星海列車TLR一号
その日の深夜、日も昇っていない時間にトウルはリーファを起こさないように部屋を出た。
レベッカはダイヤを乱さないように、列車が走っていない時間に出発する必要がある。
トウルは彼女を見送るために、深夜に目を起きたのだった。
トウルが一階で待っていると、荷物をまとめたレベッカが降りてきた。
「レベッカ。さっきは悪かった。気が動転していたとは言え、失礼をした」
「あ、先輩気にしないで下さい。私の仕事はおかげで大きく進んだので。開発局に投げ返されなければ、五年くらいですよ。きっと」
レベッカは素っ気なく答えると、何食わぬ顔で髪をかきあげた。
「レベッカの方こそ気にしないでくれ。リーファの件については何とかするさ。アテはあるし」
「さすが先輩。転んでもタダでは起きないですね。気遣いは不要でしたか」
レベッカは胸をなで下ろすと、少し嬉しそうな笑顔を見せた。
変な気遣いをさせるほど、かなりの心配をかけていたらしい。
「ありがとう。近い内にリーファを連れて、中央に遊びにいくよ」
「楽しみに待ってます。先輩。あ、後、言い損ねちゃいましたけど、デート楽しかったです。またデートしましょう」
トウルは高鳴る鼓動を抑えるために、一度大きく深呼吸をした。
素直にぶつけられる好意がここまで恥ずかしいものだとは思わなかった。
「あぁ、俺も楽しめた。駅まで送るよ」
「よろしくお願いします先輩」
ランタンを持って駅までレベッカを案内する間、レベッカは静かに空を見上げていた。
お喋りなレベッカが珍しく黙っていることに、トウルはちょっとした疑問を感じた。
「良いとこですね。先輩が離れたくないのも分かります」
「あぁ」
「どれだけ力になれるかは分からないですけど、鉄道局との折衝もがんばってみますね。いざとなれば、リーファちゃんをエサにカイト様を釣って鉄道局に圧力を……」
「ありがとう。レベッカに会えて本当に良かった。さすがに王子様を使って圧力はやり過ぎだとも思うけどな」
「どういたしましてー。これでちょっとは惚れ直しました?」
「あぁ、最高の後輩だ」
「がくっ! 先輩のバカー!」
トウルの回答にレベッカはわざとらしい擬音を口にして、転んだフリをした。
(ごめん。レベッカ。ちゃんと心を決めたら、俺から言うから)
トウルはレベッカの姿を見て、心の中で手を合わせて謝った。
○
レベッカは中央に戻り、リーファは学校に行っている。
工房にいるのはトウル一人だけ。
ただ、今日のトウルは完全に開発局時代に戻っていた。
「ふははは! あははは! やっべぇ! おもしれえ! 手が止まらねぇ!」
いや、開発局時代以上に自分のアイデアに熱狂している。
バラバラに部品を作っていき、出来た部品をトウルは庭に運び出していった。
朝から作っては組み立てていった機体は、車輪の無い機関車のようだった。
ただ、パーツはかなり簡易化されているし、車体も軽量化された金属のみを使っている。
車輪の代わりに取り付けられたのは、線路とかみ合いそうな凹んだ金属のパーツだった。
車体の下にはレベッカと作った放魔炉が二つ前と後ろに取り付けられており、車両後部に取り付けられた傘状の充填機構が繋がっている。
「くくく……時間は三時か。今から行けば十分間に合うな」
トウルは笑いをこらえきれずに運転席に乗り込むと、放魔炉の出力をゆっくり上げた。
すると、トウルの周りの景色が少し下に下がった。
「浮いた! よっし、いけええええ!」
調子に乗ったトウルはさらに出力を上昇させると、車体はまるで滑るように空を走り始めた。
「ふははは! 成功だ! 大成功だ!」
トウルの前には半透明に輝く線路が現れ、列車の行く先を決めてくれている。
そして、車体を激流が押しているかのように、車体の周りには輝く波が見えていた。
トウルが運転席に設置されている制御棒を左に倒すと、目の前の線路が左にまがり、右に倒すと右に曲がるように線路が現れた。
「曲がるのにちょっとタイムラグが出るけど、それぐらいは些細なことだな。よし、このまま速度を上げてっ!」
竜をも超える速さにトウルは興奮しっぱなしだった。
トンネルを掘った山もあっという間に通り過ぎ、眼下に隣の村が広がっていく。
カシマシキ村の十倍くらいはありそうな村の規模に、トウルは驚きを隠し得なかった。
そして、速度を少し下げると、隣村の上空で円を描くように走り、リーファの通う学校を探した。
「あ、あった!」
トウルは線路を下り坂になるように傾け、ゆっくり学校の敷地へと向かって降下を始めた。
そして、校庭に子供達が現れたのを、トウルは目視すると汽笛を鳴らす。
子供達は汽笛の音にキョロキョロと周りを見渡すと、リーファが空を指さした。
「空を列車が飛んでるの!」
「ホントだ!?」
トウルが窓を開けると、子供達の声が耳に届いた。
そして、校庭で列車を停止させると窓から身を乗り出して、親指を立てた。
「リーファ、ライエ、乗ってけ!」
トウルは最高の笑顔と子供のように明るい声で客室の扉を開け、二人の名前を呼んだ。
トウルの登場に静まり帰った生徒達の中から、リーファとライエが飛び出してきた。
「やっぱりお父さんだ! なにこれどうやって作ったのー!?」
「トウル師匠!? 何作ってるんですか!? え!? 飛んでましたよね!? その列車空飛んでましたよね!?」
リーファは目を輝かせて車両を見つめていて、ライエは信じられない物を見ているかのように、目を白黒させていた。
「さっき作った! 速度はまだ調整中だけど、結構出るから蒸気機関車よりは速いぞ。帰るぜリーファ!」
予想以上に喜んでいるリーファを見て、トウルは楽しくて仕方が無くなった。
今すぐリーファを連れて、運転したくてたまらなくなっている。
リーファも待ちきれないのか、ライエの手をつないで列車に飛び乗ってきた。
「はーい! らーちゃん乗ろー」
「って、心の準備が!? りっちゃん待ってー!?」
トウルは二人が乗り込んだのを確認すると、客室の扉を閉めた。
「出発進行!」
汽笛を鳴らすと、空を登るレールが現れ、車両が前方へと揺れも無く滑り始めた。
あっという間に校舎の屋根を越えて、一番高い村の時計塔も超えていく。
村を一望出来る特等席でリーファとライエは楽しそうにはしゃいでいた。
「見て見てらーちゃん。みんながあんな小さくなってるー!」
「りっちゃん空飛んでることに驚かないの!?」
「うん。だって、お父さんだもん。それに、リーファも空飛ぶ道具作ったから」
「えー……錬金術師ってすごいなぁ。私もこんな風にいつか作れるようになりたいなぁ」
「うん。一緒になろうよ錬金術師! 学校卒業したら一緒に中央で勉強しよー」
「うん。りっちゃんと一緒の学校行けるよう頑張るね」
リーファとライエの会話を聞いていたトウルの笑顔の質が変わった。
新しい玩具で遊ぶ子供のような顔から、暖かく子供達を見守る顔になっている。
「リーファ、ライエ。今から山を越えるぞ。よーく下を見て村を眺めていけ」
トウルは敢えて列車の線路の上を通って走った。
トンネルで見えなかった山の景色が上からならよく見える。
青々と茂る木々に側を流れる川、魔物や動物などが観察出来た。
「あっ、ドラゴンだ!」
「ホントだ。子供もいるー」
人里に降りて来ないのはクーデリア達保安員が頑張っているからだろう。
そして、あっという間にいくつかの山を越えて、眼下にカシマシキ村が広がった。
雪対策として三角形に形取られた屋根の建物がぽつりぽつりと建ち並んでいる。
駅の周りは家が多い物の、少し離れると一気に建物は減り、かわりに牛や羊が歩いていた。
そして、少し離れた川沿いの場所にトウルの工房がある。
別の山の方へと目を向けると、鉱山開発のためか山に穴が空いていたり、トロッコが置いてあった。
「あ、あれ、じーさんのお家だ。らーちゃんのお家どこ?」
「えっとね。あっ、あった。あそこー」
いつのまにかライエも空の散歩にも慣れたのか、リーファと同じように窓に張り付いている。
「そろそろ着陸するぞー。ちゃんと座ってろー」
「はーい」
そして、トウル達の乗る列車は驚きの表情を浮かべる村の人に指さされながら、ゆっくりと工房に向かって降りていった。
無事に工房前に定着した車両からトウルが運転席から飛び降りると、客席から飛び降りたリーファと抱き合った。
「リーファ! やったぞ大成功だ!」
「あはは。お父さんすごいね! これどうやって作ったの!? すごいがんばったんだよね?」
「リーファのおかげでだよ。リーファが学校行くって言って、色々俺と一緒にやってくれたから作れたんだ」
「えへへー。なんかよくわかんないけど、褒められたー」
トウルはリーファを抱きかかえたまま、ライエにも手を伸ばした。
「ありがとう。ライエ。君のおかげでもあるよ」
「え? 私なんかしましたっけ?」
「あぁ、ライエがいてくれた。それだけで、俺とリーファはすごく助かったんだ」
「えっと、あはは。そう言われると照れちゃいますね」
ライエの頭をトウルが撫でると、ライエは照れくさそうに真っ赤になった頬をかいていた。
全てが上手く行っているとトウルは思っていた。
錬金術師では手が出せない鉄道局の試験を待つ必要は無い。
理論通りに車両は空を走っている。
さらなる改良のための時間はまだ最低でも二、三年は残っている。
気を良くしたトウルは車体に手をつきながら、リーファとライエに解説を始めた。
「レールに魔力を流して、レールから動力を得るという発想が最初の鍵だったんだ。魔力は空気中のエーテルの流れ。充填装置もエーテルを効率良く取り込み変換するためのもの。なら、もう直接エーテルの流れに乗れば良いって思ったんだ。昨日リーファとお風呂に入ってて、流されていくタオルを見てそう思った」
「でも、どうやって流れを作るの?」
「リーファの空飛べ袋って圧縮した空気を噴射して、最後に方向調整してただろ? あれを真似したんだ。充填装置で集めたエーテルを放魔炉で一定方向にだけ噴射する。んで、生まれた流れに乗って前に進むんだ。そして、速度を出すために車体もかなり軽量化した」
「あ、飛んでたんじゃなくて、飛ばされてたんだね?」
「そういうことになるな。格好良く飛ばされていたんだ」
身も蓋も無いがリーファの答えは大正解だった。
エーテルの川を作り出して、その川に乗って下っているだけとも言える。
そうこう解説をしていると、村人が工房に集まってきた。
皆口々に驚きの言葉を発しながら車両を舐めるように見ている。
「はー、さすがトウルさんだな」
「いやはや、錬金術師様は何でも作りますわねぇ」
驚きと感嘆の声が所々から漏れる。
そして、村の人達に遅れて二人の少女が走りながらやってきた。
「はぁ……はぁ……。クーデ……走るのが……速いわよ……。やっぱりトウル様の道具でしたか」
「トウルさんこれ何!?」
走ったせいか顔面蒼白なミスティラと、車両に目を輝かせているクーデリアがトウルの目の前にやってきた。
「空飛ぶ列車。名前まだ決めてないんだよなぁ。あ、どうせだったら一緒に考えてくれよ」
トウルはニカッと笑いながら車両を指さすと、二人の少女は顔を見合わせて頷いた。
「良いですけど、トウル様。分かっていますよね?」
「そうだよー。正式な依頼には正当な対価だよートウルさん?」
いつものように晩ご飯をおごれという意味で捉えたトウルは、呆れたように頷いた。
「いいよ。今日は何食べようか?」
「トウル様、何を言ってるんですか? あ、でもちゃんと聞きましたからね? 今日もごちそうになりますわ」
「え? ご飯おごれってことじゃなくて? って、違ったのに、さらっと決定事項になってる!?」
いつものようにミスティラに振り回されつつ、トウルはあることに気がつくとポンと手を打った。
考えてみれば、いっつも一緒に遊んでいるんだ。
最高の遊び道具が目の前にあったら、どうしたいかなんか決まっていた。
「二人も乗ってくか?」
友達を誘うかのような感覚でトウルが尋ねる。
「ふふ、その御言葉を待っていましたよ」
「さっすがトウルさん! 話が分かるね!」
トウルの回答が満点だったと言わんばかりに、ミスティラとクーデリアがトウルの腕に抱きついた。
名前がすぐには決まらなかったが、夜の試験飛行をしたらすぐに決まった。
夜空を走って決めた名前、星海列車TLR一号。
エーテルを集めて走る姿が、天の川の上を走る姿をイメージさせるというミスティラの案と、トウルがどうしても入れたいと言っていたTLRの型番を組み合わせた物だった。
TLRの型番は星海列車を作った三人の錬金術師の頭文字からだということは、クーデリアもミスティラもすぐに気がついた。