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7月1日、夕方。
勇太が慌てて部屋に戻って来る。
教科書や筆記用具をカバンに投げ入れた。
ふと、テーブルに置いていた父親の形見のネックレスが目に入る。
勇太がネックレスを持って鏡の前に立ち、
首にかけてのんびりと微笑んだ。
そして、思い出したように走って部屋を出て行った。
静まり返った夜の徳光高校に1クラスだけ明かりが点いている。
「いいか、今のとこテストに出すからな!」
教室では滝田先生の熱血の中、
年齢がバラバラな生徒が真剣に授業を受けていた。
夏美が後ろに振り返って、勇太に話しかけてくる。
登校拒否で中学にほとんど行ってなかった夏美は、
ここのみんなにすっかり溶け込んでいた。
何があったのか、聞こうとは思わない。
ここにいるみんなが、それぞれの事情を持っているのだ。
「昼間のあの店、美味しかったね。また行こうよ」
「4時間も昼飯に付き合わされるなんて拷問だぞ。マジ遅刻するかと思った」
「ええ〜、他のカップルなんか、もっと長くいたじゃん」
「ちょっと待て。俺たちは付き合ってねぇだろうが」
「うちの両親は幼馴染だったんだって。
心の中で友達のポジションから恋人に変わるんだよ。すごいね」
「お前、俺の話を聞いてないだろ?」
その時、夏美が勇太がしているネックレスを指差して驚いた。
「あああ!」
「な、なんだ?」
「それ、夢見石じゃないの?」
「何だ、それ?」
「それを身に付けて寝ると、
夢に将来の結婚相手が出てくるんだって」
勇太は不思議そうに石を手に乗せて眺めた。
「やっぱり勇太もその石……、ん!」
夏美が何かに気付く。
表情は険しくなり、目線だけ横へ向ける。
夏美が素早く振り向き、滝田先生の振り下ろした教科書を、
頭上でバシッと真剣白刃取りをした。
滝田先生がサムライっぽく、
「お主、なかなかやるな」
夏美も調子に乗って、
「ワシの首を獲るなど、10年早いわ!」
「お前たち、いつの時代から来たんだよ?」
と、勇太が呆れる。
少し離れた席に体験入学で佐々木兎志也、
20歳の姿もあった。勇太たちを見て微笑んでいた。
授業が終わり、夏美は急いで靴を履き替えていた。
「勇太、ちょっと待ってよ!」
自分を置いてサッサッと帰る勇太に声をかける。
勇太は自転車を押す手を止め、
ため息混じりに夏美を待った。
勇太に追いついた夏美の横を、兎志也が通り過ぎる。
「お二人は、いつも仲がいいですね」
その言葉に照れてしまう勇太。
「俺、一人で帰るから」
と夏美に言うと、自転車に乗って行ってしまった。
夏美の「あっ」という顔が、膨れっ面になり、
先を歩く兎志也のお尻を蹴飛ばした。
兎志也がキョトンとして振り返る。
「兎志也。お前、邪魔したいのか?」
「まさかぁ。全面的に協力するって言ったじゃないですか」
「あんなこと言えば、誰だって変に意識するだろうが!
もう、自信なくなるよ」
「そんなこと言わず、がんばってください。
応援しますから……」
兎志也は年下の夏美に頭が上がらなかった。
通りかかる滝田先生が二人を冷やかす。
「お前たち、仲がいいな」
「ありがとう先生。結婚式には必ず呼ぶからねぇ」
と、兎志也は先生に手を振った後に夏美の顔を見て、
「普通はこんな感じになりません?」
「お前だけだよ、馬鹿っ」
風呂上りにトランクス1枚で部屋を歩く勇太。
冷蔵庫を開け、取り出したジュースを飲み干した。
勇太はテーブルに置いてある父の形見のネックレスを手にした。
夏美が言った「夢見石」という言葉を思い出す。
ネックレスを疑うように見た。
「未来の結婚相手か……。まぁ、どうでもいいけどね」
と、ネックレスをまたテーブルに置いた。
勇太は電気を消して布団に入る。
しばらくして、外から暴走族の爆音が響く。
後からパトカーのサイレンが追いかけていく。
その音に反応して野良犬が何匹も吠え出した。
ようやく静まったと思いきや、男女の喧嘩の叫び声。
イライラがピークに来た勇太は、
部屋にまた明かりを点ける。
テーブルへ行ってネックレスを首にかけて、
早足で布団へ戻り、また電気を消した。
夏美はファミレスで夜勤のバイトをしていた。
同僚の菊池早苗が話しかけてきた。
「夏美もそろそろ彼氏作りなよ」
「うっさいな。今、がんばってる最中だよ」
「ねぇ、今度のコンパ、夏美も来る?」
「え?早苗、あんた彼氏いるじゃん」
「何言ってんの!もっといい男の出会いがあるかもしれないでしょ。
一人ばっかり見てたら、周りが見えなくなるわよ」
店に数人の客が入って来た。
早苗が、笑顔で接客に行く。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
夏美は本当に勇太のことが好きなのか、
早苗の言葉で迷い始めた。
同刻。
勇太の寝顔が月明かりに照らされる。
静けさの中、耳鳴りのような「キーン」という高い音が響きした。
そして、胸元の夢見石が小さく輝き始める。
その高い音に共鳴するかのように光はどんどん大きくなり、
その光の中から車のエンジン音が聞こえてきたのだった。
ハッと目を覚ます勇太。
辺りは昼間のように明るかった。
勇太は私服を着て、車の後部座席に座っていた。
車内の様子からバスだと気付く。
乗客も何人か乗っていた。
動揺している勇太。
窓から差し込む西日がとてもまぶしく、目を細めた。
座席に『掘山バス』の文字を見付けるが、
聞いたことがなかった。
振り返って後窓から外を見る。
全く見覚えがない峠道をのどかに走っていた。
その時、車内で女性の声がした。
「ヤメて下さい!」
勇太はドキッとして、素早く向きを戻した。
前の方で乗客が揉めているようだった。
「もう、いい加減にしてよ!」
立花香織は隣にいた男性にそう言い放つと、
両手に荷物を持って席を立った。
香織は通路を歩いて後部座席の勇太の前で止まり、
苛立ちがおさまってない口調で勇太に尋ねた。
「隣よろしいですか?」
「ど、どうぞ……」
勇太は足を寄せて道を開ける。
香織は窓際の席へ腰を下ろすと、そのまま外を眺めた。
20歳位で髪の長いきれいな女性だった。
勇太は吸い込まれるように香織に話しかけた。
「あの……、彼氏とケンカでもしたの?」
少し落ち着きを取り戻した香織が笑顔を見せてくれた。
「彼氏じゃないわ。たまたま隣に座っただけ。
しつこく言い寄ってくるから、ついね」
香織は勇太に近付き体を寄せて、その男性を指差した。
「ほら見て、あいつ。まだこっちを見てニヤ付いてる」
勇太はそれどころではなかった。
香織との距離が近過ぎるため、自分の左腕に香織の胸が当たっていた。
一気に顔が赤くなるが、必死で冷静に振舞った。
「あ……あいつに一言、言って来ましょうか?」
「ほっとけばいいわ。ああいうタイプは、
こっちがムキになると逆に喜んじゃうから」
と言って、勇太から離れる。
赤面した顔が元に戻ると勇太は自分の状況を思い出した。
「あの……ひとつ聞いていいですか?」
「何?」
「ここはどこでしょうか?」
「君、知らずに乗ったの?もうすぐ星野村を通るわよ」
「星野村?何県ですか?」
「何県?……福岡だけど」
「ふ、福岡県ですか!目が覚めたらここに座っていて……」
「寝過ごしたのね。このまま乗ってたら町まで戻るから大丈夫よ。
どこから来たの?」
「東京です。
最後の記憶が自分の部屋で寝ていたことしか思い出せないんです」
「へぇ、東京なの。
私も行ってみたいわ……って、ありえないでしょ!
どうやったら東京から福岡まで気付かずに来れるわけ?」
勇太は腕を組み、目を閉じて頷く。
「僕も、それが知りたいんです……」
バスは峠を抜け、茶畑が広がる山間の集落へと差しかかった。
アナウンスが流れる。
「星野……星野……。お降りの際は、お忘れ物がないように……」
それを聞いて、香織が立ち上がる。
「着いたわ。私、ここで降りるの。もう居眠りなんてしないようにね」
と、勇太に手を振ってバスを降りた。
香織はバス停からバスが出発するのを見送ると、
向きを変えて歩き出した。
「あの子、無事に帰れるかしら」
ふと、気付いたようにバックを持っている右手と、
何も持っていない左手を確認する。
香織は振り返り、
遠くに走っているバスを気落ちした様子で眺めた。
「ハァ……またやっちゃったよ」
バスの中で勇太は、
もう少し会話したかったと名残惜しむように彼女のいた席を見た。
そこに紙袋が置いてあるのに気付く。
勇太は立ち上がり、手を上げ叫んだ。
「すいませーん。降ります。ここで降ります」
やかましい蝉の声も懐かしい。
香織は田舎道をゆっくり歩きながら、
都会で汚れた心を癒していく。
とても贅沢な時間が流れていた。
「おーい、おーい」
香織が自分に向けられたその声の方に振り返えると、
勇太の姿を見て驚いた。
「どうしたの?君、なんでバスを降りたの?」
「これ、忘れてたでしょ」
勇太は香織が置き忘れていた紙袋を差し出した。
気の毒そうに受け取る香織。
「わざわざ届けてくれたの?
これ、お婆ちゃんへのお土産だったんだ……ありがとう」
走り疲れた勇太は、その場にへたり込んで自己紹介をした。
「へへ、僕、黒木勇太」
「私、立花香織」
「じゃあ、僕はこれで帰るよ。次のバスって何時かな?」
香織は、医師が患者に病名を告知するような真剣な顔で、
「今のが最終だったの。……もう明日までないの」
固まる勇太。
空は赤く、カラスが鳴きながら夕日を横切っていった。




