あいつと俺
大きな物音。
怒鳴り声。
「死にたい」
そう言って階段に座り込んで泣く自分。その自分に母親は「だったら死になさい」と濡れたままの洗濯物を投げつけた。
これが俺が思い出せる俺たちの一番古い記憶。
小学校に入る前の出来事だと思う。
どうして死にたいと思っていたのかは全然覚えていない。ただ覚えているのは両親や母方親戚からの「お前は両親の本当の子どもじゃない」「捨てられていた子どもだ」という言葉。
「自分は誰の子どもなんだろう」
この疑問がいつの間にか「自分は誰なんだろう」に変わり「自分じゃなければ愛される」という根拠のない確信に変わっていった。
自分じゃない誰かが自分を生きてくれたらいいのに。
もう自分ではいたくない。
そんな思いが積もりに積もって俺はこの世に存在することになったらしい。気が付けば1つの体で2人の人間が生きていくことになってからもう15年は経つだろうか。
最初のころの俺は、泣いているあいつや辛い思いをしているあいつを慰めたり話を聴いたりするためだけの存在だった。あいつには血の繋がった兄がいたが、母親の実家にとってあいつの兄は初めての孫だったこともあり、母方の親戚にこれでもかというほど可愛がられ、両親にも溺愛されていて、あいつはいつも「兄のようになれば可愛がられるのか」と泣いていた。
しかし、あいつに俺以外の味方がいなかった訳ではない。同じ家で暮らしていた父方の祖母は常にあいつの味方だった。だが、その祖母の愛情があいつを苦しめることに繋がったのかもしれない。これは俺たちが高校に入ったころに知ったことだが、俺たちの母親と父方の祖母には少なからず確執があったらしい。よくいう嫁姑問題だ。母親からしたら決して優しくない義理の母親が可愛がる娘と、実の母親や兄弟たちが可愛がってくれる息子とどちらが可愛いかとそういう単純な話だったのかもしれない。
あいつは自分を愛してくれる祖母に「自分は誰の子どもなのか」と聞いていたことがあった。祖母は何も言わなかった。ただ黙って頭を撫でて「ありがとうを忘れないでね」そう言って抱きしめてくれたことだけは俺でも鮮明に覚えている。父方の祖母は兄を可愛がることはなく、あいつが泣けばすぐに兄を叱った。それが余計に両親、特に母親の愛情が兄に注がれる原因だったんだろう。
その祖母が入院したのは俺たちが小学校に入るか入らないかくらいだっただろうか。春になる前の寒い夜中に祖母は脳梗塞を起こして病院に運ばれた。俺たちと兄は母方の実家に預けられることになった。母方の実家で俺たちは比較的、あいつに優しい伯母(俺たちの母親の兄嫁)のそばを離れないように生活した。それでも母方の祖母のそばにいなければいない時間はあった。「おばあちゃん」と呼んでも「あんたのおばあさんは入院している人だけ。おばあちゃんの孫はお兄ちゃんとあんたの従弟だけ」とこれ見よがしに兄と2つ年下の従弟の頭を撫でた。
そのくらいからあいつは男になりたいと日々願っていた。あいつが求める両親の愛情は常に、男であるあいつの兄と2つ年下の従弟に向けられていた。従弟の父親(俺たちの母親の兄)は単身赴任で3か月に1度しか帰ってこなかったため、両親は我が子のように従弟を可愛がっていた。
自分は男じゃないから可愛がってもらえないのかと、本気で信じていたあいつは男のように活発に遊んだり男のような言葉づかいをしたりとなんとか愛を手に入れるために必死だった。しかしそんなあいつを母親は「女の子らしくしなさい」と叱り、「どうしてお兄ちゃんみたいに行儀よくできないの」とため息をついた。
男じゃないから愛されない。
女の子らしくしなさいと怒られる。
行儀よくしても兄ばかりが褒められる。
お父さんとお母さんの本当の子どもじゃない。
捨てられていた。
可哀想だったから拾ってあげた。
本当のお父さんとお母さんに捨てられた自分。
自分はいらない子どもだったの。
6歳のあいつの頭の中にはいつもこんな考えがぐるぐる回っていた。それでもあいつは祖母の「ありがとうを忘れないでね」の言葉を大切にして「本当の子どもじゃなくても育ててくれてるお父さんとお母さん」「捨てられていた自分を拾ってくれたお父さんとお母さん」親に感謝こそしたが、恨むようなことはなかった。
悲しいことはいつも俺に相談してきた。本当の親じゃないのに心配はかけられないとあいつは悲しそうに笑いながら、涙を流していた。たかが6年足らずしか生きていない子どもが辛さを押し殺して、甘えたい気持ちを抑え込んで、泣く。あいつは本当によく泣く子どもだった。しかし泣けばあいつの両親、特に母親はあいつを抱きしめた。あいつにとって唯一、親の体に触れて心が安らぐ時間だった。
そんなあいつに転機が訪れた。出来心で偶然見つけた自分の母子手帳。難しいことはよく分からなかったが、あいつの名前の上に書いてあった母親の名前はあいつを「本当の子どもじゃない」とあいつに言った母親の名前だった。
その衝撃があいつと俺を完全な2つに分けた。あいつの心の中だけでの友達だった俺は1人の人間として感情を持ち、意思を持ってしまった。
自分は捨てられた子どもじゃなかった。
じゃあどうして本当の子どもじゃないと言ったの。
男の子じゃないから、頭がよくないから、運動が苦手だから。
どうして、なんで。
そんな疑問をあいつは俺にぶつけた。いつもなら優しい言葉を返す俺が黙ったままだったことにあいつは更に困惑した。涙を流すことすら忘れて静かに母子手帳を元の場所に戻すあいつに俺は話しかけた。
全部忘れろ。
お前はお父さんとお母さんの本当の子どもだ。
ちゃんと愛してもらっている。
お前は死にたいなんて思ったこともない。
心が限界を迎えていたあいつは俺の言葉通りにすべてを忘れて、記憶を書き換えた。幸せな自分、愛されている自分。あいつの中に残ったのは俺というあいつの忌まわしい過去をすべて請け負った存在。だから俺はあいつが嫌だと思うことが起きるたびに、あいつの代わりにあいつを演じてきた。
しかしそれは俺の意思でもあいつの意思でもなく、例えるなら水に潜っているときに苦しくなったら顔をあげて息を吸うように、生きるために無意識行う生理的な行動と同じだ。
俺は常にあいつが表に出ているときの記憶がある。あいつは辛いことがあればどんなときでも俺に話しかけてきたし、俺もあいつにあったことを把握するために常にあいつの行動を見ていた。だから、あいつが眠れば俺も眠り、あいつが起きれば俺も起きる。あいつに関しては俺があいつの行動を把握するほどではないにせよ、俺が何をしていたのか記憶は残るらしい。
例えば俺の場合、あいつがミートソーススパゲティを食べていたら味までは分からないが俺には「ミートソースを食べた」という記憶が残る。しかしあいつの場合は、俺がミートソーススパゲティを食べたとしてもあいつには「パスタを食べた」という記憶は残るがなんのパスタだったかという記憶までは残らない。
そうやってあいつと俺はお互いの行動の記憶を多少、差がありながらも共有して今日まで生きてきた。あいつに何度か謝られたことがある。
嫌なことばっかり押し付けてごめん。
俺は今まであいつに代わってあいつが嫌だと思うことを処理してきたが、それを苦痛だと思ったことはない。俺はあいつの辛さを緩和するためにあいつによって生み出された存在だから、あいつの辛さを代わってやれるならそれが本望だし、それが俺の存在意義でもあると信じている。
ただ、俺だって1つの体に1人の人間として存在したいという希望はあるし俺にだって嫌なことはある。あいつの心から生み出された以上、俺はあいつの一部だと思い知らされることはよくあるがそれがものすごく苦痛だ。俺があいつの代わりになっているときはあいつという女の体で、社会に触れなければならない。あいつの代わりをする以上、女のふりをする自分が情けないと自己嫌悪によく陥る。
一度でいいから俺という人間で社会に出て、俺がしたいと思っていることをしたい。ただ、俺はこの気持ちをあいつに伝えることができない。なぜならあいつは誰にでも優しすぎるくらい優しいからだ。
あいつが人に怒れない分、俺はあいつ以外に優しくできない。