村の歓迎会
「あっ! トウルさんの歓迎会があるから、宿屋に来てって伝えに来たんだ! って、もうこんな時間だし、一緒にいこうよトウルさん」
クーデリアは軽いノリで手をポンと叩きながら、彼女達が来た目的を口にした。
たったそれだけのことを伝えにきただけなのに、ここまでドタバタされて部屋を汚されたのかと、トウルは頭を手で押さえた。
同時にお腹の音が鳴り、かなりの空腹感がトウルに襲いかかってくる。
騒ぎが収まって気が抜けたせいだろうか。色々な疲れも一気に襲ってきた。
「あぁ……そう言えば、何も食ってなかったな。リーファから貰ったミルクだけしか飲んで……ないや……」
「うわっ!? ちょっとトウルさん大丈夫!? 起きて! 起きてええええ!」
トウルが力尽きてその場に倒れると、トウルの身体はクーデリアに抱かれ、耳元で騒ぐ声が遠い意識で聞こえていた。
「とーさん! 起きてよとーさん!」
「クーデ。リーファ。落ち着いて。とりあえず、ここに食事はないし、急いで宿屋に運ぶよ」
リーファの泣き声と、ミスティラの落ち着いた声を最後に、トウルの意識は途絶えた。
○
トウルは自分の身体がやけに暖まっていることに気がつき、目を開けた。
「とーさんが目を覚ました!」
目の前には、涙を必死にこらえているような顔をしたリーファが映っている。
工房の製図室にいたはずなのに、トウルはいつの間にかベッドの上にいた。
「あれ? 俺は何でベッドに?」
「この私、クーデリアが空腹で倒れたトウルさんを、宿屋まで運んだんだよー。それで宿屋に置いてあった気付け薬を使ったら目を覚ましたの。覚えてない?」
「そうだったのか。すまないクーデリア」
クーデリアが無い胸を張って、どうだと言わんばかりの顔をしている。
トウルは疲れた様子でフラフラと身体を起こして謝罪すると、またお腹の虫の音が部屋中に鳴り響いて、またベッドの上に倒れ込んだ。
「あ、あのトウルさん。ちなみにどれだけご飯食べてないの?」
先ほどまで勝ち誇った顔をしていたクーデリアが、心配そうにトウルの顔をのぞき込んでくる。
そこまで酷い音だったのだろう。
「お腹空いた気がしなかったから、三日間くらい食べてなかったかもな……」
「三日って……トウルさん何があったのさ?」
「あぁ、狸上司に左遷――って、すまん。何でも無い。ちょっと研究に没頭し過ぎただけだ……」
トウルは咄嗟に言葉を引っ込めて、首を横に振った。
自分より歳下の子達が年上である自分の心配をしてくれているだけで、情けなさを感じているのに、自分の境遇に同情までされたり、バカにされたら泣き出しかねない。
「そっか。研究に没頭し過ぎたのかー。おっちょこちょいな錬金術師さんだね。トウルさんは。ね、ミリィ?」
「えぇ、そうですね。そんなことを言われたら、いじめたくなっちゃいます。でも、これからはリーファと一緒に暮らすのですし、リーファのことも考えてちゃんと食事は取って下さいよ?」
「そうそう。腹が減っては戦ができぬ。ならぬ腹が減っては研究もできぬ。だよ。錬金術師さん」
二人の言葉でトウルは小さく自嘲気味に笑った。
気を遣わせないよう誤魔化したことで逆に気を遣われるとは、大人としてより情けなさを感じてしまう。
でも、同時にトウルは少し嬉しさを感じていた。中央で弱みを見せたらつけ込まれるのに、彼女達は触れずに見逃してくれた。
トウルは長いため息をつきながらもう一度起き上がると、心配そうな表情を浮かべたリーファがトウルの手を握った。
「とーさん。ご飯食べよ!」
「だな。三日間飲まず食わずだったんだ! 思いっきり食ってやる!」
「おー! じーさん達もみんな下で待ってるよ!」
腹が減りすぎて正常な判断が出来なかったトウルは、リーファの言葉の意味を完全に理解していなかった。
村長一家が来るぐらいだろうと思っていたし、普通に食事を取るぐらいだと思っていた。
「みんな錬金術師様が来たぞ! 拍手だ拍手!」
村長の大声がレストランホールに響き渡る。
店内に五十人くらいは入っているだろうか。男達は既にできあがっているのか、顔を真っ赤にしながらビールの入った木製コップを掲げている。
「え? 村長なんですかこれ?」
「何ってトウル様の歓迎式に決まっているじゃないか。ほらほらトウル様も座った座った!」
「え、ちょっ! 冷たっ! ビールこぼしてますって村長!」
村長に押されてトウルが席に着くと、ウェイターの青年がビールの入ったコップを置いた。
「ささ、トウル様、乾杯の音頭だ!」
「あの俺さっき起きたばっかで」
「みんな乾杯じゃあああ!」
村長はトウルの言葉を無視して、トウルの手を取ってかかげると、乾杯の音頭をとっていた。
酒場内に割れんばかりの乾杯の声が響き、男達も女達も呼応するように乾杯を連呼している。
「とーさん。食べ物持ってきた」
「リーファ……助かった」
今飲んだら間違い無く倒れる。とトウルが思っていた矢先、リーファが助け船を出してくれた。
焼いた鶏肉と酢漬けにされた野菜、そして、蒸したジャガイモが皿にのせられている。
「うまいな……」
鶏肉は歯を入れた瞬間、皮がパリッと弾け、中から肉汁があふれ出した。
香草の香りが鼻を抜け、口いっぱいに幸せがあふれていく。
自然と笑顔になるような味だった。
「でしょー。よかった。とーさんも嬉しそうに笑うんだね」
「あれ、俺。笑ってなかったか?」
「うん。楽しそうに笑ってるのは見てないよ? じーさんが言ったんだ。どんなに辛くても笑ってれば良いことあるよーって。だから、とーさんもきっと良いことあるよ」
リーファにまで心配されていたとは、どれだけ暗い顔をしていたのだろうか。
トウルは何も言えなくなって、無心で食べ物に食らいついた。
「良い食いっぷりだトウル様! 今夜は無礼講だ! さぁ、皆の衆! 食って飲んで踊って笑えー!」
「わっはっはー。とーさんも食って飲んで踊って笑えー!」
村長の真似をしたリーファがトウルの周りで飛び跳ねている。
それに釣られた村長や村民も一緒に飛び跳ねて踊り出した。
「愉快な人達でしょ?」
クーデリアが誇らしげな表情で近づいてくると、トウルに声をかけてきた。
隣にはミスティラもいる。
「やっぱ中央じゃこの馬鹿騒ぎは味わえないよね。去年私達が中央から戻ってきた時も、こんな感じで馬鹿騒ぎしたんだよ」
「ホントにみんな明るいな」
「そうだよー。暗い顔しているのはトウルさんだけだよ?」
「人を根暗みたいに言うな……。でも、まぁ、確かに初めてかもな。中央の研究所ではこんな風に集まって馬鹿騒ぎなんかしたことなかったし」
楽しそうに語るクーデリアにトウルは耳を貸しながら、酒場を見渡していた。
皆が盛り上がっているのを見ていると、不思議な場違い感を感じてしまう。
「トウル様はこの雰囲気苦手ですか?」
隣に自然とミスティラが座り、小さくつぶやくように尋ねてきた。
「いや、そういう訳ではないよ。ただ、小さい頃から勉強ばかりだったから、こういうことはやったことなくて。誕生日会とか羨ましいなぁって思ってた……」
「そうですか。私は少し苦手でした。私がはしゃいでも良い物かと。でも、今は慣れましたけど」
「慣れか」
「えぇ。どうせここの村の人達は、酒が飲む名目が欲しいだけなのですし。気構える必要なんて無い。と思えるようになります」
「ミリィはさらっと毒を吐くな」
「ふふ、何のことでしょう? これでも私、はしゃぐの好きなんですよ?」
ミスティラは年齢に似合わない妖艶な笑みをトウルに残すと、スッと席から立ち上がり、クーデリアにウインクを飛ばした。
「クーデ始めちゃいましょう」
「おっけーミリィ! マスター。ピアノ借りるよ!」
村娘二人は酒場の隅にあったピアノに陣取ると、リズム良くステップを踏み始めた。
そして、クーデリアはピアノを、ミスティラはどこからともなく取り出したバイオリンを構えて、一気に弾き始めた。
「私達の音楽で踊れっー!」
クーデリアが声を張り上げると、テンポの良い音楽が店内に流れ始めた。
クーデリアもミスティラも今にも跳ね回ると思うくらい、笑顔でノリに乗りながら演奏をしている。
気付いたら酒場の中央のテーブルが端に寄せられ、即興のダンスホールが作られている。
その中に真っ先に飛び込んだのは村長とリーファだった。
「とーさんも来て!」
そして、リーファが満面の笑顔でトウルに向かって手を伸ばしてくる。
「トウル様! さぁ、こっちだ!」
村長も一緒になってトウルを煽り始めると、店内にいた全ての人がトウルの名を呼び始めた。
「でも、俺踊ったことなんて、失敗したら笑われて、バカにされる――うおっ!?」
トウルは何とか拒否しようとしたが、宴の幹事であった村長はそれを許してくれなかった。
村長が強引にトウルの手を引き、リーファがトウルの背中を押して、トウルをダンスホールへ引っ張り出す。
「笑ってれば大丈夫! とーさん!」
「あぁ、もう! こけて笑われたらお前のせいだからな!」
リーファの言葉にのせられて、トウルもダンスホールへと飛び出す。
そして、村長に軽く脚の動かし方を教わると、トウルも思い切ってステップを踏み始めた。
「よっ! いいじゃないか錬金術師様!」
「これからよろしく頼むよートウルさん!」
ギャラリーからの応援がトウルに向けられる。
「よ、よろしくお願いしま――うがっ!?」
踊りながら返事をしようとしたら、ステップを踏み損ねたトウルがその場にひっくり返った。
「あっはっは! 良いぞトウルさん! 良い踊りっぷりだった!」
「私達もいくわよ!」
村の男女はトウルの健闘を褒め称えると、一斉にダンスホールに乱入し、自由に踊り始めた。
そして、何度もダンスの相手をするようにトウルは誘われ、トウルは疲れ果てたように椅子に戻った。
「とーさん。……すごかったね。人気者だった」
もう既に船をこぎだしたリーファがぼんやりとした目で、トウルに声をかけてくる。
「さ、さすがに疲れた……帰って寝たい……もともと俺はインドア派の引きこもりなんだぞ……」
「リーファも……眠たくなって……きたかも」
さすがに背負って帰る体力はトウルに残っていない。
まだリーファが起きている内に帰らなくてはならない。
「村長。そろそろ帰ります。リーファが眠たそうですし」
「あぁ、そうか。みんな注目! トウル様がお帰りだ!」
村長の一声で騒いでいた店内がシーンと静まり帰る。
みな、どうやらトウルの言葉を待っているようだった。
「えっと、その、今日は本当にありがとうございました。明日から俺の錬金工房が開店します。とりあえず、明日は薬を置いておきますが、何かご入り用があったらお問い合わせください」
何で店の宣伝をしているのだ。とトウルは頭を抱えたが、返ってきたのは暖かい拍手だった。
「よ、よろしくお願いします!」
そう力一杯答えることが、トウルに出来た最大限のお礼だった。
その後、工房についたトウルとリーファは、一緒にベッドに倒れ込むと、ドロのように眠ってしまった。
満足した気持ちで眠るのは、トウルにとって数年ぶりの出来事だった。