カイト君の秘密
薬を大量生産して農地に行って、ルイスは最初に農家のおじさん達に頭を下げて謝罪した。
正座させられたルイスは、それはもうこっぴどく怒られていた。
殴りかけたおじさんはさすがにカイト君が止めてくれたから、流血沙汰にはならなかったけど、ルイスの顔は涙でもうぐちゃぐちゃだった。
でも、おじさん達も三十分ぐらいすれば落ち着いたのは、ルイスが自分の罪を認めて、償う姿勢を見せたからだと思う。
お説教から解放された後、ルイスは私達と一緒に傷ついたキャベツを治す治療薬をまいた。
私と農家さんのせいでプライドがこてんぱんにされたのか、随分と疲れている表情だった。
そんなルイスにカイト君がいつものように優しい笑みを向けて話しかけた。
「ルイスさん。家というのは大変ですよね。求められる成果が大きければ重荷ですし、小さければ僕達は無価値だと思わせられる」
「君に何が分かると言うんだ……。平民の出なのに、貴族の家が分かるのか?」
「えぇ、分かりますよ。だって、僕の本当の名前はカインハート=エウラシアですから」
「エウラシア……? はぁ!? カインハート=エウラシアって第三王子のカインハート殿下!?」
「はい。社交界にはあまり参加したことありませんでしたからね。ルイスさんが僕の顔をご存知なくて助かりました」
「わ、私めは何という不敬なことを……。申し訳ありません殿下!」
カイト君が自分の名を明かすと、ルイスは地面が土でも構わずその場にひれ伏した。
「うわわ。止めて下さいよ。そういうのが嫌で偽名を使って、眼鏡をかけて変装しているんですから」
眼鏡の変装はあまり意味が無いような気もすると言うのも今更なので、私はつっこみをすることなく黙っていた。
カイト君はひれ伏すルイスの前にしゃがむと、彼の手をひっぱって起こし上げて、話を続けた。
「僕も優秀な兄弟達がいますから、気持ちは分かります」
「……申し訳ありません。殿下」
「その殿下っていうのも止めてくれると嬉しいです。今まで通りカイトで良いですよ」
「さすがに呼び捨ては出来ません。ですが、カイト様、なら何故最初に私達を訪ねた時に名を明かさなかったのですか? 何度だって機会はあったはずです」
「様はやめてくださいよ。カイト君とかカイトさんの方が僕は好きです。それと、名前を明かそうとしました。でも、リーファさんが止めてくれたんです。同じ土台に上がっちゃダメだって。リーファさんの言った生まれだけに囚われるのは悲しいってことの意味を、僕は知りたかった。僕は王家の力ではなく、僕の力で何かをなすことが出来る人間になりたいと、ずっと願っていましたしね」
カイト君はそう言うと自分の胸に手を当て、優しい笑顔から自信に満ちた男の子っぽい表情になった。真っ直ぐなとても綺麗な瞳だ。
「そんなリーファさんと一緒にいたからこそ、生まれは僕の一部でしかないと分かったんですよ。だから、こうして打ち明けましたし、生まれを使って少しだけ人間関係の裏工作をしました」
「殿下……」
「あなたは僕と同じですから。リーファさんの言ったとおり、親でもなく、家でもなく、自分のした経験に自信を持って下さい。ルイスさんは工房をきちんと運営してきたんですから、僕よりもはるかに経営能力は高いですよ。それは誰でもないあなたのお力です」
「ありがとうございます……。殿下っ!」
「あぁっ!? 泣かないでくださいよっ!?」
ルイスは涙が止まらないのかむせび泣き続けている。
「私、これから心を入れ替えて頑張ります!」
「分かりました。分かりましたから、顔をあげてください。それにその言葉を伝えないといけないのは農家の皆様にですよ」
「はいっ! 我が君!」
そんな男性二人の様子を見ていた私とライエの手は止まっていた。
別にいやらしい気持ちじゃない。
ただ、カイト君みたいな人が将来王様になるんだろうなと、なんとなくそんなことを思ったんだ。
同じような感想をライエも抱いていたらしく、彼女はそっと耳打ちしてきた。
「ねぇ、りっちゃん。カイト君って本当に王子様なんだね」
「そうだね」
でも、だからこそ、私はなんでカイト君がそんなに自分の血筋を嫌っているのかが分からなかった。
優秀な兄弟。それが何となくずっと魚の小骨のように、私の胸にひっかかっていた。
○
キャベツの傷薬散布を終えた頃には夕方になっていた。赤い夕陽が畑を照らし辺り一面が真っ赤に染まっている。
村にも負けない田園風景を眺めながら、ライエとカイト君の三人で歩いていると、カイト君がぽつりと言葉を漏らした。
「改めて言うのも変ですけど、二人ともルイスさんを許してくれてありがとうございます」
「カー君?」
「カイト君、どうしました?」
私達を見るカイト君は少し弱々しい笑顔で、緊張しているようにも見えた。
何か不安なことでもあるのだろうか。
そんな心配をしていると、カイト君は短く息を吸ってから言葉を続けた。
「他界してしまった僕の母は王妃ではありません。僕は……いわゆる庶子です。五人も兄妹がいる中で、僕だけ王位継承権がないんですよ。それでも、僕の血は王家の血筋を引いている。そういう意味で僕は王家でありながら王家ではないんです。だから、僕はルイスさんの言っていた声をかけてもらい苦痛も、家に泥を塗らないように生きないといけない重苦しさが、自分のことのようでした。そして同時に、僕は自分の名前を使うことで、人を従わせるのが怖かった。いつ僕の生まれと他界した母を蔑まれるか分からなかったですから」
そう言ったカイト君の表情はやっぱりまだどこか怯えが見えた。手もきゅっと握っているし、きっと、すごく不安なんだ。どれだけの勇気を出して話してくれたんだろう。
でも、おかげで私はカイト君のことをようやく少しだけ知ることが出来た。
カイト君は自分自身をどこか嫌っているように思えたけど、カインハート王子では居場所がなくて、カイトとしてようやく居場所をここに見つけることが出来たんだ。
だから、カイト君はカインハートではなく、カイトでいようとし続けた。パーラの時に名前を出したのは、家に居場所がない寂しさをきっと分かっているからだ。
「カー君」
私は彼の名前を呼んで、両手を握りしめてみた。まだ小さく震えているけど、どっちの手もしっかりしている男の子の手をしていた。友達を守ったり、誰かのために道具を作ったり、私も守ってくれた大事な男の子の手だ。
「リーファさん?」
「右手も左手も両方カー君の手だよ。カイトでもカインハートでも、私にとっては両方ともカー君。錬金術師のカイト君も、王子のカインハート君も、両方格好良かった」
「……初めて会った時からそうだったけど、リーファさんはいつも僕の不安を飛び越えてくれますね。カイトっていう偽名で普通の子供を演じようとしたら、それを乗り越えてカー君と新しい僕を押しつけてきたんですから」
「お、押しつけちゃってたの?」
小さい頃の私は、人のあだ名を勝手に付けてしまう怖い物知らずだったのは認めるけど、まさか演技まで押しつけていたとは思わなかった。
「いえ、捨てることも出来ました。でも、僕が勝手に受け取ったんです。初めて出来た友達から贈られた大事な名前と、僕が僕でいられる場所を。その日以降、僕は偽名をカイト以外使わなくなりましたから。気に入っているんですよ。カー君と呼ばれるの。僕にとっては特別な名前です」
慌てた私にカイト君はまた少し照れたような笑顔を見せてくれた。夕陽に照らされているせいか、顔が随分赤く見える。
なんだか可愛くて、つい意地悪したくなりそうな、そんな顔をしていた。お母さんのミスティラさんがお父さんをからかう気持ちが良く分かる。
今私はカー君の顔をつついて、冗談を言ってみたくてうずうずする。
それじゃ、私がカー君のお母さんみたい。よしよし。カー君がんばったね。とか?
「ごほんっ。いつまでそうしているつもりかなお二人さん」
「あっ、らーちゃんごめんっ! べ、別に無視していた訳じゃないよ!?」
「す、すみません。もちろん、ライエさんも僕の大切な友人です」
慌てて弁解する私とカイト君にライエは小さく吹き出すと、呆れたように額に手をあてて笑い出した。
「あはは。やっぱ、りっちゃんはりっちゃんだし、カイト君はカイト君だ。うん、私もりっちゃんに賛成。カイト君は私の友達。リーファは私の親友。二人とももーっと遠慮無く私に頼ったって良いんだからね? 今回の植物の傷薬だって私が基本設計作ったんだよ?」
ライエの言う通り、私達の居場所はこの三人の中にもちゃんとある。
そう思ったら、私はどこまでも幸せ者だった。
村長に救われて、お父さんが居場所を作ってくれて、外にも居場所が出来た。
私の世界はちゃんと広がっていっている。
「うん。頼りにしてるよ。らーちゃん」
「こんな僕ですが、これからもよろしくお願いしますね。ライエさん」
「ふふ。錬金術以外のことで頼ってくれても全然構わないからね? 特にカイト君はライバル多いよ? 有名人だから、もうそこらへんから悪い虫が沸いて出てくるからね」
「ははは……。がんばります」
カイト君が何を頑張るかは分からないけど、私も頑張らないといけないことに、ようやく気がついた。
カイト君はもてる。そりゃもうどうしようもないくらいに、自然と女の子を落としていく。ライエの言う通り、ライバルは多い。
でも、誰かに渡す訳にいくもんか。
そんな感情に気がついたら、さっき握った手がやけに熱くなるのを感じた。