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 二日目から四日目の夜も失敗だった。

 全裸で待つのはさすがにできずに裸にガウンを羽織ってみたが、勘付いたウィルバートにガウンの合わせを縫い付ける魔法をかけられて失敗した。彼の服を脱がせようとした時は、アスコットタイの留め具を外せずに断念した。今思えば下を脱がせば事足りたが、あの時は混乱していた。もちろん、そんな状態で押し倒すことなど出来るはずもなく。

 催淫虫はあっという間に気付かれ、一瞬にして消し炭にされてしまった。

 何もかもうまくいかずに五日目の夕飯の時間だ。もう今日と明日しかない。

 焦り始めて、精神的な余裕がなくなる。

 当のウィルバートは、宣言通り生徒に付きっきりだった。

 去年、彼は十二人の生徒を連れてきたが、みんなとても優しかった。積極的に話しかけてくれ、ご飯もみんなで囲んで食べた。女子生徒の部屋で一緒に寝たり、化粧の仕方や流行りの恋愛小説を教えてもらったりした。彼らが帰った後は、立ち直るのに一ヶ月の時間が必要だったくらいだ。

 しかし今年は随分と違った。女子生徒はひとりだけいたが、彼女は明らかにシャーロットを目の敵にしていた。どうやらウィルバートについてまわるシャーロットが気に入らないらしい。

 残りの男子生徒はお互いをライバル視しているのかほとんど会話はない。ひとり素行の悪い男がいて、その男だけはシャーロットに話しかけてきたが、シャーロットはどうしても彼の粘着くような視線を好きになれなかった。

 ウィルバートも去年とは打って変わって、シャーロットと生徒たちを関わらせようとしなかった。

 ひとりで早めの夕食を終え、部屋に向かいながら今日はどんな手を使おうか必死に考える。作戦はすっかり尽きてしまっていた。

 窮鼠は猫だって噛むのだ。できれば彼の意志で抱いて欲しかったが、こうなったらもういっそ、魔法で体の自由を奪って無理やりにでも。

「墓守さん」

 突然後ろから呼び止められ、シャーロットは飛び上がって驚いた。不穏な考えを打ち消して振り返ると、件の女子生徒ヘレナが腕を組んで立っていた。彼女は豪奢に波打つ金髪をかき上げる。

「ちょっといいかしら?」

 そう言って、ヘレナは顎で彼女にあてがわれた部屋を指した。嫌な予感しかしない。

「要件があるならここで」

「時間はとらせないから来てちょうだい」

「ここで話せないなら聞きたくない」

 ヘレナは目を見開いて、そして忌々しそうに顔を歪めた。諦めてくれるかと思ったが、彼女はシャーロットに近付いて小さな声で話し出した。

「先生に迷惑をかけるのはやめて欲しいのよ」

「迷惑?」

 正直に言うと、思い当たる節が多すぎて困る。

「先生は面倒見がいいだけ。誰にでも優しいのよ。こんな所にひとりでいるあなたを憐れんでいるだけなの。それなのに先生の優しさに付け込んで付きまとって。これ以上迷惑をかけないで、目障りだわ」

 感心するほどの見事な饒舌っぷりだ。しかもまだまだ止まらない。

「知ってるんだからね。毎晩先生があなたの部屋に行ってるって。一体何してるの? 先生はあなたに構ってるせいで、夜中まで起きて仕事をしているのよ。ただでさえ大きな研究に関わっているのに、急に決まった転勤で大変なんだから」

 右から左に抜けていた恨み言の、とある言葉が耳に引っかかる。

「……転勤?」

 そんな話、何も聞いていない。呟くように尋ねると、ヘレナは意外そうな顔をした後、にやりと笑って矢継ぎ早にまくし立てた。

「聞いていなかったの? あらあら、可哀想。結局その程度にしか思われてないのね。先生がここに来るのは今回で最後なのに、ろくにお別れもしてもらえないんじゃない?」

 最後という言葉にぞわりと背筋が凍った。

 最後、まさか、そんな訳がない。

 ヘレナを睨み付ける。詳しい話を聞こうと一歩前に出たシャーロットの後ろから、またしても声が聞こえた。

「ヘレナ、それくらいにしとけよ」

 振り返る。あの男だ。素行の悪い、いけ好かない、確か名前はデリックと言ったか。

 ヘレナの舌打ちが聞こえて、彼女は何も言わずに小走りに自分の部屋へ帰っていった。

「大丈夫?」

 デリックの手が肩に触れて、体を強張らせた。 

「大丈夫。ありがとう」

「気にすんなよ、ヘレナの言うことなんて。あいつ、陰湿で有名だから」

「うん」

 にこりと笑顔を作って、一歩体を引いてデリックの手から逃れる。大柄な彼の体はそばにいるだけで威圧感を感じる。デリックはまだ何か言おうとしていたが、ダイニングから他の生徒が出てきたことに気を取られたようで、シャーロットはその隙に部屋へと駆け戻った。

 鍵をかけて、扉にもたれかかる。

 転勤。他の大学へ行ってしまうのだろうか。そうすればヘレナが言っていた通り、ここに来るのはもう今回で最後になるのだろう。来年からは彼の後釜に収まった人が来るのだろうか。

 ふらふらとベッドに寄って、力を抜いて倒れ込む。

 どうして教えてくれなかったのか。

 ヘレナの言う通り、ウィルバートにとってシャーロットはその程度のものなのだろうか。

 ブランケットに潜り込んでシーツに涙を落とす。

 悪い考えばかりが頭をぐるぐると回転する。

 泣き叫びたいのを我慢して声を押し殺して泣いていると、いつの間にか疲れて寝てしまっていたようだ。

 ブランケットを捲る感触と、ウィルバートの声で目が覚めた。

「シャーロット。どうした、体調でも悪いのか?」

 のそりと上げた顔を覗き込まれそうになって、シャーロットは目をこするふりをして涙の跡を消した。

「大丈夫です。いつの間にか寝てたみたい」

 体を起き上がらせ、乱れた髪をかき上げた。

「夕飯は?」

「食べました」

 顔を上げると、ウィルバートは少し目を開いた。もしかするとまだ目が赤いのかもしれない。何でもないとにこりと微笑む。

 彼はそれ以上何も聞いてこなかった。

 いつものように、ふたりで向かい合ってソファに座って他愛もない話をする。

 時間はどんどん過ぎていく。ヘレナの言葉を思い出す。彼はここに来ているせいで、夜中まで仕事をしていると。

 彼のためを思って早めに切り上げるか、それとも自分のためにいつものように時間を気にせず彼を口説くか。

 そう。いつもは自分のために、自分のためだけに、彼を拘束して迷惑をかけていた。だから、愛想を尽かされても仕方がないのかもしれない。

 いつの間にか俯いていて、彼の手が頭に触れる感触で顔を上げた。

「どうした?」

「いいえ、何も」

「……誰かに何か言われたのか?」

 どうして分かるのだろうか。にこりと笑顔を作る。

「いいえ」

「……お前は何かを隠す時、いつもそんな顔で笑うな」

「……そんな事ありません」

 ウィルバートはふんと鼻を鳴らした。まるでお前のことなんてお見通しだと言いいたいようだ。それならどうしてだ。どうして、こんなにもウィルバートの事が好きで、もう会えないならきっと死んでしまうのに、それなのにどこかに行ってしまうんだ。

 俯いて下唇を噛み締める。

「シャーロット」

 もうこうやって名前を呼んでもらえる事もなくなるのか。

 でも、もし。

 もし、ここを出られたら。

 墓守でなくなったら。

 たとえ嫌われて疎ましがられても、顔を見るくらいならできるはずだ。

 立ち上がってそばに寄って、彼の頬に触れる。いつもは顔色ひとつ変えない癖に、今日は少し眉根を寄せた。

 彼が何か言う前に手のひらでその目を塞ぐ。体を強張らせた彼の少し開いた唇に、唇を押し付けた。こわごわと舌を差し入れる。彼は抵抗しない。魔法で体の動きを制限しているからだ。ぎこちなく舌を絡め取って、片手で自分の洋服のボタンを外す。

 初めからこうしておけばよかった。こんなにも好きになる前に。彼がいないと生きていけない体になる前に。

 彼の右手が大きく震える。魔法を打ち破ろうとしているようだ。

 魔力はシャーロットのほうが圧倒的に多い。しかし制御は彼が格段に上手い。

 服を脱いで、もう身を包むものは下半身の下着だけだ。

 唇を離して息を吸う。うまくできない。あんなにも本を読んで勉強したのに。

 魔法に集中しながらベルトを外すことが、こんなに難しいなんて知らなかった。

 一瞬集中力が切れて、ウィルバートに隙を与えてしまった。

 彼の右手が目を塞ぐシャーロットの手を掴む。彼の顔から離れると同時に、シャーロットの魔法が途切れた。

「お前……!」

 ウィルバートは視線を逸らしながら上着を脱いで、ほとんど裸のシャーロットを包んだ。そして大きく息を吐いて、怒りを逃がしたようだった。

「私、意外と弱いんですね」

「馬鹿言え。俺が強いんだ」

 ふふと声を出して笑う。

「……シャーロット、何があったんだ。誰に何を言われた」

「何もありません。何も言われてません」

 口元の自嘲を消せずに、視線を落とす。

「奥の手を使ったのに、それでも駄目だった。もう先生に抱いてもらうのは諦めます。違う人に頼みます」

 肩を掴まれる。ぎりりと握りつぶしそうな強さだ。顔をしかめてウィルバートを見上げる。怒っている。尋常ではないくらい。

「お前、いい加減にしろ。どんな目に合うのか分かって言っているのか? 妊娠するのはどういう事なのか分かっているのか?」

「もういいです。お説教はいりません」

「いいわけがないだろう! こっちを向け!」

 言われた通りに睨みつける。もう会えない、もう会えなくなるんだ。それならこれ以上好きになりたくない。

「先生は私がこんな所でひとりぼっちで寂しい思いをしてたって、何とも思わないんでしょう!? だからそんな風に勝手なことが言えるんだ! 先生なんて大嫌い! もう、出て行ってください……!」

 言い切って、顔を手で覆って大声で泣く。伝えなければならないのは正反対の事なのに、口から漏れるのは最低な言葉ばかりだ。

「……シャーロット」

 押し殺した声で名前を呼ばれ、顔を上げる間もなく腕を掴まれ無理やり引かれる。怒鳴られるかもしれない。殴られるかもしれない。開いている手で頭をかばったが、彼は乱暴にシャーロットをベッドに突き飛ばして、その上にのしかかった。

「分かったよ。抱いてやる」

 声を出す間もなく唇を塞がれ舌が入ってくる。とっさに抵抗しようとして、すぐにやめた。

 ずっと望んでいた事だ。

 ずっとこれを望んでいたはずだ。

 硬直する舌を絡め取られる。口の中を愛撫され、くぐもった声が漏れた。無意識に胸の前で固く握りしめていた彼の上着を引き剥がされる。体はがくがくと震えている。唇が離れると同時に涙が溢れ出した。

 怯えている顔を見られたくなくて腕で顔を隠すが、彼はその手を取って指を噛んで、そのまま腕に舌を這わせた。か細い悲鳴を上げる。

 ずっとこれを望んでいたはずなのに、涙が溢れて止まらない。その理由は分かっていた。

 彼はシャーロットの事が好きでこうしているわけではないからだ。それでもいいと思っていたはずなのに、実際はこんなにも辛い。

「怖いか? これから痛い事もするぞ」

「……どれくらい痛いですか?」

「ものすごく」

 あなたになら何をされてもいいと言わなければ。それなのに口から漏れるのは嗚咽だけだ。

 顔を背けて唇を噛む。

 泣きやまなければ、震えを止めなければ。好きですと言って、彼に全てを捧げなければ。

「シャーロット」

 震える頭を、ウィルバートの手がそっと撫でた。

「すまなかった。泣かないでくれ」

 彼の体が離れ、縋り付くように手を伸ばす。彼はその手をとってくれたが、ベッドから降りてそっと離した。

「続きをして」

「……怖くて泣いてるくせに」

「行かないでください」

「明日も来る」

「行かないで……」

 私を見捨てないで。置いていかないで。連れて行って。どうしてそう言えない。好きだと言えるのに、抱いてと言えるのに、どうしてそんな簡単な言葉が言えないんだ。

 扉が閉まる音が聞こえて顔を上げる。彼はもうそこにはいなかった。




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