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 朝食も昼食も食べずに、部屋でこもってひとりで泣いていた。

 一度ウィルバートがノックをして扉を開こうとしたが、魔法で頑丈にした鍵をかけていたので諦めたようだった。

 死んでしまいそうなくらい辛くて苦しいのに、どうしてか腹は減る。誰にも会いたくなかったがとうとう耐えきれなくなり、この時間なら誰もいないだろうとキッチンへ向かった。あと数メートルのところで、キッチンの扉が開いて中からデリックが出てくる。咄嗟に曲がり角に身を隠すと、彼はシャーロットに気付かずに反対の廊下を歩いていってしまった。

 息をついてキッチンの扉を開け、顔をしかめる。中にヘレナがいたからだ。

 彼女は泣きはらしたシャーロットの顔を見て、それはそれは嬉しそうに笑った。

「可愛い顔が台無しね、墓守さん」

 ヘレナが髪をかき上げる。

「先生、今日はあなたの部屋には行かないわよ。私と一緒にいてくれるって約束したんだから」

 会話をする気力もなく、何も言わずにそばを通り過ぎる。くすくすと笑う声が遠ざかったが、怒りすら湧いてこなかった。

 今日も来ると言っていたのに、ヘレナを優先したのか。それはそうだ。今までさんざん迷惑をかけたのに、きっと昨日の出来事でとうとう愛想を尽かされたのだろう。

 せっかく優しくしてくれたのに、毎晩部屋に来て話し相手になってくれたのに。ひどい事を言ったし、ひどい事をした。ひどい事もさせてしまった。

 サンドイッチと果物を持って部屋に戻る。空腹のはずなのにあまり食べられず、シャワーを浴びてベッドに寝転んだ。

 今日がもう最後なのに、彼はきっと来ない。待つのが嫌でさっさと眠ってしまいたいのに、じっと目をつむってどれだけ待っても眠気は来ない。

 いつも彼が来る時間を少し過ぎた時、ノックの音が聞こえて飛び起きた。扉に駆け寄り開く。

 そこにいたのはデリックだった。

「ごめんね、先生じゃなくて」

「……何か用?」

 殺意に近い衝動を我慢し尋ねる。確認してから扉を開ければよかったと後悔した。

「いや。今、先生さ、ヘレナのところに行ってるから。いつもはここに来てるだろ? だから寂しい思いをしてるんじゃないかって」

 ああ、やはりウィルバートはシャーロットよりもヘレナを選んだようだった。

「俺も君と話がしたかったんだ。少しだけいい?」

「ごめんだけど、もう眠たいの」

「少しだけでいいよ」

 扉を無理やり開いてデリックが部屋に入る。粘着くような視線の正体がようやく分かった。下心のある目だ。

 デリックがぐるりと部屋を見渡す。

「こんなところで、君はひとりぼっちで過ごしているのかい? 可哀想に」

 演技じみた態度に肌を粟立てる。数歩下がって距離を取ったが、デリックは気にしていないようだった。

「君はここを出たいと思わないのかい?」

「……出たいよ」

「ならいい方法を教えてあげようか。妊娠すればいいんだよ。妊娠すれば魔力が胎児に」

「知ってる」

 苛立った声で答える。ここまで態度に出しているのに、彼は笑顔を崩さない。

「だったら話は早い。俺が妊娠させてあげるよ。もちろんちゃんと責任は取る。一目惚れしたんだ。君のことが好きだ」

 何て薄っぺらい言葉なんだと、シャーロットは食いしばった歯の隙間から長く息を吐いた。

「俺がここから出してあげよう」

 デリックの手が頬に触れる。背筋が凍った。ウィルバート以外の男に触れられる事が耐えられなかった。その手を払い除けて、にやつく顔を睨みつける。

「あなたの子供を妊娠するくらいなら、一生ここでひとりで暮らすほうがましね」

 予想していた反応だったらしい。彼は唇の端を吊り上げると、腕を振り上げた。鎖が地面から飛び出して、シャーロットの体に巻き付き動きを止める。これで動きを封じ込めたつもりらしい。

 余裕の表情を浮かべたデリックが近付いて、寝間着を引き千切った。ボタンがいくつも弾け飛ぶ。

「大人しくするなら、優しくしてあげるよ」

 耳元で囁かれ、体中に渦巻いたのは明らかな殺意だった。

 人差し指で宙を弾く。ピシッという金属が割れる鋭い音がして、鎖が弾け飛んだ。体をかばって後ろへよろめいたデリックが慌てて手を振り上げる、その一瞬前にシャーロットは人差し指で宙に円を描いた。室内に風が起こって、デリックの体を巻き上げてその首を締めた。

「私を誰だと思っているんだ。舐めるなよ!」

 デリックが死にものぐるいで手を振り上げる。向かってきた鋭い風を、手を軽く払って退ける。そこでようやく実力の差を思い知ったらしい。息ができずに赤黒く変色し始めたデリックの顔に恐怖が浮かんだ。

 殺してやろう。殺してやりたい。しかし半分は八つ当たりだ。今ここでこの男を殺せば、ウィルバートが責任を負わなければならないだろうと思いついて、歯をぎりりと鳴らして窓の外を指差した。デリックの体が回転しながら窓ガラスを突き破り、外に転がった。

 窓の外を覗いて、無様に投げ出された体が呻き声を上げながら動いていることを確認する。

 破れた寝間着を胸元でたぐり寄せた。ガラスの割れる大きな音がした。もしかするとウィルバートが様子を見に来るかもしれない。

 間もなく廊下を走る音がして、鍵を掛けていなかった扉が勢い良く開いてウィルバートが部屋に飛び込んできた。

「シャーロット!」

 息を切らして叫んだウィルバートは、シャーロットの姿を見て安心したように息をついた。

「何が」

 尋ねようとして、彼は引き裂かれたシャーロットの服と割れた窓の向こうのデリックに気付いたようだった。

「墓守に勝てるとでも思ったのか、あの馬鹿は」

 ウィルバートは昨日と同じように脱いだジャケットを肩にかけてくれたが、すぐに脱いで返した。

「着替えてもう寝ますので」

「シャーロット、すまない。もう少しだけ待っていてくれ。ヘレナの体調が悪くて、今部屋で看てるんだ」

 彼を見上げる。何が先生と約束した、だ。キッチンにいた彼らを思い出してなんとなく思う。デリックとヘレナはおそらく共犯だ。

「仮病ですよ」

 目を丸くしたウィルバートの首に手を回す。シャツの襟に隠れていた催淫虫をむしり取った。

「私の虫にはすぐに気付いたのに、どうしてヘレナの虫には気付かないんですか?」

 ウィルバートの目の前にゴムのようにうごめく虫を付き出す。彼は顔をしかめてそれを受け取ると、反対の手でシャーロットの頭に触れた。

「すぐに戻る」

 彼が出て行って、扉に魔法で鍵をかける。窓の外にはもうデリックの姿はなかった。窓ガラスを魔法で直して寝間着を着替えたところで、ドアノブががちゃんと音を立てた。

「シャーロット、開けろ」

 ウィルバートだった。扉に近付いて、鍵に伸ばしかけた手を引いた。

「……私は大丈夫ですので、先生はもうお休みになってください」

「無理やり開けるぞ」

 魔法の鍵をむりやりこじ開けようとしてウィルバートは気付いたようだった。ありったけの魔力を込めて鍵をかけた。いくらウィルバートでも、数十分や数時間で開けられるようなものではない。こういう単純な魔法は、シャーロットの方が有利だ。

 扉に背をつけ座り込む。その背中に彼は言う。

「シャーロット、開けてくれるまでここにいるからな」

「……早く部屋に戻ってください」

 返事はない。じっと息を潜めて、彼が立ち去るのを待つ。

 十分が過ぎて、三十分が過ぎた。ずっと止まらない嗚咽をぐずぐずと噛み殺す。

 一時間がたつ頃には一体何をしているのかと虚しくなった。もう彼はとっくにいないだろう。

 扉に額をぶつけて、我慢をせずに嗚咽を漏らす。

「先生……」

「何だ。やっと入れる気になったか?」

 ドアの向こうから返事が聞こえて、シャーロットは飛び上がった。

 まさか、まさかまさか。

 慌てて鍵と扉を開ける。ウィルバートはそこにいた。

「危なかったな。もう数分遅かったら壁を壊して入ろうと思っていたところだ」

 閉められないように扉を掴んで、ウィルバートは部屋に踏み入る。

 後退りするシャーロットを捕まえて担ぎ上げると、そのままソファに座って体をきつく抱きしめた。彼の体は驚くほど冷たい。

「少し冷えたから、温めてくれ」

「ごめんなさい……」

「怒ってないよ」

 彼の首に抱きついて静かに涙を流す。どうしてこんなに優しいんだ。

 十五歳の時のことを思い出す。シャーロットを叱って怒鳴りつけたあと、彼はこうやって泣きじゃくるシャーロットを抱き上げて背中を撫でてくれた。

 彼も同じように思い出していたらしい。「大きくなったな」と呟いた。

 耳元で聞こえる穏やかな彼の息遣いが眠気を誘う。眠りたくない。もう少し彼の肌に触れていたい。彼の匂いに包まれていたい。力強い腕を感じていたい。それなのに魔法にかかったように、まぶたはどんどん重くなって耐えられなくなった。

「先生……」

「なんだ」

 行かないでという言葉は、音にならずに舌の上で溶けてなくなった。




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