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7月2日、夜。勇太の夢の中。
朝日が注ぐ林から小鳥の群れが一斉に飛び立つ。
村にさえずりが広がり、香織は目を覚ました。
体を起こし、布団に勇太がいないのに気付いた。
サト婆は布団すらなかったので、朝食の準備しているのだろう。
すると、部屋にサト婆が入って来た。
「香織、起きたか」
「お婆ちゃん、おはよ。勇太君は?」
「さあ、知らんばい」
と言って、仏壇へご飯を供えた。
香織は廊下に出て見回すが、勇太はいなかった。
その廊下の角を曲がった所では、
空気中に小さな気泡がプクッと現れ、スーと動き出す。
気泡は次々に現れて、一箇所へ集まっていく。
次第に勇太の姿へと変わっていった。
ハッと、意識を戻す勇太。
廊下を曲がって来た香織と目が合った。
「あ、勇太君、おはよ。どこにいたの?」
「えーと、ト、トイレ……」
「そう。ご飯食べたら、後で村を案内してあげようか?」
「はい、お願いします」
香織は勇太の横を通り過ぎながら、はにかむように微笑んだ。
「香織さん。夢見石って……知ってますか?」
「え?……さぁ、聞いたことないわ。何それ?」
「あっ、いえ。何でもないです」
と言って、勇太はその場を走り去った。
庭隅にある井戸で顔を洗いながら「聞いたことないわ」と、
香織の言葉が頭を過ぎる。
本当に結婚相手は香織なのだろうか。
勇太は水しぶきを散らしながら天を仰くと、
心が透き通るような青空が広がっていた。
これが運命ならば迷うことなど何もないのだ。
朝食が終って食器を運ぶ勇太。
台所で洗い物をしている香織が、
「ホントに帰っちゃうの?祭りを見ていけばいいのに……」
「やっぱり何日も甘えるわけにはいかないよ。昼のバスで家に帰ります」
「残念ね。後でアドレス教えてよ」
僕は香織さんとの繋がりの糸を切ろうとしていた。
香織さんはその糸を必死に繋げようとしているように見えた。
もしこれが運命ならば……。
ちゃぶ台を拭きながら、勇太はテレビのニュースに手を止めた。
「今朝、掘山バスはストのため、全線運休となりました。
会社と組合との話し合いの結果、早くても運行は明日以降になる予定で……」
もしこれが運命ならば……僕たちは引き離されることはないはずだ。
微笑んでいる勇太の前に、香織がニヤ付きながらやって来て、テレビを覗いた。
「へぇー、今日はバス来ないんだぁ。
あーあ、これじゃ帰れないねぇ。……で、君はどこに泊まる気?」
勇太は、頭を下げて、
「もう一晩泊めさせてください!」
「うむ、よかろう」
二人は声を上げて笑った。
同日、夜。夏美のバイト先。
真夜中、一組のカップルが夏美の働くファミレスへと入って来る。
「いらっしゃいませ」
と、近寄る夏美がその客の顔を見て足を止めた。
「……瀬川さん」
瀬川沙夜子は夏美を見て驚いた。
「夏美じゃん。なんだ、こんなとこで働いてたんだ。
これって運命感じちゃうよね〜」
夏美は目を合わせず戸惑っている。
一緒にいた彼氏の高槻雅光が沙夜子に尋ねる。
「誰こいつ?」
「と〜っても、仲のいい友達」
と言って、沙夜子はニヤ付きながら夏美を見ていた。
同刻。勇太の夢の続き。
勇太は、香織の案内で星野村を自転車で走っていた。
茶畑が広がる坂道を下って県道へ出ると、
昔ながらの民家やお店が並んでいる。
門前町を走り抜け、さらに先へ進むと前方に大きな鳥居が見えてきた。
二人は自転車を止めた。勇太は山頂まで続く石段を見上げ、
「うわぁ、長い。何段あるか数える気にもならないよ」
「へぇ、意外とだらしないのね」
と、香織は微笑んで石段を先に登り始めた。
勇太はため息ひとつ付いてから後を追った。
たくさん提灯が吊るしてある。
祭りの準備に追われる村人が忙しそうに石段を行き来している。
それを横目に香織は幼い頃を思い出しながらゆっくりと登って行く。
足が最上階に着くと参道には出店が並び、
まだ明るいのにたくさんの人で賑わっていた。
その先には香織が小さい頃よく遊んだ糸倉神社が昔のまま佇んでいた。
香織は歩きながら周りを見回す。
子供と年寄りばかりなのに気付く。
「若い人はどんどん村を出て行ってしまう。来年の祭りはどうなっちゃうんだろう……」
一人の男性が香織に声をかけた。
「おう、香織じゃなかね?」
振り向くと男性が二人立っていた。
香織の表情が無条件で笑顔になる。
「健吾、帰ってたんだ。青井君も久しぶりね」
体格のいい池浦健吾は、勇太の横を通って香織に近寄った。
「親父に祭りを手伝えって言われて、博多から帰って来たとたい。しっかし、驚いたなぁ」
健吾が、物珍しそうに勇太を見ている。
「お前が彼氏を連れて戻って来るとは……」
「違うわよ。お友達なの。黒木勇太君」
「どうも……」
香織に馴れ馴れしい健吾に、
勇太は世界一低い声で挨拶をした。
「俺は池浦健吾。香織の幼なじみばい」
勇太は健吾に敵意を抱いた。
香織を狙う強敵が現れたのだ。
警戒しておこう。
「健吾、子供生まれたんだってね」
「おお、今度見に来いよ」
勇太は厳戒態勢を解除した。
健吾とは友達になれそうな気がした。
「そうだ。お前、『巫女の舞』を踊れたよな。
今年、やってくれねぇか?」
「……どうしたの?」
「見ての通り、若い奴がいないとたい。
今年から舞を止めるかもしれんと」
「時代の流れも寂しいものね。いいわよ、引き受ける」
「俺の娘が大きくなったら躍らせて、『巫女の舞』を復活させてやるばい」
「ふふ、協力するわ。私も、もし娘が出来たら舞を教えるわ」
勇太は幼なじみの輪の中に入れなかった。
故郷の友は何年経っても親友のままなんだと思った。
自分にはない友達の絆をうらやましく見ていた。
「健吾、どうせ教えるなら『天女の舞』にしなさいよ」
「天女の舞か……懐かしかね。でも、あれを踊れる人は、もう誰もおらんとたい」
「そうね。私も8年前に見たのが最後だったわ……」
「香織。衣装は竹宮の婆さんが持っとるけん行ってみてくれ」
「龍昇の近くだったよね。わかった、借りて来る」
香織と勇太は、神社を後にした。
高い木々が生い茂り、細い槍のように日差しが射し込んでいる。
自転車で山道を走りながら、香織は勇太に話しかける。
「ここではね、
祭りの時に巫女の姿をした女性が今年の豊作を願って踊るの」
「へぇー、そんな風習まだ残っていたんだ」
「どこのお祭りも元は神様にお願いしたり、感謝したりする行事なのよ」
竹林を通ると民家が見えて来た。
大根を干していた竹宮の婆が、香織に気付く。
「おやおや、珍しい客が来たのう」
招かれて軒下に腰を下ろし、
香織たちは出されたお茶を飲んでいた。
巫女の衣装を持って竹宮の婆が出て来る。
「今年は香織ちゃんが踊るんかい?」
「誰もいないから頼まれちゃって」
「そうか……このままだと、来年の舞はないかもしれんね。
最後にもう一度だけ、『天女の舞』が見たかったよ」
「香織さん、『巫女の舞』と『天女の舞』は違うの?」
と、勇太が尋ねる。
「何種類かある舞の中で一番難しい踊りなの。
一人だけ踊れる人がいたんだけど……」
竹宮の婆が話し出す。
「ああ、風見今日子か。あいつは26歳の時、
5歳になる娘を白血病で亡くしてのう」
「その後ね、今日子さんは村を出たのよ。
だから、もう『天女の舞』を踊れる人がいないの」
「ふーん」
香織たちは竹宮の婆にお礼を言うと、家を離れた。
「ね、祭りまでまだ時間あるから、寄り道して行こうよ」
「え?どこへ」
「いいから、付いて来て!」
勇太は強引な香織に断るすべもなく、
そこからさらに山の奥へと進んで行った。
途中で自転車を置いて、高い杉の木に囲まれた細い道へと入って行く。
しばらく歩くと、勇太の耳に地響きのような「ゴー」という音が聞こえてきた。
音はどんどん大きくなるにつれ、周りが少しずつ明るくなる。
森を抜けて視界が開けると勇太たちは断崖絶壁に立っていた。
その目の前にはさらに大きくそびえ立つ山。
山頂から降り注ぐ大量の水は、轟音と共に下を流れる矢部川へと繋がっていた。
昔の人は岩肌を駆け登る龍の姿に見えたそうだ。
「龍昇の滝よ」
と言って、香織は別の道から下へ降りると、スカートの裾を持って浅瀬に入った。
「ん〜、冷たい!」
勇太は渓谷の岩場に立ち、滝を見上げた。
天地をつなぐ水柱。
巻き上がる水しぶきが、夏の日差しを浴びて虹を作り出す。
勇太の傍へ香織が近付いて来た。
「小さい頃、ここで健吾たちとよく遊んだわ」
と、香織はニコッと笑って、勇太を川へ突き落とした。
「うわあああ……」
大声を上げて、川に落ちる勇太。
勇太が立っていた岩場は男の子たちの飛び込み場所になっていた。
昔を思い出した香織はウズウズしていたのだ。
「夏だからすぐ乾くわよ」
勇太は香織の軽い言葉に開き直り、川の中で泳ぎ出した。
「香織さんもおいでよ」
「これでもレディだから止めとくわ」
「気持ちいいのに……あれ?」
「勇太君。色が濃い所には近付いちゃダメよ。
深いし、水底の流れは水面より速いから足を取られて危ないからね」
ほんの少し忠告が遅かった。
勇太の体はすごい速さで流されていった。
香織は迷わず川へ飛び込み、勇太を追いかけた。
勇太も岸に向かって必死に泳ぐが、
どう見てもカエルが流されているようにしか見えない。
香織が勇太に追い付く。
「上を向いて、力を抜いて……」
と、香織に身を委ねる勇太の首に腕を回して岸へと泳いだ。
香織が息を切らしながら川から上がって来る。
温かい大きな岩の上に横になって服を乾かした。
二人は岩肌の心地よさにそのまま眠りについたのだった。
7月3日、朝。
「ジリリリリ……」
勇太はやかましい目覚ましを止め、
香織の姿を思い返す。
「香織さんに会いたいな。場所まで分かっているけど、お金がないもんなぁ。」
勇太は寂しそうに位牌を眺めた。
「お父さんたちが生きてたら、こんな生活しなくて済んだのに……」
布団からガバッと立ち上がり、
自分の頬をパシパシ叩いた。
「ダメだ勇太。弱気になるな。
前を向け!仕事の準備だ。ヨッシャ!」
支度をする勇太の胸元で揺れている夢見石。
中の気泡は、残り2つになっていた。




