リーファの小さな勇気と異変?
まったりとした散歩も手紙を出すことで終わり、トウルとリーファは工房に真っ直ぐ戻った。
散歩のおかげでほどよくお腹が空いている中、トウルとリーファは水の宿の改良に着中していた。
「ねー、お父さん。音を防ぐにはどうすれば良いの?」
「単純に壁を厚くすることで大分防げる。ただし、今回は折りたたみ式だからな。長所を潰すわけにはいかない。ということで、こういう吸音構造を建材に仕込むんだ」
トウルは五段重ねになった格子状の板を紙に書くと、くるりとペンを回した。
「隙間に空気を入れるの?」
「あぁ、音っていうのは振動だからな。音を防ぎたいなら振動を吸収して防げば良い。この格子状の構造は振動を吸収する仕組みなんだ」
「へー。なら、これがあれば、リーファが飛び跳ねても音が聞こえないの?」
「そういうことだ。もともとの水の宿一号を材料に、一階の天井部分にこの防音機構を組み込もう。まずは防音材の設計からだな」
トウルはリーファを連れて二階の製図室に移ると、定規とペンを手にした。
下書きの時より、より細かく、真っ直ぐの線を引いていく。
そして、材料や錬金術式を書き加えていくと、リーファは隣で頭を紙に思いっきり近づけながら覗きこんできた。
「おー、すっごく細かいねー。やっぱ、お父さんうまいなぁ」
「リーファも頑張れば、ちゃんと出来るようになるよ」
「うん。リーファも描いてみるね」
トウルの真似をしながら、リーファが定規を使ってペンを走らせている。
細かい格子を描くせいで、さすがのリーファもあたふたして、なかなかいつものように筆が進んでいないようだった。
「焦るなリーファ。ゆっくりで良い。まずは綺麗に描くことだけを意識しろ」
「でも、くーちゃん達来ちゃうよ?」
「そうなったら明日やれば良いよ。時間はまだあるんだからさ。リーファも細かい物を作るのは初めてだろ? だから、ゆっくり手を動かして、感覚を覚えよう」
「はーい。はやくお父さんみたいに描けるようになりたいなぁ」
リーファはどこか残念そうに笑うと、トウルに言われた通り手をゆっくりと動かし始めた。
その隣でトウルは自分の設計図には手を加えず、リーファが描ききるまで彼女の製図を見守った。
ゆっくりだけど、危なげないしっかりとした線。
設計図と向き合う目は真剣そのもので、隣から見るだけで分かるほどの集中力を発揮しているように見えた。
「ふぅー……描けたよお父さん」
「うん。良く出来たな。偉いぞリーファ」
「えへへー。良かった」
「よし、それじゃ、早速一緒に錬成をしよっか」
「はーい」
材料は溶岩が固まって出来た岩と石灰だ。
トウルはリーファと一緒に材料を量ると、錬金炉に材料を投入し始めた。
そして、全ての材料を投入すると、炉に設計図を読み込ませて錬成を開始した。
「でも、不思議だなぁ。岩ってあんなに硬いのに、ふわふわのスポンジになるんだよね? ロックウールって岩の羊毛って意味でしょ?」
「それが錬金炉のすごい所だよなぁ。それだけ細かく分解して、再構築出来るってことだから」
「できあがるのが楽しみだなー。初めて作った物が出来るときはわくわくするねー」
「あぁ、そうだな」
リーファが錬金炉の前に立ったままトウルに笑顔を向けてくる。
トウルがそれに頷くと、リーファの顔がより明るくほころんだ。
錬成が仕上がるまで、少し時間がかかる。
トウルは椅子に座ると、リーファに向かって手招きをした。
「お父さんなにー?」
「ずっと立ってると、宿屋に行く前に疲れちゃうだろ? 座って休んだ方がいいぞ」
「はーい。あっ、お父さんの膝の上座っていい?」
「あぁ、もちろん。聞かれなかったら、俺から提案するところだった」
「やったー」
リーファは嬉しそうにトウルに向かって走ってくると、トウルの目の前でぴたりと止まり、小さくジャンプしながらトウルの膝の上に腰を下ろしてきた。
「リーファは今日も元気だな」
「えへへ。あ、お父さん。リーファ、お願いがあるんだ」
「ん? どうしたんだ?」
「あのね。ぎゅーってして」
「おやすい御用だ」
トウルはリーファの肩に両腕を回して、小さな身体を抱きしめた。
リーファの身体は強ばっていたのか、微妙に小さく震えている。
だが、すぐに震えは消えて、代わりにリーファの短く息を吐く音がした。
「リーファ大丈夫か? 寒いなら暖炉つけるか?」
「えへへ。お父さんあったかいから、このまんまでいいよ」
「そっか。ホットミルクとか暖かい飲み物は欲しくないか?」
トウルはリーファを抱きかかえたまま、優しく囁くようにリーファに自分の意志を伝えた。
孤児であるせいか、リーファは直接甘えるのが苦手な子供だ。
膝の上に座ったり、抱きしめて欲しいと言ってくれるようになったのも、リーファがすごく勇気を出した結果だ。
笑顔や明るい言葉の裏に隠された臆病なリーファのお願いを、トウルは受け止めようとしていた。
「ううん。大丈夫。喉は渇いてないよ。お父さんが喉渇いてるなら、リーファが用意しよっか?」
「俺も大丈夫だ。リーファのおかげで俺も寒くないから」
「えへへ。一緒だね」
「あぁ、一緒だな」
トウルはリーファの言葉に合わせるだけで、次の言葉を待つことにした。
寒くなくて震えているなら、何か勇気を出そうとしているのだと理解したのだ。
それならば、受け入れる雰囲気だけを作って、リーファが勇気を出すまで待つ。
リーファが自分から甘えられるようにしてあげる。それがトウルのあげられる優しさだった。
無言のまま時間が過ぎていくと、気付けば日は完全に山の奥に沈んでしまっていた。
そして、錬成も間も無く終了する時間になっている。
それだけの時間が経って、リーファが小さく言葉を漏らした。
「あのね。お父さん」
「うん」
トウルがリーファの呼びかけに応えると、二階まで響き渡る声が一階から発せられた。
「トウルさーん、リーファちゃーん、仕事終わったよー。ごはんいこー」
クーデリアがやってきて、トウルとリーファを呼びに来てくれたのだ。
「くーちゃん達。来ちゃったね。行こっ。お父さん!」
「あぁ、そうだな」
リーファはトウルの腕を解くと、元気良くトウルの膝から飛び降りた。
そして、リーファはトウルを待つことなく一人で部屋の外に出て行き、クーデリア達を迎えにいこうとしている。
その様子を見て、トウルは直感的に手を伸ばし、リーファの手を掴んだ。
「リーファ」
「お父さん? どうしたの?」
「一緒に行こうか」
「うん。いいよー」
一瞬戸惑いの色を見せたリーファだったが、トウルの提案ですぐにニカッと笑ってくれた。
リーファが何を悩んでいたのか、そのことを結局聞くことが出来なかったトウルは、どこか心配そうな目でリーファの頭を見つめながら、階段を下りていった。
「相変わらず二人は仲良いねー」
「えへへー。くーちゃんともリーファは仲良しだよー」
クーデリアが何気なく言葉を発すると、リーファはクーデリアに向かって走り、身体全体で飛び込んだ。
「うおっとと、良いタックルだね」
「さすがくーちゃん。強いねー」
「まぁねぇ。これぐらい頑丈じゃないと、リーファちゃんもミリィも守れないからね」
「おー」
クーデリアはリーファの体当たりでビクともせず、胸をはって自分の強さを誇っていた。
リーファにとっては頼りになるお姉ちゃんと言った感じだろうか。
そんなクーデリアとリーファがいつものように、楽しそうに接している様子を見て、トウルは少しだけ心配が薄れた。
「呼びに来てありがとうクーデ」
「どういたしまして。私達の方こそ誘ってくれて嬉しいよ」
「昼間のお礼だ。サンドイッチ、美味しかった」
「あは、あはは。直接お礼言われちゃうと照れちゃうなぁ。もう。あはは」
トウルの感謝にクーデリアは顔を赤くして、視線をあっちこっちに泳がせながら笑っている。
身体も何故かもじもじさせていて、落ち着きが無い。
クーデリアの過剰とも言える反応に、トウルは首を傾げてしまった。
お礼を言われただけで、何故こんなにも慌てたような反応をするのだろうか? そんな疑問がトウルの頭をよぎる。
「クーデ、何をそんなに慌ててるんだ?」
「いや、だって、トウルさんが私のサンドイッチもっと食べたいって言ってくれたってミリィから聞いて、その、あはは。私もやっと大人の女性として見て貰えたかなって?」
「いや、クーデは元から女の子だろ? それに、何でそれで大人の女性なんだ?」
「え? だって、胃袋を掴むのが大事って村長とミリィから聞いたよ?」
「それ、大人じゃなくて、結婚とか恋人とかの応援に使うんじゃ……」
鈍感と言われるトウルでも、胃袋を掴むのが大事という言葉が、何に対してかは知っている。
知っているからこそ、トウルの思考は一時的に固まってしまった。
「……え?」
「……あっ!」
どうやらクーデリアもトウルと同時に何かに気付いたようで、口を手で隠しながら声をあげていた。
「あ、あはは。うん、えっと、ほら! トウルさんにも美味しいって言われるなら、私の腕も大したものだよね! 大体の人の胃袋掴めるんじゃないかな!? 実際、ミリィのは掴んでるし! 私も掴まれてるけど!」
「あ、あぁ、そうだよな。うん。サンドイッチ以外は壊滅的らしいから、その人の胃を破壊するなよ?」
「まさかの毒物扱いっ!? ちょっと焦がしちゃったりして苦いだけだよ!」
「あれ冗談じゃなくて、本当だったのか……」
「はっ! しまった! まだ誤魔化せたのに、墓穴ほっちゃった!?」
クーデリアの顔が次第に青ざめ、彼女はその場に頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
トウルがかける言葉を失っていると、かわりにリーファがクーデリアの隣に立って、彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫! くーちゃんのサンドイッチはいっつもおいしいよ。リーファもくーちゃんが作ってくれるなら、もっと食べたいな」
「……ありがとうリーファちゃん。そうね。私にはサンドイッチがある! 三百六十五日一年間通じて毎日違うサンドイッチを作れば、飽きられることなんてない!」
リーファの励ましで、謎の闘志を燃やすクーデリアが立ち上がる。
そして、トウルに向かってビシィッと指を指してきた。
「トウルさん! 私はサンドイッチマスターになる!」
「その情熱を他のレシピに注げよ!?」
「大丈夫! 液体以外ならパンに挟める! レシピは無限大だよ!」
「あぁ、でも、液体もゼリー状にしたり、小麦粉で粘性を高めればいける……って、思わずレシピ開発の癖でのってしまった!?」
「さすがトウルさん! さぁ、二人で一緒にサンドイッチの明日を切り開こうよ!」
「すまんそれは無理だ。俺にはリーファを一人前の錬金術師にしたいからな。残念ながらサンドイッチの道には進めない」
「よし。それじゃ、リーファちゃんも入れて三人でやろう! サンドイッチの錬金術師になろう!」
「タダのパン屋じゃねぇか!」
トウルのつっこみで、クーデリアはハッと気付いたように手をぽんと叩いた。
「保安員止める訳にはいかないもんねー。人少ないし」
ようやく落ち着いてくれたクーデリアに、トウルは疲れたように肩を落とした。
サンドイッチ一つでこんなにもクーデリアが落ち込んだり興奮したりするとは、トウルは一切予想していなかった。
「正気に戻ってくれて嬉しいよ……」
「ぷっ、あはは。本当にトウルさんは真面目だよね。私の冗談にも全部のってくれて」
トウルの言葉にクーデリアが突然笑いだして身を翻した。
トウルから顔が見えないが、声は明るい印象を受ける。
「くーちゃん、顔赤いよ大丈夫―?」
「大丈夫大丈夫。さ、ご飯にいこーか。ミリィも待たせてるし」
「うん。いこー」
リーファからの指摘を誤魔化すようにクーデリアは店を出ると、リーファも後に続いて駆けだした。
「って、あ、置いてくな!」
出遅れたトウルも慌てて店を出る。
そして、三人で並ぶと、他愛の無い話題であれこれトウルはクーデリアにつっこみを入れ続けた。