壁の傷
一緒に身体を拭いて寝間着に着替えると、トウルはバスタオル片手に椅子の上に座った。
そして、膝をポンポンと叩いてリーファを呼んだ。
「ほら、ここ座って。髪ふくから」
「はーい」
トウルの膝の上に座ったリーファは、大人しくトウルの手になされるがまま左右に頭を揺らした。
「らーちゃんも、お父さんかお母さんに髪の毛拭いて貰ってるのかなー?」
「だと思うよ」
「だといいなー。なんかね。らーちゃんがお父さん大好きなんだねーって言った時、ちょっと寂しそうだったから」
「そうなのか?」
「うん」
トウルには気がつかなかった変化を、リーファは敏感に感じ取ったらしい。
トウルなりに色々可能性を考えてみると、とある一つの仮説に辿りついた。
「もしかして、弟か妹がいるのかもな」
「そうなの?」
「分かんないけど、妹か弟がいたら、ご両親がそっちに気を遣うってこともありそうだし。甘えたくても甘えられないし、自分でやらないといけないこと増えそうだなってさ」
兄弟はいなかったトウルだったが、従姉妹はいたのでその記憶を一生懸命引っ張り出して説明してみた。
「リーファも妹が出来たら抱っこされちゃだめ?」
リーファの反応に、色々な意味で衝撃を受けたトウルはたまらず咳き込んだ。
「どうしたのお父さん?」
「ちょっとむせただけ。そうだな。甘えても良いと思うよ。大人だって甘えたい時があるんだ。子供だったら当然だよ。ちょっと我慢はしてもらう時間があるかも知れないけど、時間が出来たら絶対に甘えさせてあげる」
「そっかー。なら、リーファに妹が出来ても、お父さんはお父さんなんだね?」
「あぁ、もちろん」
子供の無邪気な質問は怖いなぁ。とトウルは苦笑いしながら頷いた。
妹の作り方を教えて。とリーファにいつ聞かれるのか。トウルは彼女の質問にドキドキしながら、リーファの髪を拭き続けた。
そして、髪も拭き終わりトウルがホッとしていると、リーファが少し困ったような表情でトウルを見上げてきた。
「あのね……お父さん」
リーファの声に元気がない。風邪でもひいてしまったのだろうかと、トウルが心配する。
「うん? どうした? どこか痛いか?」
「何か最近歯がかゆくて、ぐらぐらするのー。歯磨きする時に落ちちゃわないかなー」
「なにっ!? 大丈夫かリーファ!?」
リーファから予想外の言葉を投げかけられて、トウルはメチャクチャ動揺しながらリーファの肩に手をおいた。
「ちょっと見せてみろ。ほら、あーんして」
「あーん」
リーファが口を開けると、小さな白い歯が綺麗に並んでいた。
虫歯や歯肉炎を発症している様子もない。
となると、考えられるのは一つしかない。
「リーファ、ぐらぐらする歯ってどれだ?」
「これー」
リーファが指さしたのは小さな前歯で、トウルの歯と比べると一回り小さく見える。
トウルはリーファの肩から手を降ろす代わりに、リーファの頭に手を乗せた。
「リーファ、歯が抜けたらご飯食べる時どうしよ……」
「大丈夫。リーファの歯は子供の歯から大人の歯に変わろうとしてるんだ」
「大人の歯?」
リーファが不思議そうな表情でトウルの歯を見つめてきている。
トウルは歯を見せながら笑うと、リーファの前にしゃがんだ。
「あぁ、俺やクーデやミリィと同じ。大きくなった大人の歯だ。だから、あんまり触らずに放っておけばいいよ。気付いたら落ちてくるから」
「リーファ、病気じゃないの?」
「あぁ、俺もなった。一気に前歯が二つ取れちゃってさ。すげー変な感じだったよ。ご飯食べるときちょっと大変だった気がする」
「へー。そうなんだ。そっかー。お父さんと一緒の歯になるんだ」
リーファは興味津々な眼差しで、トウルの歯をのぞいてきた。
トウルもリーファの歯を見て目尻を下げる。
(本当に成長してるんだなぁ。あ、そうだ)
トウルはとあることを思いついて、周りを見渡しながらペンを手に取った。
「リーファ、ちょっとついてきて」
「どうしたの?」
トウルは階段の前にリーファを連れてくると、壁にピッタリと背中をつけた。
「お父さん何してるの?」
「記録」
トウルは自分の頭の上にペンを乗せて横に筆先をスライドさせた。
壁に記された一本の筋に、リーファは首を傾ける。
「リーファの成長を記録しようと思ってさ。リーファは今の俺にどこまで近づけるかな?」
「リーファの背もはかってー!」
トウルの意図を理解したリーファが壁にピッタリ背中をつけて、背伸びしながらトウルを呼ぶ。
「こら、背伸びは反則だぞー」
「えー。リーファはやくお父さんみたいに大人になりたいー」
子供っぽく頬を膨らませるリーファの顔がおかしくて、トウルは小さく噴きだした。
子供は親に似ると言うのだろうか。
似たようなことをトウルも小さい時に言っていた気がした。
「まだ大人の歯にもなってないのにかー?」
「むー、お父さんのいじわるー。すぐ大人の歯になるもん!」
拗ねるリーファもかわいくて、トウルはついついリーファをからかってしまった。
こんな風に言い返せるようになったのも、リーファにとっては立派な成長だと、トウルは笑った。
今のリーファは大人の顔色をうかがわずに、自分の感情のままに動いているように見えた。
「リーファはゆっくり大人になれば良い。俺は色々出来なかったから、リーファは思いっきり楽しんで欲しいんだ」
「そうなの?」
トウルの言葉でリーファは大人しく背伸びを止めて、壁に背中を預けた。
そんなリーファの頭の上にペンを乗せてトウルが、線を一本横に引く。
「うん。今、リーファのおかげで色々やり直せているけどな。よし、後は今日の日付を入れてっと」
「よーっし、リーファ大きくなってお父さんを抜かしちゃうぞー」
「はは。俺は簡単には負けないぞ。なんたって俺は、俺のお父さんを抜いたからなー」
「お父さんのお父さんを抜いたの? おー、さすがお父さん。負けず嫌いー」
どこでそんな言葉を覚えてきたのかと、トウルはリーファの言葉に苦笑いした。
楽しい気持ちでトウルが日付を記入すると、あることにふと気がついた。
どうして今まで聞くのを忘れていたのだろうかと、トウルは頭をかいた。
「リーファの誕生日っていつ?」
「十二月の十二日だよー。お父さんは?」
「八月の十五日だ。二人とも当分先だな」
「お父さんの誕生日はリーファがプレゼント作ってあげるねー」
「ありがとう。リーファのプレゼント楽しみに待ってるよ」
歳を重ねるにつれて上がっていくリーファの身長記録が、一段と楽しみになるトウルだった。
そして、トウルはさりげなく七歳と日付の横に書き込んだ。




