6
歌を紡ぐように祈る。
墓の住人たちが安らかに召されるように。
外で暮らす人々に幸福が訪れるように。
ウィルバートの人生に幸せが満ち溢れるように、彼の生徒たちが真っ当に生きていけるように――後者はかなり適当に――祈った。
敷地の隅々にまで魔法が行き渡ったのを確認して、目を開く。気怠い疲労感にぼんやりと浸っていると、後ろから「シャーロット」と声をかけられた。
大きな荷物を持ったウィルバートだった。
「出発する準備ができた」
「はい。お見送りします」
玄関に向かう彼の後ろを歩く。会話はなかった。
彼は一晩中シャーロットを抱き締め頭を撫でていたようだ。その優しさが、今日がもう永遠の別れだと言っているようで辛かった。
玄関の外には彼の生徒が集まっていて、ウィルバートの姿を見て彼らはぞろぞろと門に向かって歩き出す。
デリックは体のあちこちに絆創膏を貼っている。ガラスを突き破った時に切ったのだろう。釣れなかった魚をギロリと睨んで、しかし何も言えなかったのか、デリックも門に向かって踵を返した。
ヘレナはその場から動かずにシャーロットを睨みつけている。その目は真っ赤に腫れていて、きっと昨日、ウィルバートに怒られて泣いたのだろう。いい気味だと笑おうとして、虚しくなってやめた。
玄関に荷物をおいて、ウィルバートはシャーロットを振り返る。
「言うのを忘れていた。庭師は明後日の午前中に来る予定だ」
「分かりました」
「明日、確認の電話があると思う」
「はい」
「魔法庁の連中も来るだろうから、何か伝えることがあるのならメモしておけよ」
「はい」
「後は……」
呟いて、何も言うことがなくなったのだろう。ウィルバートは黙ってシャーロットを見下ろす。
最後に言ってほしい。もうこれで会うのは最後だと。ちゃんと彼の口から教えて欲しい。ちゃんとさよならしてほしい。そうすれば、全てを諦める決心がつく。
それなのにウィルバートは、子供にするようにシャーロットの頭を撫でてこう言った。
「またな」
何て残酷な言葉を吐くんだ。唇を噛む。
そうか、言ってくれないのか。
そして「またな」なんて言葉で期待をさせるのか。シャーロットは細く息を吐いて、ゆっくりと顔に笑顔を作った。
「は、い」
唇が震えて声が震える。自分の惨めな声を聞いて、笑顔を維持できなくなる。
毎年彼がここを去る時、涙を見せたことなんて一度もなかった。その後何週間も泣いて暮らすことになったが、彼の前では決して泣かなかったのに。
「先生」
ぼとぼとと涙がいくつも落ちて、ウィルバートは少し目を開いた。
「行かないで……」
「先生! 早く行きましょう!」
ヘレナが声を上げて、ウィルバートの上着を引く。彼はヘレナを見ないで言った。
「ヘレナ、先に門の外に出てろ」
「でも先生、早くしないと」
「出てろと言ったのが聞こえなかったか」
振り返ったウィルバートに、ヘレナが体を強張らせる。彼女は震える口をへの字に曲げて懲りることなくシャーロットを睨み付けると、荷物を持ってバタバタと走っていった。それを見送っていたウィルバートの上着を掴む。彼は振り返って、その手を取った。
「シャーロット」
「行かないでください……もう先生を困らせたりしないから、置いて行かないで……」
彼の腕を掴んで、胸に額を押し付ける。一年に一度会えるだけで充分だったんだ。欲を出して外に出たいなんて言ったから、全てを失った。必死に彼にすがりつく。しかしもう手遅れなのは分かっている。
「お願い、私を見捨てないで……」
「見捨てたりなんかしない」
言い切った彼の顔を見上げる。
彼はシャーロットの額と頬に順番にキスを落とすと、体を離した。
「大丈夫だ、シャーロット。大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないです……」
「いいや、大丈夫だ。俺を信じろ」
彼は指でシャーロットの涙を拭うと、ほんの少し、笑った。
「またな」
返事を聞かずに荷物を持って、ウィルバートは踵を返す。
スカートを握りしめて彼を見つめる。すぐにその背中は霧の中へと消えてしまった。