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7月3日、昼過ぎ。
中華料理『大龍軒』では昼時も過ぎ、
勇太は遅い昼食を取っていた。
源三さんが近寄り隣に座る。
「お前、ここへ来て何年になった?」
「もう直ぐ……4年になりますね」
と言って、勇太は餃子をひとつ、パクッと食べる。
源三さんは煙草に火をつける。
「そうか、休まずよくがんばってるよな」
「仕方ないですよ、生活がありますし。
それにここに来たら昼飯も食べれますから……」
「でな、母ちゃんと話したんだが、今月から時給上げてやろうと思ってな」
勇太、椅子から飛び出し、ガッツポーズをして叫んだ。
「うおおおお……行けるかも!この夏、香織さんに会えるかも!」
喜ぶ勇太の姿を見て、源三さんと真子は我が子を見るように微笑んでいた。
同刻、夏美の夢の中。
夏美は哲夫のアパートのドアを開けた。
「テッちゃんいる?」
返事が無い。
「あれ、出掛けているのかな。しょうがないな……またにしよっか」
ドアを閉めようとした時、奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「ん?ユー君いるの」
夏美は部屋に上がって、布団で泣いている赤ん坊を抱き上げた。
「よしよし。なんて親だ。子供を置いて家を空けるなんて」
テーブルの上にメモが置いてあった。
買い物を済ませた哲夫と葉菜は車で家に向かっていた。
葉菜が出来上がった写真を見ながら、
「おかしいわね。夏美ちゃんの姿が写ってないのよ」
「貸してみろ」
哲夫が運転しながら写真を見る。
「元々この時代の人間じゃないからな……」
哲夫の胸元には勇太と同じ、夢見石のネックレスが揺れていた。
その時、反対車線を走る暴走車がカーブを曲がり切れずに、
哲夫たちの車に突っ込んで来た。
葉菜が叫ぶ。
「テッちゃん前!」
メモを読む夏美の耳には、夢見石のイヤリングがしてあった。
「夏美へ。買い物に行って来る。
勇太は気持ち良さそうに寝てたから置いていく。
あとよろしくな……って、なんて親だ」
泣き止んだ幼い勇太の顔を見ながら、
「おい、黒木勇太!ホントにお前は私と結婚する運命なのか?」
突然、部屋の電話が鳴った。
戸惑いながらも夏美は仕方なく受話器を取る。
「……はい」
「こちら豊成警察ですが……。黒木哲夫、葉菜夫妻のご自宅でしょうか?」
「……そうですが」
幼い勇太を抱えた夏美が廊下を走る。
霊安室の扉を開け、中へ駆け込んだ。
哲夫と葉菜には白いシーツが掛けられて横たわっていた。
夏美はフラフラと歩み寄りシーツをめくり、
崩れるように椅子へ腰を落とした。
……静かな時間が過ぎていった。
腕の中にいる勇太もいつの間にか眠っていた。
夏美は虚ろな表情をしたまま、語り始める。
「昨日さぁ、中学の時に私をイジメていた女の子にお店で会ったの。
ツイてないよね。中学の時の地獄が……また始まるよ」
「ピピ……ピピ……ピピ……」
夏美に目覚ましの電子音が聞こえてくる。
起こさないように勇太を哲夫の上に置く。
「テッちゃん、私一人で生きていく自信がない……よ……」
係りの男性が入って来ると夏美の姿はなく、
幼い勇太は気持ち良さそうに眠っていた。
同日、夕方。夜間学校。
滝田先生が教室に入ると、夏美がいないのに気付いた。
「おや。勇太、夏美は休みか?」
「知りませんけど」
滝田先生は兎志也の姿も見当たらないので、
「兎志也も来ていないのか。勇……」
「知りませんっ」
と、素早く返事をした。
「そ、そうか……」
その日、夏美は学校に来ることはなかった。
同刻。
夏美は公園のブランコに一人で座っていた。
夏美の顔の前を小さな光がゆらっと横切る。
そして、聞き覚えのある声がした。
「夏美さん、今日は学校に行かないんですか?」
夏美は目を閉じたまま言葉を返した。
「君と初めて会ったのも、ここだったよね」
夏美はそっと目を開け、
隣のブランコに座っている兎志也を見た。
「私の人生ってホントつまんないよね。生きるのに疲れてきたよ」
「もしかして幸せが目の前に落ちてくるものだと思っていませんか?
いくら待ってもそんなものは降ってきませんよ」
「勇太は振り向いてくれない。テッちゃんたちも、もういない。
店では最悪な奴に見付かる。
せっかく新しい町に引っ越して、何もかも最初から始められると思ったのに」
夏美はブランコから立ち上がり、
「兎志也、ごめん。今日は一人になりたいの。じゃあね」
兎志也は去って行く夏美の後姿を見て、
「ああ、究極のネガティブになっているよ。
自分で解決するしかないのに……」
同日、夜。
そんな夏美の気持ちも知らずに、
学校から帰って来た勇太は、部屋で夢の続きを見ていた。
「勇太君、起きて!」
岩の上で、香織に起こされ目を覚ます勇太。
「祭りに送れちゃうから、そろそろ行こう」
二人は腰まで草が生い茂る山の中を走って帰った。
「きゃっ!」
香織は足を滑らし、叫び声と共に山の斜面を転げ落ちてしまった。
勇太が慌てて下を覗き込む。
3メートルほど下の地面に香織の姿が見えた。
「香織さん!大丈夫ですか?」
香織のふくらはぎからは血が流れている。
「足をやっちゃった。登るのは無理みたい」
「今そこに行くから、待ってて」
勇太も滑り降りながら、香織のもとへと近付いて行く。
勇太は香織の傷口を見ると、自分のTシャツを脱ぎ、歯で噛んで引き裂いた。
「勇太君、そんなことしなくていいよ」
「いいから、じっとしてて……」
傷口の汚れをやさしく落としてから、裂いたTシャツで縛った。
「……ありがとう」
「香織さん、携帯は?」
「川に入った時、水に濡れてアウト」
「俺が、誰か呼んで来るよ」
「危ないわ。勇太君はこの辺りを知らないから迷うだけよ」
「……だけど」
「お願い、一人にしないで……」
その言葉に香織の不安を察して、勇太は隣に腰を下ろした。
「帰りが遅いと健吾たちが心配して探しに来るわ。ゆっくり待ちましょ」
と言って、髪を耳に掻きあげた。
それを見て、勇太が叫んだ。
「あっ、それ!」
香織のイヤリングには、瑠璃色に輝く夢見石が付いていた。
同刻。
深夜のファミレスで早苗は接客に追われていた。
「お待たせしました」
と、サンドイッチを差し出したその席には兎志也が座って本を読んでいた。
店のドアが開き客が入って来たので、早苗は急いで向かった。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
と言いながら、「またこの客かよ……」と思った。
早苗は二人の女性をテーブルへ案内して注文を伺う。
そして、店内に沙夜子の声が響いた。
「ねぇー、夏美いないのぉ?」
一緒に来ていた多倉瑠衣は沙夜子の三つ上の先輩で、
夏美が休んでいることを知ると、気だるそうに口を挟んだ。
「何それ、拍子抜けじゃん。あんたさぁ、今から夏美呼んでよ」
「いなくてもさぁ、夏美のツケとか出来ない?昨日と同じようにさぁ」
「それはちょっと……」
「なんだよ!サービス悪ぃ店だな。」
と、吐き捨てて席を立ち、沙夜子たちは店を出て行った。
兎志也は沙夜子たちを見て微笑んだ。
「見付けた!あいつらだ」
夏美が言ってた店で会った最悪な奴を見に来ていた。
兎志也は沙夜子たちを追うが、会計でもたついてしまう。
沙夜子たちは原チャリに跨り、帰ろうとしていた。
流行の着うたが鳴り、沙夜子は携帯を取り出した。
「何?うん……わかった。じゃ後で」
沙夜子は、携帯を切る。
「何、彼氏?」
「雅光の奴、スケベ心丸出しで今から会いたいだって。瑠衣先輩、先に失礼します」
と、アクセルを吹かして去って行った。
兎志也が出て来た時には、沙夜子の姿は見えなくなっていた。
瑠衣の原チャリも走り出したので、
近くに止まっていたタクシーに乗って瑠衣を追いかけた。
煙草の自販機の前で瑠衣は原チャリを止めた。
追い付いたタクシーから兎志也が降りて来て、瑠衣に近寄った。
「へぇ、若いのにセッタかよ。もっと軽いヤツにしときなって」
瑠衣はウザそうに煙草を開けながら、
「何、あんた?」
瑠衣のくわえた煙草に、兎志也がジッポの火を近付け、
「ツレにドタキャンされてさぁ。一人で遊ぶのもつまんないし、暇なら付き合わない?」
瑠衣は煙を吹かしながら、兎志也を物色するように眺めて鼻で笑った。
「フッ、あんたさぁ、高く付いても大丈夫なの?」
「ほう。じゃあ、ご指導してもらおうかな」
瑠衣は原チャリをその場に置き、
兎志也とタクシーに乗って夜の街へと向かった。
同刻。
暗い路地を夏美が歩いて来る。
視線の先には勇太のアパートが見えていた。
戸惑うことなく階段を上がって行く。
頭上の蛍光灯がパチパチと消えかかっている。
「ホント、ここはボロアパートだな」
と、つぶやきながら勇太の部屋の前で足を止めた。
勇太に自分の気持ちを伝えてきっぱりとフラれれば、
もうこの世に未練はなくなる。
「勇太の奴、今頃ニヤニヤしながら夢の中か。
人の気持ちなんか知らないでっ!」
ドアを叩こうと構える右手が動かない。
もう一人の自分がささやく。
「あいつを呼び出して、それから何を言うの?」
その問いに何も思いつかなかった。
なんて切り出したらいいのかさえ迷ってしまう。
変な話だが、フラれる覚悟は出来ている。
それでこの世に思い残すことはなくなるのだ。
死を決意した時点で、今の私には何も怖いものなどない。
だから、迷う必要もなかった。
でも、もし仮に勇太が「いいよ」って、言ってくれたらどうしよう。
……それはありえない。
あいつの私に対する態度を見ていたら99%私はフラれるに決まっている。
大丈夫、それでこそ予想通りなのだ。
夏美に変な自信が湧く。
しかし、右手を静かに下ろした。
「それならなぜ……私は、ここに来たんだろう?」
全ての覚悟が出来ているなら、このままどこかのビルの屋上へ行って、飛び降りればいいのに……。
今更、勇太に告白してどうするつもりなの?
これ以上自分を傷付けてどうするつもりなの……。
「ここに来た理由は何?」
夏美は力が抜けるように後ろの手摺りに凭れた。
もしかして私は、残り一%を期待してるんじゃないの?
夏美は気付いた。
自分は勇太が「いいよ」と、言ってくれるのを望んでいる。
もう一度この世でがんばって生きようとする理由を探しにここへ来たのだ。
夏美は、勇太に助けてもらいたかったのだ。
そう思うと、夏美はその場を走り去ってしまった。
予想した言葉なんか聞きたくなかったからだ。
夏美は月夜に照らされ、泣きながら家へと走った。




