錬金術師の師匠として
その晩、トウルは寝付くことが出来ず、錬金炉の前で腕を組みながら立っていた。
リーファの笑顔と言葉が頭をちらついて、どうしても眠ることが出来なかったのだ。
「錬金術で人を笑顔にか……」
トウルはリーファの言った言葉を呟くと、机に紙と製図用具を広げた。
作りたい物は決まっていたし、鉱物材料は持ってきた荷物の中に入っている。
問題はどういうデザインにするかだ。
「ダメだ……考えてみれば、自分から贈り物のデザインを考えたこと無かった。どんな物を作ればあいつは喜ぶんだ?」
ペンが全く走らなかったトウルはため息をつきながら、天井を仰いだ。
気付けば一時間近く悩み続けている。
アイデアに詰まれば、嫌な事も思い出してくる。
研究室に籠もって開発をしているだけでは、気付かないことが山ほどある。それが分からないのなら、君はまだまだ無能だ。出て行きたまえ。という狸上司の言葉と、冷たい表情が頭の中に蘇ったトウルは頭を思いっきり横に振った。
「何故だ……何故素材や錬成式はとっくに思いついているのに、手が動かない。銀を使うことは決まっているんだが……」
「とーさん?」
リーファの声にトウルが振り向くと、リーファは目をこすりながら部屋に入ってきた。
「うぉっ!? あぁ、リーファか。どうした?」
「といれ。とーさんはまだ寝ないの?」
「あぁ、すぐ寝るよ。……なぁ、リーファ」
「なに?」
「いや、なんでもない。おやすみ」
トウルは喉まで出かかった言葉を無理矢理飲み込んだ。
トウルの錬金術師としてのプライドが許さなかったのだ。
形ある物ならば自由自在に作り出せる錬金術を修めながら、子供の喜ぶ物一つ作れないとは話しにならない。
「錬金術師になったら、ここにいても良いか? なんて子供の言うことじゃないよな。あぁ……そっか。錬金術師か。俺は錬金術師でリーファは錬金術師を目指すんだよな」
トウルはようやくデザインを決めると、大急ぎで設計図を描き始めた。
先ほどまでの苛立ちや不満が嘘のように消えて無くなり、ペンが流れるように動く。
それが楽しくて仕方が無いトウルは、真夜中に声を出して笑い始めた。
「あははっ! そうだ! これだよ! 見てろよリーファ。これが錬金術だ!」
○
翌日、トウルはリーファの作った朝食を食べ終えると、リーファに錬金炉の部屋に来るよう伝えた。
そして、当のトウルはポケットに手を突っ込んでソワソワしながら、錬金炉の前でリーファを待っていた。
ほぼ徹夜しているのに、頭はやけに冴えている。
「とーさん。どうしたの?」
「昨日作ったクッキーを十人分錬成出来るか?」
「いいの?」
「あぁ。薬の錬成は既に済ませた。だから、気楽にやってみてくれ」
「うん!」
リーファは椅子の上に飛び乗り、ペンを握った。
滑らかに動くリーファの手は熟練の錬金術師のようで、書き込まれていく錬金術式も正確だった。
絵も文字の書き方も、トウルの癖が現れている。
「できたー! 後は材料を入れて。えーい!」
リーファが最後に元気いっぱいに手を錬金炉に叩きつけると、がたがたと錬金炉が揺れ初め、白い湯気が吐き出され始めた。
トウルが見た限り、流れは完璧だ。
「まだかなー。まだかなー?」
錬金炉の前で頭を左右に揺らすのさえ無ければ、立派な錬金術師に見えるのにと、トウルは苦笑いした。
こんなにも楽しそうに錬金術をしている人を見たのも久しぶりだ。
中央ではみんながみんなライバルで、いかに他人より結果を早く出すかが重要だった。
そして、結果が出ても狸上司が無愛想な表情で報告書に判子を押すだけだ。
そんな中央の錬金術師に比べて、リーファは錬金術師として誰よりも純粋であるように見えた。
その純粋さをトウルは羨ましく、まぶしく、そして懐かしさを感じた。
「できたー!」
「どれどれ。ふむ。B級か。追加効果は、へぇ、とろける甘さ、甘い香りを引き出したか。魔力微回復までついてるな」
「リーファ失敗したの?」
「いや、成功だ。ただ、改良の余地があるって所だな。素材を厳選して、量をもっと厳密に調整すればもっと良くなるってことだ。リーファはまだまだこれから沢山すごい物を作れる」
「えへへー。よかった。とーさんも一個食べる?」
リーファは炉の中からコーヒークリームクッキーを一枚取り出すと、トウルの前に差し出した。
「昨日ちゃんと眠れてなかったみたいだから、これ食べて元気出して」
「あぁ、そっか。ありがとな。って、良く気付いたな?」
「目の下ちょっとクマが出来てるよ?」
「あぁ、なるほど」
リーファの言葉に納得したトウルが彼女の作ったクッキーを口に含むと、昨日と同じ優しい甘さが口の中に広がった。
これなら十分売り物になる。
その確信を得たトウルは、ポケットの中から七色に輝く宝石のあしらわれた髪留めを取りだした。
「リーファ。今日のクッキーの代金だ」
「うわぁー! きれいな石。すごいよ。色が変わる。虹みたい。とーさんこれ何?」
リーファが髪留めの石を掲げて、興奮したようにくるくる回って飛び跳ねている。
「錬金術師の見習いが錬金術師認定試験で作る賢者の石。普通の物質ではあり得ない輝きを放つ宝石で、万能の素材に変化する」
「お菓子も作れるの?」
「もったいない使い方だけど、砂糖や果物の代わりにもなる。これから沢山勉強して、この賢者の石が作れるようになったら、リーファは立派な錬金術師になれる。やれそうか?」
「うん。リーファ立派な錬金術師になれるようがんばるね。とーさんありがとう!」
リーファは前髪を早速留めると、満面の笑顔でトウルに抱きついてきた。
胸が温かいのは、リーファが抱きついているからだけではない。
誰かのために頑張って、その人が喜んでくれる嬉しさを、トウルは久しぶりに思い出した。
リーファの笑顔が頭から離れなくて、感謝の言葉で疲れも何もかも忘れてしまいそうになっている。
(あぁ……そっか……俺も最初はこんな風に、自分の作った物で誰かを笑顔にしてみせたかったんだ……)
トウルの目から涙が一粒こぼれると、トウルはリーファに見られないように慌てて目元をこすった。
またさっきのような暖かい気持ちを味わえるのなら、子守の一つぐらいしてみようという気に、トウルはこの時ようやくなれた。
そして、次はどんな風に感謝して貰おうかとトウルが考えていた時には、トウルの顔が嬉しそうに緩んでいた。
「さぁて、リーファ。工房の開店時間だ。お客がいない間は錬金術を教えてやる。俺の弟子になるんだ。そこらへんの錬金術師より立派な錬金術師にしてやる」
「はーいっ! 今日も笑って頑張ろう。とーさん」
リーファの一言で始まったこの日の営業は、リーファがとにかく大人気だった。
店で勉強をするリーファを見かける度に、クッキーの感想を伝えてくるのだ。
どうやらクーデリアとミスティラが二日酔いの薬を配達するついでに、リーファのクッキーを配ったおかげで評判が広まったらしい。
そのおかげでジライル村長までもやってきて、二日酔いの薬とクッキーを求めてきた。
「トウル様、昨日は二日酔いの薬助かりましたよ。うちに常備しようかと思って買いに来てしまいました。それと、例のクッキーはまだありますか?」
「皆さんお酒が本当に好きなんですね。かなりの人が買っていきましたよ。リーファのクッキーは十人分ぐらいで十分かと思ったら、一瞬で売り切れました。遅かったですね村長」
「ハハハ。それはまいりましたね。鉱山での仕事は体力勝負だから、鉱員に配ってやりたかったのですが」
村長が困ったように笑うと、リーファは本をぱたんと閉じて、トウルの袖を引っ張った。
「ねー、とーさん。今からつくってきていい?」
「勉強をおろそかにしてまで作って欲しくはない。リーファはまだ見習いなんだから」
「……分かった。じーさんごめんなさい。リーファお勉強しないといけないから、つくってあげられない」
村長のためにクッキーを作れないことをトウルが告げると、リーファは目に見えてしょんぼりとしてしまった。
(そんな顔されると困るんだけどなぁ……)
トウルは意地悪で言っているつもりは全く無かった。ここで許可してしまうと、リーファのことだから誰に対しても、求められたらクッキーを錬成してしまう。
そのせいで、レシピや文字を覚える時間が減ってしまうのは、リーファにとってもったいないとトウルは考えていた。
でも、誰かのために頑張ろうとするリーファの心意気と優しさを無碍には出来ない。
「ただし。昼休みと午後三時のおやつの時間になら、錬成しても良いぞ。……俺も一緒にみてやるから」
「うんっ! じーさん、お昼にまた来て! リーファたくさん作って待ってるから!」
気恥ずかしさでトウルがそっぽを向きながら許可を出すと、リーファは一転顔を輝かせた。
本当にリーファは村の人達が好きなのだろう。
「ガハハ! そいつは楽しみだ! そういえば、リーファ。その綺麗な髪飾りはどうしたんだ?」
「とーさんに貰ったの。一人前の錬金術師の証だって」
「そうかそうか! がんばって一人前の錬金術師になるんだぞ!」
「うん! じーさんもがんばって!」
「ガハハ! その応援が貰えただけで来たかいがあったわい! またくるよ」
事情を知っているトウルから見ても、村長とリーファのやりとりは祖父と孫のようだ。
ごつい手でリーファの頭を豪快に撫でる村長に、リーファは本当に楽しそうにはしゃいでいる。
確かにここまで仲良くしていたら、村長もリーファを孤児院にも預け辛いだろう。
客足も遠のいて一段落ついたところで、トウルはぽつりとリーファに問いかけた。
「リーファはじーさんのこと好きか?」
「うん。大好きだよ。村の人はみんな好き。とーさんも好き」
「そ、そうか。うん。それは、よかったな」
「とーさん顔が赤いよー」
「う、うるさいっ。よし、今度はこの文を読んでみろ」
「はーい」
直球で好意の言葉をぶつけられたトウルは、どうして良いか分からなくて、冷たい態度を取ってしまった。
(しまった……。つい声を荒げてしまった……。大丈夫か?)
つい言い過ぎたとトウルがそっとリーファの方を盗み見ると、リーファの髪飾りがキラキラと瞬いていた。
左右にゆらゆらと頭を揺らしながら、本を読んでいるリーファは、楽しそうに鼻歌を歌っている。
特に傷ついた様子は見えなくて、トウルは少しホッとして、彼女の鼻歌に耳を傾けた。
「ごーせいー、ぶんかーい、さいこーちく、ちゅーしゅつ、ざんりゅー、あっしゅく」
錬金術の基礎工程をまとめた文章を、歌っているらしい。
意味が分かっている気配がしないことに、トウルは苦笑いを浮かべた。
「リーファ意味分かって歌ってる?」
「うん。ごーせいは塩とかお砂糖で味を足すのと同じでしょ。ぶんかいは包丁で切るんだよねー」
「違うと言おうと思ったが……。適当に思えて大体あってるのがすごいな」
「えへへー。錬金術式って一杯種類あるんだねー。とーさんは全部覚えてて凄いね」
「そりゃ、国家錬金術師だからな。まっ、俺の弟子になったんだ。リーファもこの調子ならすぐに覚えられるさ。よし、次の問題を解いて見ろ」
リーファは照れているのか頬を赤くして笑っている。
素直に憧れてくれる眼差しでトウルも顔を赤くすると、ふんと鼻を鳴らしながら腕を組んだ。
素直に憧れを受け止められないトウルだったが、弟子を取るのも意外と楽な物だと思い始めていた。
それに自分の知識をどんどん吸収してくれて、感謝してくれるリーファのことが、面白くて仕方がなかった。
「とーさん、錬金術って面白いね!」
「そうだな……錬金術って面白い物だったんだよな……」
「とーさん?」
「何でも無い。ほら、次はこれを読んで見ろ」
ここに来たのも悪くないな。とトウルはこの時ようやく思えたのだ。
でも、問題はいつだって突然やってくる。左遷を告げられた時もそうだった。
食事の仕度をすると言って、店の奥に消えてしまったリーファがなかなかトウルを呼びに戻ってこなかった。