月の娘プリムラ
黒黴の最期の言葉は「どうして」だった。
なぜ殺されるのか分かっていないようでは、救いはない。
「貴方に力を授けたのは、私ではなく、地球だ」
銀髪の少女は言った。
「私が地球を脅かす存在として立ち塞がることによって、貴方は能力を得たのだ。その意味を考えたことはあるか? 貴方は私を失望させた。今ではこの世界がより暗く、淀んだものに見える。人類の生きる価値を見出だすことができない。私は貴方が嫌いだ」
どうして。どうして。どうして。黒黴はそう叫びながら八つ裂きにされた。彼自慢の能力も、銀髪の少女の前では無力だった。
血一滴余さず梱包し、対策室に送りつけた彼女は、月の見えるビルの屋上に立った。
風に吹かれて、彼女の銀髪はゆらゆれと揺れる。
しかし、ある存在を知覚したとき、彼女の髪の揺れは不自然に止まった。
まるでその一本一本が触角か何かのように強張り、微動だにしない。
彼女は振り返った。
そこには白いワンピースの少女が佇んでいた。悲しげな眼で銀髪の少女を見つめている。
「お勤め、ご苦労様」
銀髪の少女は微笑し、言った。白いワンピースの少女はゆっくりと歩み寄る。
「まず、お名前を聞いてこいって、言われたの」
「名前? 私にそんなものがあると思うか?」
「ううん。でも、今、決めて」
銀髪の少女は少し思案した後、
「貴方には名前があるのか?」
白いワンピースの少女は頷いた。
「わたしは、ナデシコって呼ばれてる」
「花の名前か。それでは、私は……。プリムラ。プリムラという名前にしよう」
プリムラは満足げに頷いた。ナデシコは悲しげな表情を変えない。
「プリムラ。あなたがこれからどうしたいのか、聞きたいの」
「聞いてどうする?」
「聞いてから決める」
「聞いても、どうにもならないと悟るだけだ」
「聞いてみないと何も分からない」
「……まあ、いいだろう。『まんなか』に招待してくれるか?」
「うん。もちろん」
とナデシコは弱々しく笑った。そして銀髪の少女の手を引いて「まんなか」へと向かった。
プリムラが「まんなか」に降り立ったとき、既にナデシコ以外の少女は全員集結していた。環を作って突然の訪問者を出迎える。
歓迎のムードではない。かと言って敵意を剥き出しにするわけでもない。
ナデシコと同様に、他の少女たちも、プリムラを悲哀の目でもって捉えた。
少女たちは、この銀髪の少女が何者であるかを、深く理解していた。
月よりの使者。
月の娘。
自分たちが地球の娘であるのと同様に、プリムラは月の娘であり、大いなる星の意思の代弁者であった。
「今日は話をしに来た」
プリムラは三五人の少女の真ん中に立ち、ゆっくりと全員を見回した。
「貴方たちは、地球の意志が乗り移った、三五人の娘だな。私は地球そのものと話がしたかったんだが、どうせ聞いているだろうから、このまま話す」
プリムラは少し高揚しているように見える。少女たちは顔を見合わせた。
「私は月の一人娘だ。ずっと月の上で地球を見守っていた。私の母は寂しそうだった……、地球とは姉妹みたいなものだから。豊かで、様々な生命が生まれ、賑やかな地球とは違って、月はいつだって静かだった。それはそれで良さもあると思うのだけれど、最近、母はもう耐え切れなくなってしまったようでね」
「耐え切れなく?」
「特に、地球が人類に格別の愛情を注いでいることを知ってからは。自分には愛情を注ぐ相手がいないことを嘆いて、とうとう、一つの決断を下した」
「と、言うと――」
「月はもう一度、地球と一緒になりたいということ。昔は一つだったのだから、おかしなことでもないと思うが」
「えっ……」
三五人の少女たちは騒然となった。ナデシコも困惑した。
「月が地球と衝突して、何が起こるか、詳しく話す必要はないと思う。地球の環境は激変し、人類は絶滅するだろう」
プリムラは平然と言う。
「だが、地球は人類に能力を与えてまで存続させようとしている種族。母や私だって、人類に恨みを抱いているわけでもなし、むやみにそんなことはできない」
少女たちはプリムラが何を言いたいのか、何となく理解し始めた。それを確認したプリムラはややトーンを落として、穏やかな口調で言った。
「私と母はずっと見ていた。能力を与えられた人類が、つまりは地球の慈悲を受け取った人類が何をしているのか。核兵器を使って能力を無理矢理に手に入れ、統治の道具として使っている。一部の能力者は犯罪に手を染め、無辜の市民を虐殺する。もはや人類は地球の慈悲さえも道具の一部としか考えられない。なんと醜いのだろう」
プリムラは言う。
「私は人類が地球の愛情を向けられるべき種族ではないと判断した。もちろん、地球が何を愛そうと勝手。だが、母はもう寂しさに耐えられない。だから、一緒になろう」
「待って、ちょっと」
アメリカ担当の少女が敵意の篭った眼差しを向けた。
「一緒になるかどうかは、お互いの合意があって初めて検討されるべきことでしょう。地球は月と一緒になんかならない。人類がどうのこうのと言う以前の問題よ」
「何億年も、月は孤独だった。地球の周りを回りながら、ずっと考えていた。もし私と母を止めたいのなら、人類が存続に値する種族だと証明してみなさい。これまでもそのチャンスはあった。だが、結局、人類は能力に溺れただけだった。ナデシコなら、知っているはずだ」
ナデシコは頷いた。黒黴に能力が宿るように仕向け、そして最終的に始末したのはプリムラだったのだ。人間の正義を試す為に……。
「私も、人類が憎いわけではない。ただ寂しさを紛らわせる唯一の方法が、たまたま人類を滅ぼしてしまうというだけのこと。そこは勘違いしないで欲しい。苦渋の決断だ」
プリムラは浮き上がる。少女たちは彼女を見上げた。月からの使者を。
「一週間後、月は地球に近付き始める。人類はその原因さえ突き止めることができないだろう。滅びの瞬間まであがき続ける醜い姿が目に浮かぶよう」
「プリムラを止めて!」
誰かが叫んだ。しかしプリムラの姿は急速に地上へと昇って行った。三五人の少女は各々彼女を追おうとしたが、見えない壁にぶち当たり、「まんなか」から出ることができなかった。
「プリムラが私たちをここに閉じ込めたんだ――」
「あの子にどうしてそんな力が?」
「月の一人娘だからよ。月が持つ力を一身に受けているんだわ」
「私たちは三五人だから、その分、力は分散されてるってこと……?」
しばしの沈黙の後、
「誰か一人、代表者を立てて、その子に力を分け与えましょう。そうすれば、地球のほうが月よりも力があるんだから、プリムラを簡単に止められるはずだわ」
「代表者――能力者が最も多いのはアメリカ担当のアリスよね。代表は彼女に」
しかしアメリカ担当の少女は首を縦に振らなかった。
「ねえ、ナデシコ、プリムラは日本を拠点に活動しているみたいだけど、どうしてなのか分かる?」
「……うん。分かるよ」
「話してみて」
「日本にはプリムラが原因で能力を発現した人が、黒黴以外にもう一人いるの。名前は四元隼人。プリムラは、黒黴を殺しちゃったけど、隼人のことはまだ見限ってないみたい。きっと、人類の可能性を彼に見ているんだと思う。能力者の犯罪が氾濫する日本の社会で彼がどのような答えを出すのか、見極めようとしているの」
少女たちは顔を見合わせ、頷き合った。
そして少女たちは光になった。
不安げに立ち尽くすナデシコの周りに集まる。
《心配しないで。あなたならきっと大丈夫。その四元隼人という人物の力を借りて、プリムラを止めて。あの寂しい子を》
ナデシコは頷いた。三四の光と同化し、そして飛び立つ。「まんなか」を覆っていたプリムラの結界を打ち破り、地上を目指した。
それを見ていたプリムラは小さく笑んだ。
「怒らないでくれ、ナデシコ」
二人の少女は地上に出るなり、空に浮かび上がった。ナデシコが必死に伸ばした手を、プリムラは振り払う。
「貴方では私を止められない。月で見守っている。人類を救いたければ私に認めさせてくれ。人類が貴方たちの愛を受けるに相応しい存在であることを」
満月に向かってプリムラは飛ぶ。ナデシコには追いつけなかった。月まで追って説得すべきかと考えたが、そのとき、どこかの国で核ミサイルが発射される気配を感じた。
放ってはおけない。
ナデシコはプリムラを見送るしかなかった。宵の空にくっきりと浮かぶ満月は他の星々を霞ませ、活き活きと景色を綾取っていた。




