を言い出すの? 私が好き? それはつまり異性として? 私は人間ではないのよ」

「もちろん、分かっている。だけど初めてきみと出会ったとき、僕はきみに恋してしまった。きみは人間で、強力な能力者なのだと思った。だから、対策室に入ればきみと会えると思ったんだ」

「まさかそれだけの理由で、対策室に入ったの。呆れたわ。くだらない」

「そう、くだらないよ。僕なんてくだらない人間だ。でもだからと言って、対策室に入るまでの努力や、対策室に入ってからの活動の全てが、きみと出会う過程のオマケだったわけではない。きみがきっかけだったのは確かだけど、僕が犯罪を憎み、仲間を慈しむ心は、偽物なんかじゃない」

「……何が言いたいの」

「人間の生きる意味というのは、そういうことなんだと思う。地球が僕たち人類に肩入れしてくれるのも、つまりはそういうことなんだろう」

「全く分からないわ。論理的じゃない」

「僕はきみとまた出会えて嬉しかった。こんな出会いは全く予想してなかったけど。だからこそ面白い。そうは思わないか」

「それは貴方の主観でしょう。私は人間ですらないのよ」

「人間一人ひとりを見ていれば、なんてこいつはくだらないんだろう、弱いんだろう、情けないんだろう。そう思うのが当たり前だ。でも、きみがここから地球を見ていて、気付くことはなかった? 色んな人と出会い、それに影響されて気持ちや行動が変わったり、思いもしなかった結果を生み出しては喜怒哀楽に振り回されている。それが人間なんだよ。黒黴一人を見ていれば、人間なんてくだらないと思うのも仕方ないかもしれない。けど彼に影響された人間はたくさんいる。悪い影響も、良い影響もあるだろう。影響された人間は自分の考えや行為を改める。そしてまた別の人間に影響を与える。それが人間なんだよ。生きる意味っていったね。それは種を存続する意味と言い換えられるはずだ。僕はきみに影響されてここにいる。そしてきみと話している。考えてみれば、これは驚くべきことじゃないか? きみは何も感じない? 何も思うことはない?」


 プリムラは黙り込んだ。そしてゆっくりと振り向き、窓の向こうの地球を見据えた。


「なるほどね……。地球が人類を愛でる理由は分かった。けど、だからと言って、引き下がるわけにはいかない」

「プリムラ――」

「貴方には想像もつかないほどの悲しみが、お母様を蝕んでいる。かつて月は地球と一心同体だった。それが無理矢理に引き離された。正直に言いましょうか――お母様はあの瞬間からずっと泣き叫んでおられるのよ。私だけは、お母様の敵にはなりたくない。だから、どうしても私を止めたいというのなら、私を殺しなさい、四元隼人」


 プリムラはちらりと隼人を一瞥し、微笑した。


「貴方は私のことを好きでいてくれたのよね。なら、貴方に殺されるのなら、許せる気がするわ。あくまで、私の感情の話だけど……」

「僕はきみを殺さないし、誰にも殺させやしない」

「人類の総意に反してでも?」

「これは僕の感情の話だ」

「なら好きにしなさい、四元隼人。貴方が私の外貌に惹かれたのは不思議ではない。私は地球の女性の最高水準の容姿を選んでいるから。しかしこの期に及んで引き下がらないのは、興味深い。どこまでやれるか、見させてもらう」


 プリムラは微笑する。隼人はその柔和な表情に吸い込まれそうになった。そして意識が遠のく。月のドームが歪んで自分の立っている場所が分からなくなる。しかし窓の向こうの地球は変わらず綺麗な球形を保っていて、彼は瞼を閉じるのが惜しいくらいだった。





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