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初めての親子温泉

 トウルは錬金工房につくと、一目散に酔い醒ましの薬を明けて一気に飲み込んだ。

 酒飲みの多い村のせいで常時販売することになった薬が、驚くほど役に立っている。


「とーさん。大丈夫?」

「何とか……。薬が効けば、すぐ治る。目安は三十分くらいらしい」

「そっか。暖炉に火をつけるから、一緒にあったまろ?」

「……眠いんじゃなかったのか? 俺に遠慮せず、先に寝てても良いんだぞ?」

「お父さん大変そうだったし、一緒にいたいから、嘘ついちゃった」


 悪戯っぽく笑うリーファに、トウルは目を丸くした。

 あのSOSはムダでは無かったらしい。


「……助かったよ。ありがとうリーファ」

「えへへー」


 トウルはリーファに手を引っ張られて二階に上がると、製図部屋の暖炉の前に置かれた椅子に座らされた。

 そして、トウルの前でリーファはいそいそと暖炉の火をつけると、何故か部屋の外へと向かった。


「ちょっと待っててね。お父さん」

「ん? あぁ」


 何を考えているのか分からずトウルが生返事を返す。

 暖炉はパチパチと静かに音を立てながら、冷え切ったトウルの身体を温めている。

 その温もりにトウルが思わずうとうとしていると、リーファの足音が近づいて来た。


「おまたせっ」


 リーファが部屋に戻ってくると、彼女は毛布を二枚手に持っていた。

 リーファはその一枚をトウルの肩に掛けると、続けてトウルの膝の上に腰を下ろした。

 リーファの身体は、トウルの上半身にちょうどすっぽりとはまるように収まっている。

 二枚目の毛布はリーファの膝に掛けられていて、トウルの膝から下も一緒に覆われた。


「……暖かいね」

「……だな」

「……ね、お父さん」

「なんだ?」

「なんでもない」

「なんだよそれ」


 微笑みを浮かべて振り返るリーファに、トウルはくすぐったそうに笑って返した。


「一度言ってみたかったの。夢の中でのお父さんとお母さんは顔が見えなかったけど、とーさんの顔は見えるから。そんな顔をするんだね」

「どんな顔してた?」

「優しい顔してた」

「そっか」


 トウルはリーファが親の顔を知らない理由を知っていた。

 それでも、その理由を彼女が大きくなるまでは黙っていようと心に誓っている。

 血縁関係のある親はリーファの戸籍には存在しない。生物学的に血縁関係にあると認められる親とも、生まれて数ヶ月で別れている。

 そして、リーファを死の淵から錬金術で救った二人目の母親も既にこの世にはいない。

 未だ誰も作ったことのない人造人間ホムンクルスでは無いけれど、リーファは普通の人間と違って、錬金術で死の淵から蘇った少女だ。

 トウルはリーファの出自を思い出しながら火を見つめていると、暖炉の炎が勢いを増して、薪の折れる音がした。

 すると、リーファが突然謝ってきた。


「今日はごめんなさい」

「良いよ。リーファは無事だったし、俺がちゃんと言えば良かっただけなんだから」

「ううん。リーファね。家出して良かったって思ってるの」

「なんで?」

「今日のお父さん格好良かった。いつもの優しい顔も好きだし、錬金術の真剣な顔も好きだけど、魔物と戦ってるお父さんはすごく格好良い顔してた」


 暖炉のオレンジ色の炎に照らされたリーファが、頬を赤く染めて微笑んでいる。

 あまりにも直球でぶつけられた好意に、トウルも顔を赤くすると、照れ笑いしながら頭をかいた。


「うっ、あはは……そ、そうか? そう言われると照れるな。まぁ、これでもそこらの錬金術師よりかは腕が立つからな」

「とーさんがお父さんになってくれて良かった。ねぇ、お父さん」

「ん?」

「なんでもない」

「そっか」


 リーファは精一杯トウルに甘えてくれているらしい。それが何となく嬉しかったトウルはリーファの頭をゆっくり撫でた。

 それがよっぽど嬉しいのか、リーファは鼻歌を歌いながら頭をゆらゆらと横に揺らし始めた。

 リーファの影はトウルの周りでくるくると踊っているようにも見える。


「なぁ、リーファ」

「なーにー?」

「なんでもない」

「えへへー」


 トウルは色々な言葉を飲み込むと、なんでもないと口にしてリーファの髪をなでた。

 もっと甘えても大丈夫だとか、頼っても良いとか、安っぽい言葉しか思いつかなかったのだ。

 リーファのことだから、そのどれでもきっと笑顔で頷いてくれる。

 でも、頷く以上はしない子なのだろうと、トウルはリーファのことを理解しはじめていた。

 リーファの頭を撫でる指は銀髪の毛に絡まること無く、ふわっと通り抜けていく。

 指にのせると消えていく白い雪のようだ。


「ね、お父さん。酔いは治った?」

「うん。リーファのおかげで大分早く良くなったよ」


 トウルは静かに答えると、リーファは鼻歌を止めて、身体を揺らすのも止めた。

 突如訪れた静寂に、トウルもリーファも口をつぐんだまま時間が過ぎていく。

 暖炉から伸びる影は一つに重なり、炎で揺れ動くも別れることは無かった。


「あのね。リーファ。お父さんが出来たらやって貰いたいことがまだあるの」

「ん?」

「一緒にお風呂入りたいし、一緒に寝たい。ホントはもっと色々あるけど、ちゃんとこーかいこーぼで賞をもらって、ちゃんとお父さんになってもらったらまた言うね」

「っ! まぁ、そうだな。……お父さんになるんだしな。よし、それじゃ水着の準備をして、温泉にいくか」


 一瞬ドキリとしたトウルだったが、すぐに咳払いをして気持ちを落ち着かせた。

 暖炉からぱちっと火花が弾ける音がすると、トウルはリーファを膝の上から降ろして、一緒に温室近くの温泉に足を向けた。



 外は思わず震えるほど寒かったが、雪も止んでいて空も良く晴れ渡っていた。

 空に浮かぶ白い満月は、温泉の湯気でうっすら顔を隠している。

 温泉の浴槽は丸い岩を積み上げて作られた露天風呂だ。

 子供が転んでも怪我をしにくい親切な設計になっている。


「あはは。寒いねー」


 水着を着たリーファが身体を洗わずに外に飛び出していってしまった。


「ちょっ! リーファ、まずは身体を洗ってからだ。早く洗い場に戻って」


 温泉に繋がる扉には、工房内のシャワー室が備え付けられている。

 今にも温泉の中に向けて飛び出しそうなリーファを、トウルは何とか掴むとシャワーの前に座らせた。


「お湯かけるからな。熱かったら言えよ」

「気持ちいいよー」

「そっか。背中を洗うけど、痛かったら言えよ」

「うん」


 トウルは石けんを泡立てると、泡を手にとってリーファの背中に泡を優しくのせるように触れた。

 リーファの白い肌が細かい泡に包まれていくと、彼女はくすくすと笑いをこらえて身もだえし始めた。

 細かい泡が宙に飛んで、湯煙でふわふわと踊っている。


「くすぐったいか」

「うん。あはは。くすぐったい」

「流すからな」


 トウルがリーファの背中にお湯をかけると、綺麗になったリーファの肌が露わになった。

 水滴が月明かりを反射して、幻想的な淡い光を放っている。


「次、リーファがお父さんの背中を洗うね」

「分かった。任せるよ」

「リーファに任せてー」


 リーファにお湯をかけられると、外の寒さを忘れるほど身体が一気に温かくなった。

 リーファの小さな手がトウルの背中に触れる。

 ふんわりとした泡と石けんですべすべの手が、トウルの背中で円を描き始めた。


「お父さんはくすぐったくないの?」

「実はくすぐったい」

「お父さんの我慢はすごいなー」


 リーファの問いにトウルは素直に返した。

 リーファの手もそうだし、この状況が心をくすぐっていて、背中がこそばゆい上に腰の据わりも悪くて落ち着かなかった。

 思っていた以上に恥ずかしい。

 色々な意味でトウルはくすぐったさを感じていた。


「お湯で流したよー」

「よし。んじゃ、前を洗ったら温泉だ」

「おー、温泉だー」


 トウルとリーファはそれぞれ前を洗い終えると、一緒に工房のシャワー室から外へ出た。

 聞こえるのは温泉の溢れ出る優しい音と、河の流れる静かな音だけだ。

 先にトウルが湯船に入ると、リーファも続けて入った。


「あったかーい」

「実は温泉にゆっくりつかるのって初めてなんだよなぁ……。局長がわざわざ作ったのも納得出来る気持ちよさだ。はぁぁあ……気持ちいいなぁこれ」


 リーファを探して走り回ったり、普段しない戦闘をしたり、宴会に付き合わされて溜まった疲れが溶けていくような気持ちよさに、トウルは目を瞑った。


「中央には温泉ないの?」

「ないなぁ。小さいバスタブとシャワーが基本だし、俺はシャワーで済ませてたから。……そっか。中央に帰ったら温泉無いのか」

「お仕事終わったらすぐ帰るの?」

「……すぐ帰ろう。温泉が俺を待っている」

「あはは。お父さんが早く帰りたいなら、リーファも早く帰りたいなぁ」


 トウルの冗談に、リーファの明るい笑い声が戻ってくる。

 その声でトウルは目を開けると、ゆっくり身体を起こした。


「中央がどんな所か見てくか? 数日なら薬を作り溜めておいて、クーデ達に任せれば良いし」


 トウルが湯船に作った波紋はそのまま石の縁を乗り越えて、外に落ちていく。

 トウルの問いかけに、リーファからすぐに返事は返ってこなかった。

 それに対してトウルは返事を求めずに、空を仰いだ。

 中央では見えなかったような小さくて細かい星が、濃紺色の空を埋め尽くしている。


「星が綺麗だなぁ……中央ではこんなにも綺麗な星空は見たこと無いかも。あ、流れ星」

「そうなの?」

「うん。夜も街の明かりが多くてさ。高い所に登ると、街が夜空みたいに輝いて見えるんだ。食事処も宿屋だけじゃなくて、食事専門のお店があったり、お茶とお菓子だけを食べる店もあったり、屋台なんてのもあるんだよ。まぁ、俺は素材屋めぐって掘り出し物を探す日々だったけどな。龍の爪が並んでた時はビックリして店に飛び込んだよ」


 トウルは静かに笑うと、リーファも隣で空を見上げた。


「ここと全然違うんだね。お父さんはそこで暮らして錬金術を覚えたんだ」

「あぁ、全然違う」


 リーファの呟きにトウルも小さく返して、先を言わなかった。

 流れ星が消える程度の間が空き、リーファが声を出した。


「リーファも……見ていいのかな?」


 まるで悪いことをした子供が言い訳をしたような小さな声で、リーファが尋ねてきた。

 リーファの笑い声に隠されたワガママをようやく聞けて、トウルは視線をリーファに戻して、彼女の頭にそっと手を置いた。


「んじゃ、二日くらいは観光してくか」

「うんっ! でも、お父さんすごいね。リーファの気持ち、なんで分かったの?」


 トウルの提案にリーファは弾んだ声で返事をする。

 リーファが自分のことを分かってきたなと思っていたトウルは、自分も少しは彼女のことを理解出来たことで、笑みをこぼした。


「リーファの師匠だし、お父さんになるんだから、これぐらいはな」

「リーファ、絶対にこーかいこーぼで入選するね」

「あぁ、リーファなら出来る。明日からも店と勉強頑張るぞ」

「うんっ」


 身も心も芯から温まったトウルはいつかのリーファの鼻歌を真似て歌い出すと、リーファも一緒に鼻歌を歌った。


「ごーせいー、ぶんかーい、さいこーちく、ちゅーしゅつ、ざんりゅー、あっしゅく」


 二人の錬金術師の歌が、水の音に溶けていった。

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