狸さんの隠し事
スライムの粘液を身体十にくっつけた私達は、街の人達から若干避けられながら道を歩いた。
自分でも臭いって分かっているから、悲しくなる。
そして、ついていない時は、悪いことが起きるみたいで、今一番会いたくない人間が目の前に現れた。
「おや、何か妙な臭いがすると思っていたら、君達か。ははは。何だね。その格好と臭いは? 庶民は大変だね」
「あ、ルイス……さん」
ギリギリで敬称を私はつけることにした。さすがに今の気分で喧嘩したら、ちょっとどうしちゃうか分からない。
「下水路でもそんな臭いはしないよ。あはは。まさか、スライム退治なんて仕事を未来を道具で切り拓く錬金術師がしていたのかな?」
ルイスの言葉にただでさえイライラしていたせいか、堪忍袋の緒が危ないことになっている。
何とか作り笑いが浮かべられているけど、頬がぴくぴくしてきた。
「僕のアルバイトのお手伝いをしてもらっただけですよ。一人だと心細かったですが、力を持つリーファさんが一緒なら確実に成功すると思ったので」
「ははは。カイト=トーレル君も魔物退治でアルバイトとは苦労しているね。だが、リーファ君。君はもう少し自分の立ち位置を考えた方が良い。何せ君は庶民ながらも選ばれた錬金術師なのだから」
カイト君がルイスと私の前に割って入ったおかげで、私の視界からルイスが消えた。
相変わらずの物言いに我慢が限界だったから、かなり助かった。
「では、頑張りたまえ。そうだね。君達も努力すれば、村任の錬金術師くらいにはなれるかもしれないよ。ま、僕は国家錬金術師になるけれどね。ははは」
ルイスは爽やかな笑い声を残していったが、言葉の内容は爽やかさの欠片もなかった。
というか、ねちっこい話し方をする人だ。
「相変わらず嫌味なやつー……あれなら、まだクラフトの方がマシ……。というか、私のこと眼中にも無いって感じだったなぁ。完全無視だ」
ライエも呆れたように嘆いていた。
「あはは……クラフトの方がマシだねぇ」
あんまり名誉なことではないけど、私も同意する。少なくとも彼はライエと仲良くなりたいという気持ちだけは本当だったと思うし。
唐突な出会いに若干気を落としながら、私達は開発局に戻ると着替えを済ませ、シャワーで臭いをバッチリ落とした。
これでカイト君が近くにいても大丈夫かな。
「れーちゃん、ただいまー……」
「あら? あの元気印のリーファが疲れた顔してる。珍しい」
「あはは……色々あって。スライムがすっごく大きかったの。しかも、すごい臭いがするし、もう散々」
「勉強になったでしょ。依頼も達成したことだし、レポートを書いてゲイル局長がいる局長室に行ってね」
「はーい……」
最後のもう一仕事に、私達は疲れた表情でペンを走らせた。
急に疲れが出たのも、一段落したと思ったせいで、気が抜けてしまったからだろう。
さすがのカイト君もあくびをしていた。
そして、三人で仕上げたレポートを持って局長室に入ると、椅子に座った黒い狸が満面の笑みを浮かべて、私達を待っていた。
「良く来たね。未来の錬金術師諸君。さぁ、報告を聞かせていただこう」
「狸さん! あれのどこが簡単な依頼ですか!?」
「ははは。リーファ君、元気が良いね」
私がレポートを机に置くと、狸さんことゲイル局長は丸い顔に人の良い笑みを浮かべながらレポートに目を通し始めた。
毒気を抜かれそうな狸さんの表情に、私はため息をついた。
「ほほぉ。やはり、スライムの発生は農地の異常に繋がっていたか。それと、超巨大スライムが潜んでいたと。なるほど。駆除しても駆除しても出てくる訳だな。バッチリこなしているね。簡単だと言った甲斐があった」
「全然簡単じゃ無かったよ。一人でやってたら分かんなかったと思うし」
「だが、君達の得意分野ならば、比較的困ることなく対応出来たのでは無いかな?」
「……それはそうでしたけどー」
「ははは。まぁ、二つを解決したご褒美にネタ晴らしをしようか。実はこの三つ。全部開発局に上がってきた依頼でね。ギルドの連中がお手上げしていた内容だったんだ。これぐらいの内容は開発局にとっては比較的簡単な部類だよ」
「え?」
私達はゲイル局長の言葉に三人揃って疑問符を浮かべた。
「君達は国家錬金術師がすべき仕事を片付けたということさ。特に農地問題は誰かに担当させようと思っていたことだった。スライムの問題も下水処理システムに不備が出ているという課題の中の一つだった。あぁ、安心したまえ。スライムが増えないように処理濾過槽を改良してきたから、もうスライムは出てこないはずだ」
「え、それって狸さん達は原因分かってたの?」
「そういうことになるが、我々は君達に一つもヒントを与えていない。それでも、君達は我々とほぼ同じ速度で依頼をこなして見せた。つまり、君達の発想と技術は得意分野であれば、国家錬金術師にも匹敵するという訳だ。つまらない工房運営よりよっぽど高度な事をやってのけた。ライエ君、カイト君、自信を持ちたまえ」
ゲイル局長は嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がると、カイト君とライエに握手を求めるように手を差し伸べてきた。
その姿を見て私は、狸さんが局長という椅子に座っている理由に、とても納得出来た。
この人は何だかんだ言って、私達が最も自信を持てるようになる形で応援してくれていたんだ。
手を出したり、口を出したりされなかったのも、私達の力でここまで出来たって、言い訳もさせなければ、成果と過程も全て自分達の物に出来るっていう気遣いだ。
「ライエ君。良くスライムが原因だと気付いた。そして、実験の組み立てる思考力と論理性、よく勉強しているね。これからもその調子で頑張りたまえ」
「えっと、あの……ありがとうございます」
ライエは戸惑っているみたいだったけど、嬉しそうに笑顔を浮かべている。
「そしてカイト君。良い武具を作った。君達が怪我無く帰ってこられたことが、君の優秀さを示している」
「ありがとうございます。ゲイルさん」
「少し逞しい顔になったな。カイト君」
「ふふ、おかげさまで」
カイト君も素直に祝辞を受け取り、逞しいと言うより可愛げのある笑みを浮かべていた。
そんな二人の顔を見ていたら、私もルイスのことはすっかり忘れていた。
自信を持って私の友達はすごいんだって、ルイスや貴族達に言える。
「リーファ君。君も自分の色を出せたようだ。どうだった? 初めて、お父さんのアイデアからではない物を作った感想は」
「あ、そっか。言われてみれば、お父さんの道具以外の物をアイデアの核にしたのは初めてかも。あー、でもなぁ、精霊人形はお父さんも思いついたしなぁ」
「リーファ君が最初に思いついたのなら、君のアイデアだ」
「そっか。でも、どうだった? 聞かれても、ただ夢中で、どうしたら良いか考えていただけで、何か特別なことは何も無かったような気がするなぁ」
「ふふ、それで良い。これからも頑張りたまえ」
意味ありげな笑顔の狸さんは、相変わらずうさんくさくて、優しそうな、不思議な印象を受ける人だった。
「さて、では三十分ほど待合室で休憩でもして貰えるかな? 報酬の準備に時間がかかるのでね」
「分かりました」
連絡を取ったり確認したりする業務が残っているのだろうか。
私達はゲイル局長に言われるがまま、待合室で何を言うこと無く、長い間、黙って椅子に座っていた。
喧嘩をしていた訳でもない。でも、何かみんな夢を見ているかのように、不思議な表情を顔に浮かべて、部屋の一点を見つめていた。
「ねー、りっちゃん……」
「うん?」
「……開発局の局長に褒められた」
「うん」
「……私、自信持って良いんだよね?」
「うん。お父さんも言ってたよ。らーちゃんは出来る子だって」
ぽつりと呟いたライエの言葉に応えると、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべて静かに笑っていた。
そんなようやく会話らしい会話が出来た時、扉がノックされた。
「失礼します。ノウエストタイムズ記者のチャーリーです」
「へ?」
私達が全く予想していなかった人物が部屋に入ってきて、私達の視線はチャーリーさんに集まった。
見た目はベレー帽を被ったカメラを持ったおじさんだ。
「あれ? ゲイル局長から聞いていませんか? 東部農地の問題を解決したみなさんの、取材許可を頂いたのですけれど……」
私はそんなことを一言も聞いていない。
カイト君に目線を合わせて目だけで尋ねるが、カイト君も首を横に振った。
ライエも目を合わせる前から首を横に振っている。
そして、何かの間違いでは無いかと思ってチャーリーさんの方に視線を戻すと、丸い狸が背後に立っていた。
「狸さんっ!?」
「ははは。驚いたかね? 簡単な追加の依頼だよ。チャーリー君。農地問題の解決に貢献したのはライエ君だ。後、カイト君とリーファ君は写真が苦手でね。写真を撮る際はライエ君だけにしてくれたまえ。名前を載せるのは問題ないがな」
私もカイト君も写真は苦手ではない。
でも、ゲイル局長の意図は分かっている。カイト君は王子様だし、私は訳ありの身体だ。
二人とも、事情を知っている人に見られるとかなり都合が悪い。
言い方がぶっきらぼうなのも、そんな私達の気遣いをしてくれた結果だと思う。
「そうでしたか。ですが、やはり三人なら三人揃った方が絵に――」
「写真はライエさんのみでお願いします」
食い下がるチャーリーさんに、ゲイル局長はニッコリと笑顔を返した。
怒った顔より笑顔の方が怖い人というのも珍しい。
チャーリーさんがライエの写真を撮ると、彼はカメラをそのままカバンにしまい込んだ。
そして、代わりに紙とペンを取り出す。
「では、今回の異変の原因について教えて下さい」
チャーリーさんも仕事のスイッチが入ったのか、真面目な口調で私達に何が起きたかを尋ねてきた。
ゲイル局長と私が目を合わせると、彼は小さく頷いた。
「えっとですね。原因は巨大化したスライムの増殖によるものでした。それを突き詰めたのがこのらーちゃん、えっと、ライエになります」
「ふむふむ。ライエさん。あなたはどのようにスライムが原因だったと突きとめたのでしょう?」
今回の功労者はライエだと私は思っている。私は最後の道具を作るところで知恵を貸したぐらいだ。
ライエの説明に記者のチャーリーさんはうんうんと相づちを打ちながら、所々で質問を挟んでいった。
「ありがとうございました。それでは皆さんに最後の質問です。夢は何ですか?」
チャーリーさんの質問に、私達は三者三様の答えを返して、取材は終わった。
翌日の新聞に載るから、是非買ってくれと言われたけど、お父さんに見せたらどんな顔するかな?
取材を受けたことは内緒にしておこう。
そんな悪戯心を私は抱いてしまった。
「三人ともご苦労だったね。最後の依頼、パーラ君の件もよろしく頼むよ」
狸さんの一言で思い出したけど、私達の依頼はまだ残っている。
私はもう一度気合いを入れ直して、頷いた。
「はい。任せて下さい」