生まれの壁
レベッカEND追加しました。
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「っくしょん!」
いきなりくしゃみが出た私は、ギリギリ手で口を覆えても、声までは抑えられなかった。
幸運だったのは、飲み物や食べ物を口の中に含んでいなかったことだろうか。
誰かが噂でもしているのかな?
「リーファさん大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫。ありがとカー君」
心配してもらって悪いけど、ちょっと恥ずかしい。
お昼ご飯を済ませた私達は、廊下の掲示板に貼ってある各クラブのポスターを見ていた。
壁一面にびっしりとポスターが貼られていると、なかなか壮観な景色になる。
「テニスにサッカー、フェンシングに剣術クラブ、乗馬って、色々あるんだね」
「はい。授業だけでは築くことの出来ない人間関係を深める場として、色々なクラブが用意されているようです。ほら、隣の掲示板には文化系のチェスクラブや美術部がありますよ」
カイト君が指さした方を見てみると、それ以外にも合唱部やオーケストラなど音楽系のクラブもあった。
「すごいなぁ。授業を選ぶ時も思ったけど、大学って随分と自由なんだね」
ライエが隣でぽつりと呟いたのを聞いて、私も同じ事を思った。
初等学校のようにやることが決められている訳じゃない。
自分で何をしたいかを選ばないと、何もないまま終わってしまいそうだ。
「あ。ね、りっちゃん、カイト君。これ、面白そうかも」
ライエが指を指した方を私達が注目すると、私はライエも十分に錬金バカなんじゃないかと笑ってしまった。
「工房経営クラブ《クォーツ》。中央通りの一区画にある、工房兼販売店舗を運営するクラブみたいですね。僕も何度か足を運んだことがあります。でも、ライエさんは村でトウル様と一緒に工房やってますよね? もう既に工房の運営は慣れているのでは?」
「そうなんだけれど、ほら、私はいつかあの工房を卒業して、出て行かないといけないから、今のうちに色々な工房のことを知って、自分の力で工房を運営出来るようになりたいなって」
「あ、すみません……」
「カイト君が謝ることじゃないですよ」
ライエの言葉に私の頭は少しの間、固まっていた。
私もいつか出て行くことがあるのだろうか。考えたことも無かった。
一緒にいても良いってお父さんは言ってくれるけど、私はどうしたいんだろう。
「らーちゃんは、自分の工房を持つの?」
「うん。今の私の夢はトウル師匠に負けない工房を作ることだよ。それでお母さんとお父さんに楽して貰おうと思って」
ライエの実家は農家さんだ。お父さんの作った道具で大分楽になったってお礼を言われたことはあるけど、やっぱりライエも錬金術師として自分の作った道具で生活を変えたいのかもしれない。
後はお金の面でも支えたいと思っているのだろう。農家の収入はそこまで高くない。
ライエの家の事情を考えると、納得出来る理由だった。
そして、私の家もトウカとリィンが大きくなって、錬金術師になりたいと言ったら、家に三人も錬金術師がいることになる。
そう思ったら、人がいっぱいいる環境で工房の運営を学ぶのも悪くないと思ってしまった。
「それじゃ、私も行ってみようかな? 新入生歓迎ってあるし、カー君も行ってみる?」
「そうですね。僕も錬金術師になるからには、工房を知っておきたいです」
「決まりだね。それじゃ、今日の授業が終わったら、みんなでいこっか」
行ってみたいクラブも決まって、私達はワクワクしながら残りの授業を受けた。
○
授業は三時くらいに終わって、カイト君とライエと一緒に錬金工房へとお邪魔することになった。
錬金工房は四階建ての赤煉瓦の建物で、一階正面がガラス張りになっている。売っている物の見た目はどれも小洒落ていて、いかにも高級店といった感じだ。
外から見える中の商品は懐中時計などの日用系の機械から、木の模様が美しい冷蔵庫などの中型機械まで幅広く置いてあった。
逆に村の錬金工房とは違い、薬の類いは置いているようには見えなかった。
「村と全然違うね。りっちゃん」
「うん。何かオシャレな感じだよね。村だと機械は受注があってから作るもんね」
機械系の発明に強いのは確か、市任錬金術師の工房の特色だったかな。
村と違って、お医者さんとか色々な職業が多くて生活基盤の仕事をする必要が少ないんだよね。だから、彼らはより生活を豊かに、便利にする道具を作るのに没頭出来るとかお父さんが言っていたっけ。
いつまでも外に立っていても仕方が無い。
それにお店の高級感ならレベッカさんも負けていないんだ。気後れしちゃいけない。
「入ろう。らーちゃん、カー君」
意を決して中に入ると、モーニングコートを着た青年が私達を出迎えてくれた。
工房の錬金術師が礼服を着ているのを見て、私はいきなり面食らった。
「ようこそ。錬金工房へ」
深々と一礼する様子も、工房というよりかはどこかのパーティで挨拶をするような雰囲気だ。
「お邪魔します」
思わず、挨拶を返してしまったけど、これで良いのか分からない。何かすごく変な気分だ。
「あはは。これはこれはご丁寧にお嬢様。ところで本日のご用件は何用でしょうか?」
「えっと、私達もクラブに入れて貰おうと思って。あ、これ、学生証です」
「あぁ、なるほど。では、こちらへ。工房長の部屋へご案内します」
にこやかな顔で三階の応接間へと案内された私達は、ふかふかのソファに座らされた。
生地は私達の身体に吸い付くように柔らかく、雲の上に座っているかと思えるほどだ。
「良い仕事してるなぁ。やっぱり自分達のお店を持つと、腕上がるのかな」
私が素直に感心していると、ライエも興奮気味に頷いていた。
「うん。ここなら、良い勉強が出来そう。私もここに負けないオシャレな工房にしようかな」
「二人ともやる気満々ですね」
どんな感じにここの人達は設計図を作るのか、錬金炉の大きさや性能はどんな感じなのだろうかと、想像はどんどん膨らむばかりだ。
「お待たせしました。工房経営クラブ《クォーツ》チーフのルイス=ヴィンセン。現在四年生です」
黒い髪のオールバック、ツリ目気味の細い目つき、丁寧な口調とは裏腹に、ちょい悪って感じの印象を受ける人だ。
「皆様のお名前を頂戴しても?」
「あ、はい。リーファ=ラングリフです」
自己紹介をしてくれという意味だとは判断した私は、ソファから立ち上がって自分の名前を名乗った。
「ライエ=ヒューランです」
続けてライエも挨拶すると、ルイスさんは顎に手を当てながら考える素振りを見せた。
何か私達は間違えたかな?
「僕はカイトです」
「家名も教えて頂けますか?」
「え? 必要ですか?」
カイト君は戸惑ったように尋ねると、ルイスさんは仮面のような作られた笑顔を浮かべた。
この違和感はなんだろう。気味が悪い。
「えっと、カイト=トーレルです」
「ありがとうございます」
ルイスさんは私達の自己紹介が終わると、紙に何かを書いて案内してくれたお兄さんに渡した。
紙を受け取ったお兄さんは、四階へと上がる階段へと消えていく。
ちらっと見えたのは私達の名前だった。
「まずは僕達の工房に興味を持って頂き、ありがとうございました。中に入ってみてどうでしたか?」
「とってもオシャレで良い工房だと思いました。私も将来工房持ちたいので、参考にしたいです」
「失礼ながら、ご実家はどのようなことを? これは、私の推測ですが、ご実家の稼業をお手伝いしたいからこそ、錬金術を修めようとしているのでは?」
「はい。農家なので、もっと楽出来るような道具を作り出したいです」
「はぁはぁ、なるほど。それはそれは、良い夢を持っていらっしゃる」
ライエが目を輝かせて夢を語っている。
その言葉をうんうんとルイスさんが頷いているが、私はやはり彼の被る笑顔の仮面が気になって仕方が無かった。
狐のようなうさんくさい笑顔の裏に、何があるのかは見えない。
そして、先ほど紙を持っていったお兄さんが戻ってくると、ルイスさんに耳打ちした。
「残念なお知らせがあります。実は今、工房のスタッフが満員でして、錬金炉も人数分はありません。そこで、一人しか採用出来ないのです」
「え?」
「そうなると我々としても、優秀な人しか採用することが出来ません。リーファ=ラングリフさん、あなたは貴族ではありませんが、公開公募で優秀な成績を収めていらっしゃいますね。あなたの力を我らの工房で発揮してみませんか?」
戸惑いの声を出すライエは、ルイスさんの視界に入っているはずなのに、まるでここにいないかのように、ルイスさんは無視して話を続けている。
「ルイスさん、その言葉、本気ですか?」
「カイトさんも申し訳ない。ですが、よりよい環境のためですので」
「ライエさんが貴族じゃないからですか?」
カイトが私の心の声を代弁して、ルイスを睨み付けてくれている。
普段の優しい顔じゃなくて、こんな顔も出来るんだ。初めて見た気がする。
ライエは未だに茫然としている。
「ははは。何のことでしょうか?」
「家の名前を確認したり、実績のあるリーファさんだけを採用したことを考えれば、そう思わざるを得ません」
「だとしたら、何だと言うのでしょうか? 私達はこの工房を維持、発展させるために、優秀な人間が必要なのです。血筋というのも、人を評価する立派な指標です。この工房は貴族を始め、成功を収めた人間を相手に依頼を受ける工房なのでね。はは、農家で育った方が貴族に相応しい道具を創造出来るわけがない。リーファさんは平民ながらも、例外的に卓越した才能をお持ちのようですから、我々とともに活動するに値すると判断したまでです」
ルイスは鼻でライエのことを笑った。
そんな彼の言葉を聞いて、さすがの私もかちんと来た。錬金術師としての腕を認められても、こんな言い方されたら全然嬉しくない。
でも、カイト君は私以上に怒りを見せている。
「生まれが全てだと言いたいのですね?」
「どのように受け止めようがあなたの自由です。お引き取り下さい」
「僕は――!」
カイト君が苛立ちの込められた声をあげる。
それを聞いて、その先を言わせてはいけないと反射的に思った。
「カー君! らーちゃん! 帰ろう!」
私は二人の手を掴みながら、カイト君の言葉をかきけすように思いっきり叫んだ。
「おや? リーファさん、あなたは我々の仲間になれるのですよ? そこの二人とは違ってあなたは選ばれた人間だ。平民ながらも、生まれながらの才能を持つ方だ」
「私はあなたたちではなく、この平民の二人を選ぶよ。残念だけど、私にはこの工房は合わないから」
「そうですか。あなたも名のある家の生まれなら、選ばれる意味が分かったでしょうに」
肩をすくめながら呆れた言葉を吐くルイスを見て、私は哀れみの感情すら湧いた。
生まれだけで決まるのなら、私はとっくの昔に死んでいる。
それでも生きているのは、色々な人が私を助けてくれたからだ。
「生まれでしか価値を計れないのなら、あなたは可愛そうな人だね。失礼します」
私はそれだけ言い残すと、ライエとカイト君の手を引っ張って店を後にした。